2011年12月21日水曜日

2年9か月ぶりの一時帰国

明後日から、2年9か月ぶりに日本に一時帰国します。
 実は、パリの日本人学校に通っていた長男が日本の高校へ進学するため、この年末で家族は帰国することに決めたのです。オヂさんは荷物運びのために同行し、少しだけ日本の空気を吸って、三が日のうちにparisにとんぼ返り。その後はしばし単身赴任になるという手筈。

 久し振りの日本、何といってもいちばんの楽しみは食べ物です。
 新橋界隈の呑んべえサラリーマンなら知らない人はいないだろう聖地です。とにかく旨い魚が食べたければ、迷うことなくこの店に直行です。毎朝築地から、これっと目をつけた魚を仕入れてくるので、メニューは日ごとに異なります。今日は何があるのかなぁって、それもまた楽しいのです。しかも、すぐ近くには別の聖地、TAMIYAプラモデルファクトリーもあるのです。もう想像しただけで倒れそうです。

 そんなわけで、年明けまでしばらくの間、当ブログは更新をお休みすることになります。
 どろゑびす特急さん、YASUさん、迷走さん、YOCCHIさん、本年も飽きることなく拙ブログにご訪問くださり、また、時には温かいコメントをお寄せくださり、誠に有難うございました。更に、Z1300オーナーズクラブの方などからも励ましのコメントを頂戴しました。
 思えば2011年は、遠くparisから未曽有の災害に見舞われた祖国を、固唾をのんで見守りました。新しい年は、一つでも多くの良いニュースが日本から発信されることを、心から願っています。

 それと、実は、今日で投稿299回目を数えます。年内最後の更新を300回にしようか、新年一発目にしようか迷っていましたが、荷づくりなどで結局時間切れとなり、300回のお祝いは年明けまでとっておくことにします。
 1月から単身赴任となりますので、来年はせっせとプラモデルを作り、せっせとブログも更新していこうと思っていますので、引き続きよろしくお願い致します。
 それでは皆様、Merry Christmas そして、どうぞ良いお年を。

2011年12月15日木曜日

忙しい貴方に。。。

 慌ただしい年末を忙しくお過ごしの貴方に、ひとときの癒しと目の保養を。
 この実になんとも可愛らしいお嬢さん、このほどミス・フランス2012の栄冠を獲得したマドモワゼルDelphine Wespiserさんです。ドイツとの歴史的な国境紛争の舞台となったアルザス地方から選出され、一躍、時の人になりました。
 Parisの街を歩いていますと、一日に何人かは必ず、ハッとする美しいパリジェンヌにすれ違います。特に、10代から20代前半の若いお嬢さんたちの、女性として磨き上がる直前の原石のような美しさは、欧州に長く住むオヂさんでも、思わず目を細め、鼻の下が伸びてしまいます。比較的小柄な女性が多いのも好感が持てますし、「着飾る」のではなく、「生まれたときからファッションという色の付いた空気を吸って育った」みたいな、さりげないお洒落が、彼女たちの魅力を一層引き立ててくれているのです。

2011年12月11日日曜日

今年のイルミネーションにはガッカリだ

   毎年この時期になると、シャンゼリゼ通りのクリスマス・イルミネーションがparisの夜を美しく照らします。昨年、何十万個と言われる電球の全てをLED化することで、paris市は、劇的な電気代の節約に成功しました。
 かつての裸電球のイルミネーションが放つ柔らかで雰囲気のある暖色の光は、通りの左右の歩道に連なるクリスマスの出店も、そこを肩を寄せて歩く恋人たちも、優しく包み込むようでした。しかしそれが、時代の要請とはいえ、青みがかった機械的な寒色の光に変わってしまったことに、心を痛めたパリっ子たちも少なくなかったはずです。
 さて、今年はと言いますと、ご覧の通り、どうにもこうにもガッカリな出来と言わざるを得ません。どこかSFチックなデザインは、かろうじてLEDの青にマッチしているとは思いますけど、ロマンチックさが極限まで低下してしまいました。仕方がないので、きれいな女の人(映画「ダヴィンチ・コード」でソフィー役を演じたあの女優さん)が一緒に映っている画像を貼り付けました。

2011年12月6日火曜日

出不精

11月30日から12月4日まで、ここparisでSalon de la moto 2011(オートバイ・ショー:モーターショーの二輪版)をやっていました。
 やっているのは知っていたんです。車で行けば、アパートから15分もあれば着くんです。でも、行かなかった。どうしても行く気にならなかった。ロッシ号の実物があったんですけど、足が向かなかった。
 日本メーカーが独占するビッグ・スクーター市場に殴り込みをかけるべくBMWから発表された600cc&650ccのスクーター以外には、これといった注目すべきモデルがないことが解っていたから、というのは建前で、本当の理由は単なる出不精。


http://www.motoservices.com/sites/mondial-du-deux-roues.htm

 今になってサイトをいろいろ見てみたら、革製品のショップが出店していて、それだけは覗いてみたかったかも。

2011年12月3日土曜日

大脱走のスティーブ・マックイーン

 つや消しカーキ色に塗られたトライアンフ・ボンネビルT100。
 映画「大脱走」でスティーブ・マックイーンがドイツ軍から逃げる際に、牧草地帯をカッ飛ばしたバイクそのものが、発売されるとのこと。サイドカバーにはスティーブのシグネチャーがあしらわれているんだそうです。
 軍用なので当然と言えば当然なんですけど、何ともまあ武骨というか男くさいというか、カッコ良いですなぁ。
 来年3月に限定1,100台のうちの1台を手に入れる幸運な人のドヤ顔を、parisでも見ることが出来るのでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=Wih_Kj0zEZU

 やっぱりこの俳優さんは、単車がとても似合います。

2011年11月30日水曜日

DAX 70(11)

 細かな金属部品たちを一つずつ作っております。
 フェンダーやライトリムといった外装パーツに関しては、キラキラと目に眩しいメッキをそのまま使う方がむしろ好ましい箇所も少なくありません。しかし、ペダル類やブレーキロッドなどといったパーツに関しては、キラキラのままでは如何にもプラスチッキーで、目立つが故に全体の雰囲気を台無しにしてしまいます。
 従って、面倒ですが、パーティングラインを処理し、メッキを剥がして、メタル系の塗料で塗装した後、スモークでニュアンスを付けて仕上げます。
 いつものことですが、夜、しこしこと模型工作した後に、ヨーロッパのアパートらしい間接照明だけの薄明かりの部屋の中での撮影は難しく、どうしても手ブレを起こしてしまいます。今日は一脚を使用して撮りましたが、これが限界。

2011年11月27日日曜日

USJの思わぬ効能

今年の夏から始めたランニング -心の師匠であるYASUさんは、USJ(ウルトラ・スロー・ジョギング)と表現されていますが- オヂさんは、健康増進とりわけメタボ・成人病対策を主眼として生活に取り入れることにしたわけです。
 しかし、ランニングには思いがけず驚くべき効能があるようです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111124-00000301-president-bus_all

 脳科学の権威が「端的に言って、走ると頭が良くなります」と太鼓判を押しておられる。しかも、この記事には続きがあるらしく、ボケ防止にも役立つとか。
 こりゃあ、やめるわけにはいかなくなりました。昨日も今日も、相変わらずのご近所一周ランニングにです。

2011年11月26日土曜日

DAX 70(10)

 今日の工作は、排気管です。好きな部品から手を付けています。
 キットのパーツはいずれもビカビカのメッキ仕上げ。良いアクセントになるヒートガードはともかくとして、左右から貼り合わせのモナカタイプのマフラー本体は、これではいただけません。くるっと曲がったエキパイにもパーティングラインがしっかりと入っています。表面を整えるついでに、少しだけオリジナリティを加えましょう。

 マフラー自体は、モナカの合わせ目をなくして、ツヤなしブラックに塗装しました。排気口はプラパイプでほんの少し延長。見る人が見れば、おや?ノーマルじゃないのかな?と小さな興味を抱く程度のカスタムです。ビカビカだったヒートガードは、端の部分だけ裏から薄々攻撃を施してから、+ネジの部分を中心にスモークで陰影をつけただけですが、これだけでも随分きりっと締まって見えます。

2011年11月23日水曜日

将来のバイクのエンジンを考える

模型製作が思うようにはかどらないばっかりに、日々ない頭で考えていることを書きとめる楽な方へと、つい逃げ込みがちです。

 Parisの街中で石を投げれば、必ずディーゼル車に当たります。D、CDI、TDなど、メーカーによって名称は様々ですが、特に排気量の大きな車種は目にするほとんどがディーゼルです。と、大雑把なことばかり言っても説得力がないので、調べてみました。ここフランスでは、2008年時の新車登録台数の約77%!!を、ディーゼル・エンジンが占めていました。ベンツ、BMWを擁するドイツですら、約44%。これに対して我が日本は、僅か0.1%!!!。

http://www.bosch.co.jp/shared/templates/subwindow-flash.html?src=http://www.bosch.co.jp/jp/diesel/trends/images/graph-01.swf&title=Graph

 欧州の四輪各メーカーは、これまで日本とは全く異なるアプローチでディーゼル・エンジンの開発を推し進めてきました。その結果、ガソリン・エンジンと比較しても出力の点で不満はほぼ解消され、他方で排気中のCOxなどの有害物質を著しく削減することに成功。環境に優しいエンジンと、財布に優しい軽油とのマッチングは、やはり大きな合理性と説得力があり、これほどまでのシェア拡大も頷けます。オヂさん自身、今度欧州で車を買う際は、ディーゼルを選択すると思います。

 良いことずくめのディーゼル・エンジンならば、どうして二輪には採用されないのだろうか。再び調べてみますと、あるんです。ディーゼルのバイクが。英国の老舗ロイヤル・エンフィールド(現在はインドに身売り)が開発したエンフィールド・ロビンという、412cc単気筒モデル。エンジンは、なんと富士重工製。かつて日本にも輸入販売されたようですが、既に生産は終了しているとのこと。それもそのはず、200kgを超える車重に対して、出力は僅かに10hp。こりゃダメだ。ま、それなりに良いところもあって、燃費はリッター70kn超というギネス記録があるようです。


 さて、オヂさんも、アプリリアなど極く一部を除き二輪の世界から2スト・エンジンが姿を消してしまった現実を、いまだどうしても受け入れることが出来ない元バイク乗りの一人です。
 つらつらと将来あり得べきバイクの姿を思い浮かべる場合、SFチックなスクーターがすぐにイメージされますが、やはりバイクには、燃料と空気を吸い込んで、エンジンで燃焼して、マフラーから排気する機械であって欲しい。その機械から生じる動力や熱や振動や音といったファクターが、バイクから失われてしまうのは、余りに淋しい。軽量小型のバイクなら、直噴式の2スト・エンジンで元気よく走りたい。決して、四輪のように、充電池で動く別の乗り物に変わっていって欲しくないと、切に思うのです。

 世界にその技術力を誇る我が日本のメーカーさん、どうかお願いですから、環境に対応した二輪用のディーゼル・エンジンを開発してください。きっとできるはずです。二輪メーカーにヤル気がないのだったら、四輪メーカーだっていいのです。日産は、その昔は日産ディーゼルだったじゃないですか。工業の歴史をひもとけば、2スト・ディーゼルだって開発されたことがあるっていうじゃないですか。
 どうか近未来のバイクが、充電池式だけに集約されてしまわないよう、よろしくお願いしたいと思うのですが、こういうことって、さていったい誰に言えばいいのだろう。

2011年11月20日日曜日

良い週末

 パリ市の北の近郊、シャンティ城の少し先まで車で約40分、Apremontにある日本人経営のゴルフ場は、parisに暮らす日本人ゴルファーなら誰でも知っている場所です。

http://apremont.club-albatros.com/accueil.asp

 澄み切った青空の土曜日、久し振りのゴルフに出かけました。ポカポカの小春日和に恵まれ、軽量のキャディバッグをかついでのラウンドは、少し汗ばむくらいでした。黄色や赤に色付いた木々、フェアウェイの緑、コース脇に並ぶ赤い屋根の家々、この季節のフランスの郊外を象徴する景色は何度見ても素晴らしく、日頃の事務仕事に疲れ切った老眼に優しく、心も癒してくれます。優雅なクラブハウスでフランス人のウェイターにサーブされるカツカレーも、乙なものです。
 夏から始めたランニングの成果はてきめんで、18ホールを回っても、以前ほどの疲労感はありません。ただし、翌日曜日は、案の定の筋肉痛にさいなまれました。筋肉痛は運動を重ねれば治ると信じてランニングに出てみたものの、やっぱり痛いものは痛い。でも、その痛さも少し心地良い。
 のんびりと、良い週末でした。

2011年11月19日土曜日

TPP考察(大真面目?)

日本国じゅうを連日騒がせているTPP交渉参加問題。オヂさんも、日本人の一人として考えるところがあります。何やら胸がザワザワするような不安にもかられます。おいおい、このブログはそんなんじゃないだろという突っ込みは、自分が一番よく解っております。けれど、日本を離れたところから見ているが故に思うこともあるのです。
 以下、すべて全くの個人的な見解であることを予めお断りした上で、三点について、ノリ突っ込みしてみたいと思います。たまにはね。

 一つ目は、参加推進派が言うところの、「国を開かなければ日本の将来はない」という指摘。バブルがはじけて以降、約20年間にわたり日本は閉塞感に包まれ、景気も税収も所得も一向に上向かない。この状況を打破し、経済を発展させ、将来の世代に豊かな日本を引き継いでいく。そのために日本は国を開き、広く東アジアの活力を取り込んでいくことが不可欠である。そのような主張ですね。
 経済的な側面、しかも輸出に着目した貿易の面だけで言えば、その主張にも頷けるところは多分にあります。しかし、バブル以降、日本全体が閉塞感に包まれていたのは、経済の状況が低迷していたことだけが本当に理由だったのでしょうか。
 確かに長引く不況とデフレは、大多数の人の日々の生活を阻む呪縛のように身体にキツくまとわりつき、だからこそ2年前に、生活が第一とバラマキ4Kを高らかに謳い上げた民主党のマニフェストに多くの国民が飛び付きました。
 しかしオヂさんが考える閉塞感の元は、それだけではないと思うのです。それまで自民党が、55年体制と言われた長期安定政権の座にあぐらをかき、戦後日本の総括と将来の確かなビジョン作成を怠ったため、政治無関心を生み出し、その結果、社会保障、雇用、農業、医療、教育といった国の骨格と言える部分に、国民一人一人が自覚のないまま大きな歪みが生じてしまった、そのことにようやく気付いた時には最早どこから治していけばよいか解らず、劇場型政治と称された小泉構造改革を称賛している間に、いわゆる勝ち組と負け組という二極構造が生み出されたことを嫌ったのもつかの間、結局勝ったのは中国であり、韓国であり、BRICSと呼ばれる新興国だった。
 従って、TPP参加の有無にかかわらず、そもそも日本は国造りを一からやり直すことが喫緊の課題として以前からあって、だから健全な国造りが出来ていないうちにTPPに参加するのはリスクが大きいと見るか、TPP参加をテコにして健全な国造りの起爆剤にするかという手法の違いなのだろうと思います。しかしながら、参加による経済効果は10年間で2.7兆円という試算がある一方、リスク計算は一切行われていません。これではどちらの手法が得策なのか、誰も判断できません。

 二つ目は、その国造りをどうするかということ。日本だけでなく、参加9カ国には9通りの国柄というものがあります。農業立国、観光立国、工業立国と、国柄は様々です。それら全ての参加国が、どうしても守らなければならないものは守りつつも、原則として同一のルールを共有しようとする以上、それぞれの国において少しずつ、或いは大胆に、国の形を変えなければならないはずです。輸出依存度や食料自給率の議論もその一環でしょう。
 日本は、TPP、更には中国を含めたもっと広範な共栄圏を想定して、日本という国柄のどの部分をどういうふうに変えていくのか、日本はこのような形を目指しましょうというビジョンを、国民的なコンセンサスの下に作り上げなければなりません。コメをはじめ農業に壊滅的な被害が生じるのではないか、国民皆保険は守られるのかといった各論も確かに大切ですが、それらを含めた総論としての国のあり方、ビジョンが、あらゆる分野とレベルで議論されることが必要です。
 また、国の形を変えるのですから、当然に大きな財政負担が伴います。東北の復興に当座必要な20兆円を捻出することにすら四苦八苦しているのが現状ですが、農業政策の大転換を補うための財源を含めた「TPP参加のための軍資金」の規模は、10年間で2.7兆円というGDPの押し上げ効果を、簡単に呑みこんでしまうものになるのではないかと思います。

 三つ目は、国の形を変えるという戦後日本にとって歴史的な転換を、民主党に任せられるのかという点。多くの国民が飛び付いた2年前の民主党マニフェストは既に破綻、普天間、尖閣、事業仕分け、唐突な消費税増税、韓流ブームと外国人参政権、そして震災・原発事故対応。国民は、自民党にやらせていても景気が良くならないから、それなら目先の収入が僅かに増え生活が楽になる期待感だけで、民主党に票を投じたのです。決して、国の形を変えるような大仕事についてまで、民主党に信任を与えた訳でありません。ましてやその大仕事をけん引する総理大臣は、国民が直接選んだ人ではないのです。
 今後、交渉参加に向けての協議を各国と行っていく中で明らかになる様々な問題点を踏まえ、場合によっては政党を割り政界再編をしてでも、TPP参加の是非、また、その前提となる国造りに対する大きなビジョンを争点とした衆参同時選挙によって、国民の総意を一つの方向性にまとめていくことこそ、今、政治に求められているのだと思います。

2011年11月13日日曜日

DAX 70 (9)

 いよいよ今回の作品の肝、サイドカーの連結部分を工作します。
 サイドカーの実物は、今でもたま~に街で見かけますし、ネットで調べればそれなりの数の画像が出てきます。しかし、ひっくり返して連結部分の構造がどうなっているか、はっきりと解る画像はなかなかありません。考えても解らないから、もういいや、適当で。
 適当と決心すれば、あとは手を動かすだけです。先ずはメインとなる5mm径の太いプラ棒をシャフトにして、ステップの下とサイドカーの真ん中からそれぞれステーを出し、串刺しにしました。

 いくら太いプラ棒とはいえ、1本だけでは簡単にねじれてしまい、明らかな剛性不足。そこで、チェーンの隙間から2mm径プラパイプを追加。芯に1mm真鍮線を仕込んで強化を図ります。反対側のこの位置は、ちょうどブレーキペダルの軸棒が刺さる穴が開いており、ならばいっそのこと反対側からプラパイプを一気に貫通させてしまおうという作戦。

 仮組みして後ろから見た図。実は、これでもまだ剛性が足りません。やはり3点以上で支持しないと、上下左右のねじれには十分に対応できないのです。だけど、あまりたくさんの棒をにょきにょきと生やしたくありませんし、本体のフレームにも適当なスペースがほとんどありません。
 ここは、ひと工夫こらす必要がありそうです。

2011年11月12日土曜日

DAX 70 (8)

 久々のプラモ製作は、フロント・アッセンブリーにかかりました。
 フォークブーツから上はまだ仮組みです。実はこのキット、作り始めたときからすぐに感じていたのですが、TAMIYAさんにしては非常にバリが目立ちます。やはり再販モノだけあって、金型がくたびれているのでしょうか。
 とはいえ、丁寧に修正し、スモークで陰影付けしてあげるなどすれば、リアルさがぐっと増し、素姓の良さが実感できます。

 実車におけるdaxの「売り」の一つは、フロント部分をそっくり切り離してコンパクトに車に積むことができる構造にあります。このため、トップブリッジには切り離し用のノブが付いていて、このキットでも忠実に再現されています。
 ところが、キットでは、フレームに差し込むノブの軸棒(画像左)の長さが不足していて、どうにもグラグラと安定感がありません。不安が頭をもたげると、工作のモチベーションも下がってしまいます。ここは、なんとかせねばなるまい。

 そこで、ジャンク箱から適当なシャフトを探し出し、上下から極小ナットで止めることにしました。ああ、なんというたくましさ。ジャンク箱よ、ありがとう。そして、グラグラ感よ、さようなら。

2011年11月7日月曜日

物欲再び

 ご存知YAMAHAのWGP50周年記念カラー。
 当ブログにいつも有り難いコメントをくださる「迷走」さんが、このカラーリングのT-Maxをさかんに欲しがっておられた記事の記憶もいまだ冷めやらぬ今日この頃ですが、こちらのモデル名はAerox。なんと、50cc原付スクーターです。これまた実になんともカッチョイイ。日本で発売されるかどうかは、下に引用したscooter-station.comさんの記事だけでは解りませんが、もし発売されるようなことがあれば、(言い方は悪いのですが)価値の解らぬそこらのガキんちょ共には乗ってほしくないなぁ。こういうのは大人の男のおもちゃっていうか、酒の肴っていうか。。。

http://www.scooter-station.com/Nouveaute-scooter-2012-Yamaha-Aerox-serie-50eme.html

2011年11月1日火曜日

DAX 70(7)

 サイドカーのシートを作ります。
 先ずは、座面と背もたれになるプラ板に、短冊状のプラ板の角を落としたものを貼り付けていきます。 この工作方法は、過去の作品BMW R75-5で実験済みです。

 次いで、シートの厚みの分の高さをもたせるよう、プラ板を曲げながら貼り付けていきます。プラ板が真っすぐに戻ろうとする力が加わるため、いっぺんに接着するのは無理です。少しずつ位置決めをしながら焦らずに進めます。

 何度か仮組をして、だいたい厚みが決まってきたので、紙ヤスリをシート全体にあて、クッション部が自然な膨らみに見えるよう表面を整えます。座面と背もたれは、サイドの金具代わりのプラ板で止めてあるだけですが、この辺りはほとんど見えなくなってしまうので、手を抜いて簡素な工作にとどめます。

2011年10月30日日曜日

DAX 70(6)

 今日から冬時間です。
 朝起きたときに、家中の時計を1時間巻き戻しました。つまり、今日は25時間の1日を過ごしたわけです。

 さて、dax君のサイドカーですが、リアに頑丈なキャリアを設置しました。メッキされたパーツは、ジャンク箱からの発掘物。適当な角度のランナーを組み合わせて一体形成したものを、本体からステーで支えます。塗装が済むまでは、取り外し自由にしておきます。

 丸みを持たせるように修正したフロントノーズには、リアとのつり合いを考慮して、より細いメッキパーツを探し出し、アクセント付けしてみました。これも未接着で、ボディ側に開けた穴にパチっとはまるようになっています。
 この後は、サイドカーの内装とシートに取りかかります。

2011年10月29日土曜日

物欲(USJ)




 日頃はあまり物欲のない奴なんですが、今いちばん欲しいのがコレ。
 便利な世の中になったもんで、ネットでちょこっと検索すれば、ランナーのタイプ別に最も適した製品を簡単に見つけることができます。これは、ランニング初心者で、かつ、そこそこ体重がある方にもぴったりという、まるでこのオヂさんのためにナイキさんがわざわざ作ってくれたような。。。と言いますか、私のような体形だからランニングを始めようという人が巷にはきっと沢山いるのでしょう。マーケットをちゃんと解ってるメーカーが、ニーズに合わせた製品開発をちゃんとするので、そりゃ売れるのも当たり前です。色もウルトラマンみたいでカッコ良い。
 最近、会社の近所にランニング・グッズを専門に扱うショップができたので、きっとそこなら売っているかも。そうでなくても、シャンゼリゼに行けばナイキのでかいショップがあるので、クリスマスのプレゼントはこれかな。あ、今日もちゃんと走ってきました。

2011年10月23日日曜日

SUZUKI GT500

 澄み切った青空が広がる日曜日の午後、アパートの近所を散歩していましたら、カフェのテラスで午後の紅茶を楽しむ人々を横目で見る位置に、見慣れぬオートバイを見つけました。
 タンクにはSUZUKI、サイドカバーにはGT500というエンブレムが認められます。2ストロークのパラレルツイン。日本では販売されなかった排気量なので、輸出専用のモデルなのでしょう。レモンイエローのラインが純正のカラーリングかどうか知識がありません。ウィンカーや反射板はおそらくオリジナルでしょうが、前後のキャストホイールやブレーキローターは、最近の物に置き換えられています。
 家に帰ってネットでちょっと調べてみると、70年代初期に市販されたモデルらしい。実に40年以上、現役で走り続けていることになります。その割には、何という状態の良さ。オーナーが、日常の手入れを欠かさず大事にしている様子が伺えて、嬉しくなりました。

2011年10月21日金曜日

DAX 70(5)

 型紙からプラ板2mmで底面を、同1mmでサイドとアッパーをそれぞれ切り出し、箱組みした後、フェンダーや半円形のウィンカーの張り出し部分、風防の取り付け部分などを接着していきました。箱組みの四隅の接着部にはエポパテで裏打ちをしておき、ヤスリで角を落としても穴があかないようにしておきました。また、フロントの天板には、ちょっとしたデザインを施すため、2mmプラ板を貼り付けて、ふくらみをもたせました。

 ホイールの取り付けは、アクスルが通る穴を開けたボディの内側に、金属の六角ナットを仕込んだだけの簡単なもの。ネジ1本で車輪を着脱可能です。ボディのリア側、下の方には、内側に四角いブレーキランプ、外側に丸いウィンカーがそれぞれ取り付きます。
 サイドカーのボディ製作は、だいたいこんなものでしょうか。とにかく、ちっこくて可愛らしいけど、ちょっとカッコ良くて、シンプルだけどクラシックになりすぎない。そんな雰囲気を目指しています。いろいろな角度からジロジロと見つめて、う~ん、ここはもう少し削ろうとか、このカーブが気に入らないとか、唸ってばかりです。フロント・ノーズは丸くしてしまうかもしれません。もうしばらく唸ってみて、そこそこ納得がいくようなら、サフを吹き、表面を仕上げて、あらためて様子を見ることにしましょう。
 後は、リアに荷物をくくりつけるためのキャリアを取り付けたりといった細かなディテールの作り込みをする必要がありますが、何といっても、内張りとシートをどうするか。気持ちは早くもそちらに進んでしまっています。

2011年10月16日日曜日

DAX 70(4)


 今回の作品のツボは、これ。サイドカーです。
 いくら70cc原付2種とはいえ、ちっこいdaxの横に、更にちっこいサイドカーがちょこんと付くのですから、人が乗ることは想定していません。ヘルメットや、買い物袋や、ひょっとしたら花束でも、そんな物を積んで街をトコトコと走らせる、そんな想定です。

 いつまでもデザインを空想していても仕方がないので、厚紙を取り出し、ノッポさんかワクワクさんになったつもりで、型紙をちょきちょきと切り出し、テープで仮組みしてみました。ディテールはともかくも、全体のシェイプとしては、可愛らしさもあり、こんな感じでイケるのではないかと思います。このあと、型紙からプラ板を切り出して、箱組みします。

 タイヤは、1/12カワサキからリアホイールごと転用。1/6スケールなら8インチ相当ですから、サイズ的にはok。ホイール形状やハイグリップの扁平タイヤがdaxの時代考証にマッチしていませんが、そこは昔を懐かしむ中年オヤヂが現時点でカスタムしようとするとこうなるということで、勘弁してもらいましょう。

2011年10月15日土曜日

USJの成果

 この7月に始めて以来続けている週末だけのUSJ(ウルトラ・スロー・ジョギング)ですが、その成果は着実に体重計に反映されます。今日現在で、少なくとも4.5kg程度の減量に成功しました。もう一息で、念願の大台を切るところまで来てまして、ヤル気に拍車がかかります。これから長い冬の間、普通の中年サラリーマン生活をしていては、なかなか汗をかかなくなるので、ますますランニングは欠かせません。
 実は我が家からわりとすぐのところ、セーヌ川の中ノ島であるジェット島に、ムッシュ・サルコジの私邸があるので、ひょっとすると、いつかこんなふうにSPを引き連れてランニングする大統領にもお目にかかれるかもしれません。

2011年10月12日水曜日

どういう時代?

 先日、本田技研の偉い人が記者懇で語ったことが、ちょっとした話題になっています。

http://response.jp/article/2011/10/10/163565.html

 高回転・高出力型の大型バイクについて曰く、『乗りにくいものを造ってもしょうがない。。。そんなものは街中で楽しいはずも無いし、そういう時代じゃない。。。もうちょっと本当に常用域のところで楽しいものを造ろうよと。』

 。。。オヂさん、ここまでは大賛成です。スピリッツも感じました。

 曰く、『ハーレーやBMW、ドゥカティみたいに他の人に見せる盆栽のようなものはホンダには無理。だから少なくとも実用品というか、乗ってどうのというのは絶対負けないようにしろと、見せてどうとか飾ってどうとかという所はあきらめてもいいから、乗ってどうだけちゃんとやれと社内には言っている。』

 。。。我が国が世界に誇るリーディング・メーカーの幹部の言葉としては、正直なところ如何なものかと思いました。
 先ず、他社の製品を「盆栽のようなもの」と決めつけたり、デザイン勝負をはなから諦めたりする姿勢は、それが例え良い意味で言ったものだったとしても、決して褒められたものではないと思います。
 少なくとも、BMWやドゥカは、優れた素材や構造を採用することによって結果的に導かれるデザインの秀逸性、言ってみれば機能美の極みがその魅力の一つであることは、幅広いライダーが理解しているのではないでしょうか。仮に、悪意はなかったとしても、見た目に美しいことのみに価値があって、それに高い値札が付いているというような意味が少しでも言葉の裏に込められているとすれば、ホンダという企業の品格を落としかねない暴言とのそしりは免れないと危惧しました。

 もちろん一番の真意は、乗って楽しいものを作りたいとするシンプルな発想にあると信じたいところです。そして、もしそうであるならば、価値観の多様性が叫ばれる現代にあって、高性能車を「そんな時代じゃない」と自ら切り捨てるんじゃなく、また、「常用域でちゃんと楽しい」という曖昧なコンセプトでもなくて、こういうバイクでこういうエンジョイ・ライフの方法もあるよと、もっと具体的でワクワクするような提案を示して欲しいのです。
 「○○○な時代」の○○○の中に入る新しい(若しくは普遍的な)価値観を世に提案し、人にとってバイクが良質のツールであり続けるよう、バイクを取り込んだ生活スタイルを牽引するメーカーであって欲しいと、そう願っているのです。

2011年10月9日日曜日

DAX (3)

 エンジンです。この型のエンジンは、これが何台目でしょう。実車も含めて、私の中で最もお馴染ですが、70ccというのは初めて。でも、排気量の違いは外見だけでは全く解りません。
 もともと、タケ●ワさんなどの高級アフターパーツは、余り好きではありません。昔から、どちらかといえば、ハヤシとかSupermonkeyさんのような一見ノーマルと見間違うような控え目なルックスのパーツが好みでした。ま、今回は、そういうことにこだわらず、素組でいきます。
 ただし、キットのメッキのままでは、新車でもここまで光っちゃないぞってくらいキラキラしていますので、スモーク塗料でニュアンスを付けることにしましょう。
 シリンダーヘッドのフィンの隙間の角や、六角ナットの付け根などに、しみ込ませるような感じでスモークを流し込み、陰影を付けていきます。左の腰下が塗装前、右の腰上が塗装後です。同じメッキ部品ですが、これだけでも随分とリアルさが出てくるもんです。

2011年10月8日土曜日

DAX (2)

 マグナの完成を待たずに、次のキットに手を出してしまいました。Honda Dax 70です。 

 先ずは、キットの内容確認から。
 部品点数はマグナなどと同様、1/6モデルとしては、大して多くありません。ハンドル周りのスイッチなどもグリップと一体形成のゴム製だったり、大雑把といってしまえばそれまでですが、パーツひとつひとつの精度はTAMIYAさんですから、まあ信頼性は高いでしょう。老眼鏡と煙草を傍に置いて、じっくり眺めます。

 今回の作品のコンセプトは、だいたい頭にイメージできています。本体?は、基本的には素組みでいきますが、そのイメージをより煮詰めている間、全体に影響しない細部をいじっていくことにします。
 前後10インチのホイール。デザインは悪くないのですけど、実車でも足元がやや重たい印象を受けます。バネ下重量は燃費に大きく左右することも勘案して(ほんまかいな)、肉抜きをしてみました。左が加工前、右が加工後。少しだけ軽快になった気がします。
 新しいキットは、楽しいな。

2011年10月2日日曜日

ウルトラ・スロー・ジョギング(USJ:ご近所編)

 この週末は、ゴルフなど他の運動をしなかったので、土、日の両方とも、USJを怠りませんでした。いつも走るご近所一周の景色を紹介します。

 Paris市の外周をぐるりと囲む首都高環状線(ペリフェリック)から僅かに外側にはずれただけで、こんなにも歩道が広く、高い栃の木の並木が陽射しを遮ってくれます。犬や子供を連れて散歩する人、お気に入りのベンチに座ってゆっくりと時間を過ごすお年寄り、 カフェで遅い昼食を楽しむ人たち。やわらかな木漏れ日の中を、様々な人々の暮らしを横目に走るのが、少しずつですが楽しくなってきました。とはいえ、はたから見れば、大汗かいて息の上がった中年のアジア人が、この景色に馴染むかどうかは甚だ疑問ですけどね。。。

2011年10月1日土曜日

セニック。。。ドナドナ。。。(続き)

 2年半前、家族より一足早くParisに到着してから、2週間の間にアパートを決め、車を購入する必要がありました。ホテルと会社を往復し、前任者と慌ただしく引き継ぎをしながら、住宅物件と中古車物件の双方を探すのは、海外生活に相当慣れているオヂさんでも、手間暇がかかるものです。
 そんな中、Paris郊外のスズキ四輪販売店でこのセニック君と出会いました。
 日本で言うところの車検2年付き。前のオーナーは犬を飼っていたことが、車内の匂いからすぐに解りましたが、外装はまずまずきれいに保たれていました。
 家族到着直後から、ヴェルサイユ近郊の日本人学校の往復や、足りない家具の買い出しにIKEAへ何度となく通ったりという、新しい生活の立ち上げに、セニック君は即戦力として大活躍してくれました。その後は日々、カミさんの足となり、ときには郊外の農場へ、ときには近郊の観光地へ、ときにはベルギー、オランダと国境を超え片道数百キロのプチ旅行も、こなしてくれました。
 Paris市内の荒れた路面を11年間、10万km踏みしめる間、大きな事故も起こすことなく、2つの家族の喜怒哀楽を見つめ、支えてきてくれたセニック君。このたび少し早い引退となりましたが、本当にお疲れ様でしたと言ってあげたいと思います。

2011年9月29日木曜日

セニック...ドナドナ...

 Paris生活の2年半を支えてくれたセニックが、逝ってしまいました。
 いえ、正確には、お金さえあれば、この11年落ち10万kmオーバーのベテランを救えたかもしれないので、ある意味、安楽死を選択したようなものです。
 以前所有していたことがある故の親しみ易さ、運転席からの抜群の視認性、荷物積載能力の高さ、DHOCエンジンの思いがけない力強さ、ダブルサンルーフ、アルミ、革張りシート。そこまでは、狙い通りの期待に、見事に応えてくれていたのです。
 先日、何気ない朝の通勤途上、僅かな路面の段差を通過した際に「ごとっ」という音がエンジン付近から聞こえた次の瞬間、耳をふさぎたくなるような騒音と振動が、コクピットを包みました。数日後、凱旋門から僅か1~2分の正規ガレージに預け、診断の結果を待ちました。
 修理費見積もり額は、3,800ユーロに達しました。ギアボックスを支えるユニット一式、前輪のロッカーアームとタイヤ交換、その他もろもろ。。。あのぉ、この車、5,000ユーロくらいで購入したんです。しかも、数か月前には、この世代のセニックの評価を一気に下げる定番の「3速固着」オートマから、1,000ユーロ以上を費やして脱出したばかり。更に、民間ながら準公的に中古車の市場取引価格を決めるArgus誌でも、11年落ちの車は既に市場価格をつけていない状況。
 残念ですが、大枚をはたいて救うほどの価値を見出せませんでした。てなことで、明日にでもガレージに引き取ってもらう(ただし、修理診断費99ユーロ也をしっかり払わされます)ことにしました。
 ドナドナド~ナ。。。。荷馬車は走る。。。

2011年9月25日日曜日

悲喜こもごも



 雲ひとつない快晴の土曜日、パリ環状線からA4号線を東へ約30分、ユーロ・ディズニーランドの一角にあるGolf de Disneylandへ行ってきました。

 浮島のグリーンや、ピートダイふうのバンカーなど、ややトリッキーな(悪く言えばミーハーちっくな)設計もところどころに見られるものの、全体としてはアップダウンも少なく、好感の持てるコースです。

 ふと、1999年カーヌスティで開催された全英オープン(the Open)が思い出されます。

 最終日、17番ホールを終えた時点で3打差のトップに立った無名のフランス人、ヴァン・デ・ヴェルデ。初優勝は確実と思われた最終ホールで、ティショットを曲げ、リカバリーショットも観客席、次いで水にまで入れてしまった彼は、トリプルボギーの大叩き、結局プレイオフで逆転負けを喫してしまいました。

 優勝者としてではなく、悲劇の主人公として一躍有名になったヴァン・デ・ヴェルデですが、ここGolf de Disneylandのティーチング・プロであったということは、昨日まで知りませんでした。

 私たちアマはいつも、大叩きしてしまった後、冷静になって振り返ると、「どうしてあんなに無理しちゃったんだろう」と反省します。でも、何度反省しても、「ハマってしまう」のがゴルフでもあります。

 この地味で華奢な「ヤサ男」といった印象のフランス人プロも、きっと大舞台の優勝がかかった18番ティグラウンドで、既に真っ白になってしまったのでしょう。かえって好感が湧いてきました。

2011年9月22日木曜日

何度めの復活?

 我が愛車、ポンコツのBMW520iが何度目なの?っていう復活を遂げました。
 この夏休み、家族が一時帰国している約ひと月の間、もっぱらルノー・セニックが、通勤にもプチ旅行にも活躍してくれました。家族が戻ってくるなり、そういやバッテリー上がってないかなぁと心配しつつBMWのエンジンをかけたのが約3週間前。妙な音と共に、エンジンから白煙が。。。
 16万kmにしてついに寿命かと思いきや、シリンダーヘッドのガスケットが劣化してオイル漏れ。隙間から勢いよく白煙が噴き出していたことが判明。哀れレッカー車で運ばれ、メーカーからの部品待ち。ついでに足回りの再調整を含めて修理代金は460ユーロ也。ガスケット自体の値段は、たった35ユーロだっていうのに。。。
 とはいえガレージから戻ってきた愛車は、これだよ、これ!って小躍りしたくなるくらいのスムーズさ。流石はシルキー6と呼ばれる静寂かつマイルドな吹けあがり。まだ高速を走っていないので検証しきれていないものの、低速での足回りのガタつきも感じません。こうなると、いくら古いモデルとはいえ、バイエルン生まれの高級車の魅力を改めて肌で感じます。
 と思いきや、今度は順番待ちしていたかのように、セニックが突然の不調に陥ってしまいました。こちらも10万km超のベテランですから、何でもありっちゃありなんです。。。

2011年9月18日日曜日

手長猿いじり(22)

 エキパイには、メタルックを貼り込みました。この工作は、初めてのトライです。
 カーブしている箇所には、短冊状に細く切ったものを貼り繋いでいくしかなく、どうしても段差が残ってしまいます。贔屓目に見れば、パイプの継ぎ目と見えないこともなく、ま、これはこれで良しとするしかありません。ステンレスふうの焼け色は施しません。実は、あまり好きじゃないのです。アイ・キャッチーな焼け色に、なんとなくですがミーハーっぽい印象を持つのは、単にオヂさんだからなのでしょうか。
 サイレンサーはメタルカラーで塗装してから、少し磨きました。
 今日も今日とて、模型作りの合間にランニング。YASUさんを見習って、ウルトラ・スローですが、継続は力なりと信じて、最低でも週1回のペースは維持したいと思っています。

2011年9月17日土曜日

手長猿いじり(21)

 作ったデカールを貼りました。
 いろんなものを貼りたくなる欲求をぐっと堪えて、ミニマムで最大の効果を狙っているつもりです。タンクの黒ラインは、黒に深みを持たせ、コントラストを際立たせるため、デカールを2枚重ねました。また、マフラーのAkrapovicマークは、白地のステッカーにデカールを貼ってから、ワッペンのように貼り付けることで、金属のプレートにみたてています。
 完成が見えてきています。

2011年9月15日木曜日

手長猿いじり(20)

 マグナ(既に原型がないので、マグナとも呼べませんが)のデカール作りをしています。
 オレンジ色の車体に合う、気の効いたやつがないものかと、PCであれこれ画像検索をしていましたが、あったあった、ありました。最初から素直に考えれば、やっぱこれでしょ。2004 Honda RC211V。上の写真は、どのライダーが駆ったものか、オヂさんには知識がないので判別できません。宇川号だったりするのかな。
 レプソル・カラーは採用しませんが、タンクのデザインはこれをそのままいただくことにしましょう。早速、どこぞのサイトからステッカー画像を拾ってきました。ついでに、ブレーキ・キャリパー用のBremboのロゴや、マフラー用のAkrapovicなども。先ずは普通紙に試し刷りして切り出し、車体にあてがってみてサイズ調整、その後デカール台紙に印刷。フィルム液を塗って、乾燥を待ちます。

2011年9月11日日曜日

手長猿いじり(19)

 外装パーツを塗装しました。
 シンプルかつ明快に、オレンジ色のソリッド。数回に分けて厚塗りしましたので、クリアー吹く前から既にテロテロです。
 さて、デカールはどうしようかなぁ。。。マシン全体の雰囲気が、ドゥカやらKTMやらのイメージがごっちゃ混ぜになってますので、ありきたりのウィングマークは似合わなそう。なるべく少なめのデカールで、しかし効果的なアクセントを与えたい。そんな感じで、PCで画像検索しながら雨の日曜日をだらだらと過ごす至福のときです。

2011年9月10日土曜日

粋な老人

 昼休みに会社の近所を散歩している途中で、ふと見つけた乗り物。
 小さな2ストのエンジンが載っていますが、ペダルもついていることから、モペッドの仲間だろうと思われます。その割には、ダブルシートで、タンデムステップも確認できます。
 スタイルからすると、60年代でしょうか。全体のコンディションは悪くありません。エンスーのオーナーが後生大事に磨き込んでいるというよりは、むしろ当たり前の整備を欠かさず毎日の足として普通に乗り続けているという雰囲気。ただし、タンクに貼られたエンブレムは、メーカーの銘板が剥がれてしまっているため、ヨーロッパに長く住むオヂさんですら、この粋な老人の正体は解りませんでした。(どなかたご存知ですか?)。


 5分くらいじろじろと見まわした後、やおらカメラを取り出して写真を撮り始めたところ、傍らのベンチに座っていた初老の紳士が、眩しそうな眼でこちらを見ていました。「あなたのですか?」目だけで訊ねましたが、首をすくめられてしまいました。

 どんな音を立てて走るんだろう、見てみたいなぁと興味は尽きません。結局、解らずじまいとなりましたけど、やっぱりクラシック・バイクには何とも言えない魅力があるなぁと、再発見させられたのでした。

2011年9月4日日曜日

手長猿いじり(18)

 本当に久方ぶりに、模型工作と向き合いました、工具箱を取り出して、老眼鏡をかけ、緑色のマットをテーブルに敷いてみたら、 ちょっとやってみようという気持ちが湧いてきました。よかったよかった。
 てなことで、マフラーの取り回し。
 ツインの集合じゃなくて、シングルの2本出しです。1本の部分、枝別れの部分、サイレンサーに続く部分と、それぞれの部分は、キットのノーマル部品やプラ棒をライターで炙って手曲げ加工を予め施してありましたので、今日は、サイレンサーの位置決めをした上で、各パーツを接着剤とエポパテでつなぎ合わせる工作。
 エンジンの真下を通る部分が複雑にカーブしているため、左右に分かれた後も、微妙に形状が異なります。厄介な工作でしたが、乾いてからハミ出たパテをそぎ落とすと、なんとなくそれらしい形に収まりました。この後、サフを吹いて、耐熱ブラック又はステンレス色に塗装します。


 もう一つは、フューエルタンク。

 手前のお腹があたる部分は、上からストンと切り落としたような形状でした。しかしこれが以前から気に入ってませんでした。

 そこで、角にエポパテを盛りつけて、少しだけデザインの工夫を施してみました。ほんの僅かなことですけど、随分と印象が異なると思います。ちょっとだけ、実車寸法のケミカルウッドから、カンナのようなカッターで新車の形を生み出していくカーデザイナーになったような気がしました。

ランニングはじめました

 ひと月くらい前から、密かにランニングを始めていたのでした。実は以前から、そうしたい、そうしなきゃという思いだけは抱いていたのですけど、なかなかきっかけがなかったのです。約1カ月を単身で過ごしたこの夏休み、炊事も洗濯も独りでこなしているうちに、生活のリズムみたいなものが少しだけ楽しくなってきて、勢いでシューズを買ったのがきっかけ。

 勿論ランニングはビギナーもいいところですから、まったく無理をするつもりはありません。週末の夕方、近所の並木道をぐるりと一周、3~4kmくらいでしょうか。鉄人YASUさんを見習って、USJ(ウルトラ・スロー・ジョギング)で、体液や血中に溜まったアルコールと、肺に溜まったニコチンを体外に排出するのが目的のようなものです。行く手に、小さな子が人形を乗せたミニチュアのベビーカーを押して歩くのが見えても、なかなか抜き去れないくらいのペース。いいんです、ビギナーですから。

 それにしても、世の中には走っている人のなんとまあ多いこと。老若男女を問わず、たくさんのランナーとすれ違います(抜かれます)。まるで自分だけが今まで何十年もサボっていたような申し訳ない気持ちにすらなります。許してね、遅ればせながらオヂさんも始めたので。

 たっぷり汗をかき、ぜーぜーと荒い息を吐き、でも、シャワーを浴びた後は、なんとも言えず爽快です。翌日にやってくる筋肉痛の度合いも、回数を重ねるごとに軽くなってきます。いつまで続くか解りませんが、その程度のゆるい感じのつき合いが良いのではないかと思っています。

2011年8月28日日曜日

夏休みの思い出

 すっかり秋めいたParisの街並みをジョギングしながら、この夏休みを思い返していました。
 街全体が世界遺産に登録されているベルギーはブルージュの中心、マルクト広場の裏手にあるバーで、ベルギー・ビールを飲んだっけ。
 右は、ポピュラーなジュピラーの生。左はチェリー風味のクリーグです。どちらも口当たりが良く、夏の暑いさなかに歩き回った身体にしみ込みました。
 歴史を感じる、と言いますか、歴史そのもののたたずまいに身を置き、視界の中に外国人しかいない(こちらではオヂさんの方がむしろ外国人なのでしょうが)中で過ごすことが当たり前になってはいますが、暮らしている土地を離れてもなお、外国人に囲まれている状態が心地良く感じる不思議さは、なかなか解っていただけないかもしれません。幸いにして、フランス語とフラマン語の両方を少しずつ喋れることも、旅先で接するホテルマンやバーテンダーなどといった人たちから親密に接してもらえる理由なのかもしれません。街に溶け込む瞬間こそ、旅のなによりの楽しみなのではないかと、あらためて思いました。

2011年8月25日木曜日

欧州バイク事情

 先日、シャルル・ド・ゴール空港内のキオスクで、時間つぶしに買ったMOTO Journal誌の特集号がこれ。125cc以上の現行市販バイク280台の乗り比べBESTランキング。
 最新型モデルに疎いオヂさんですが、メーカーによるパーツ・デザインの進化の様子は、やはり気になりますし、たまには物欲と妄想に身を委ねるのもいいでしょう。勿論、購入資金はありません。


 評価は、エンジン、シャシー、乗り心地の3項目で、それぞれ★5つが満点。

 280台中、最高の14点を与えられた1台が、BMW R1200GSアドベンチャー。なるほど地の果てまで走れそうな雰囲気です。長旅に絶大の信頼を寄せられる相棒になるに違いありません。まさに、大人の選択と言っていいでしょう。欄外に、編集者コメントとして、ネックは、オプションのABSを付けると、16,000ユーロを超えるお値段だろうと、小さく記載されていました。


 そして14点が与えられた僅か2車種のうちのもう1台が、スズキGSX-R600。中間排気量が非常に高い人気の欧州ならではですが、各部に及ぶ設計の刷新が評価されたようです。


 因みに、280台の中でオヂさんが欲しいなぁと思ったのは、スズキVAN VAN125でした(得点圏外)。

2011年8月20日土曜日

猿?それとも犬?

 日本から訪ねて来た友人に調達を頼んでいたのが、これ。少数再販なので、なかなか欧州のマーケットにはまず見つからないのです。
 モンキーやゴリラと設計を同じくするカブ系エンジンですから、猿の仲間に違いないのに、名称は胴長のスタイルそのままのダックスです。キットは70ccの輸出モデル。原付のダックスは、モンキーと並んで、未だに根強い人気モデルですから、解説は不要でしょう。
 さてこの1/6ダックス70、いったいどうしましょうかね。フルノーマルがいちばん可愛らしいことは間違いありませんし、タンクと一体になったフレームを改造してしまうと、それだけで最早ダックスではなくなってしまいます。かといって、金に任せてタケガワ・パーツてんこ盛りの今どきカスタムは、オヂさんの趣味ではありません。
 しばらく箱を眺めて、あれこれ妄想してみることにしましょう。

再び巡礼の聖地へ

 先週、日本からやってきた友人と共に、再び巡礼者の聖地モン・サン・ミシェルを訪れました。2年越しの訪仏を果たした友人はしかし、日本のサラリーマンらしく中5泊という短い滞在。聖地への日帰り小旅行も、片道3時間半、到着直前の渋滞と駐車場の混雑で、現地滞在は正味4時間程度しかありませんでした。予想していたとは言え、細い坂の参道は、人また人で大賑わい。集客力抜群の世界遺産ですから、まあこの時季はそれなりの覚悟が必要ですね。


 気の進まない友人を、折角だからと半ば強引にテーブルにつかせて食したのが、聖地名物メレおばさんのオムレツ。なぜか単品で注文することが出来ず、前菜、デザート付きのコースで45ユーロ也。決して安くありません。ま、サイズはご覧のとおりで、特大です。肝心のお味は。。。どうぞご自身で体験してください。


 軍事模型が大好きな友人は、ノルマンディ地方の土の色や牧草の生え方、更には朽ち果てた家畜小屋などが、ジオラマ作りのイメージ作りに大いに役立ったようで、車窓から見える景色を、道中ずっと凝視していたそうな。それはそれでよかったよかった。