2012年5月28日月曜日

MB50Z (24)

 カウリングのスクラッチ製作において、最も厄介なのがフィッティング、即ちステー工作です。
 キットに含まれていたストックのビキニカウルは、フロントフォークからライトステーと同じように取り付けるタイプのもので、ハンドルを切るとカウルも一緒に首を振ります。
 しかし、大型化したカウルでは、そうする訳にはいきません。
 あれこれ考えた末に、フレームの隙間部分に僅かな三角形のスペースを見つけましたので、プラ板と3mmプラ棒で左右2本のステーを、ここから出すことにしました。ライターで炙って曲げながら、現場合わせで高さと幅を決めていきます。3mmプラ棒は相当丈夫で、どうやらこれ1箇所でもカウリングの重さを支えることが出来そうです。後に、フレームと同色に塗装することにしましょう。

 フィッティングの目処がついたので、タンク・シートを乗せてみて、全体のポスチャー(姿勢)を確認します。低く抑えたハンドルに合わせて、カウル自体も僅かに下がり、また、カウルの形状も下方向にボリュームを持たせたため、エンジン前方のスカスカ感が随分と埋められたのではないかと思います。

2012年5月20日日曜日

MB50Z (23)

 フロント・ウィンカーの工作です。
 キットのオリジナル・レンズ部品は、正方形で相当に大振りなもの。当時のモデルとしては珍しくないし、視認性も良好なのです。が、カッチョ悪いですね。
 そこで、レンズ中心部の美味しいところだけ使いたい。割れないように注意しながら、丸く切り出していきます。そして、レンズよりも僅かに大きく切り出したプラ板を土台にして、それに乗せました。

 フロント・カウルにあてがってみました。
 土台となるプラ板には、メタルックを貼り込みました。もちろん塗装前の仮組みなので、両面テープでくっつけているだけです。これでもまだ少し大きく、また、形も決してオシャレではありません。現代のモデルなら、少々ダサい感じと言ってもいいでしょう。でも、それが狙いなのです。30年前のバイクに、いかにも現代風のデザインをまとわせてしまっては、折角のノスタルジーが消えてしまうかもしれない。それを嫌ったのです。

2012年5月17日木曜日

MB50Z (22)

 ひと月半ぶりのプラモ製作再開です。このブランクで手先が不器用になっているかもしれません。
 さて、キットのアッパーカウルは形状的な加工をほぼ終えたので、グレーサフに続き、白サフを吹いて様子を見ています。
 エポパテを盛りつけた境目の段差や表面の荒れがまだ目立ちます。何と言ってもカウルはバイクの顔ですから、ここは根気よく修正していくことにしましょう。と言いつつ、面倒くさいので、そこそこのところで簡単に妥協しますけど。
 まだまだ先は長いです。

2012年5月12日土曜日

美しい村への旅情

 いつの時代も、フランスを訪れる旅人の数が後を絶つことはないでしょう。数々の魅力にあふれるフランスですが、実は、parisを離れた地方の名もなき小さな村にこそ、フランスの本当の豊かさを感じるのです。
 「フランスの最も美しい村」という任意団体があるそうな。人口2,000人以下で、かつ、遺産となる地形やモニュメントが2つ以上あって、なおかつ村議会にヤル気がある村にしか与えられない称号なのだとか。現在登録されている村の数は155。
 たっぷりの時間とお金を持って、小型のオープンカーか単気筒のバイクに乗って、まだ見知らぬ村を一つずつ訪れてみたい。そんな旅情に誘われるのも、陽気が良くなってきたからなのかもしれません。

http://www.les-plus-beaux-villages-de-france.org/

 因みに、日本にも「日本で最も美しい村連合」というのがあることを知りました。そりゃフランスとは少し趣は異なるのかもしれませんが、日本だってまだまだ捨てたもんじゃありません。どこか懐かしい日本人の美意識を思い出させてくれるような村造りに取り組む人たちには、心から頑張ってほしいと思います。

http://www.utsukushii-mura.jp/

 どうでしょう。旅情にかられていただけましたでしょうか。

2012年5月8日火曜日

普通のオジさんになりたい?

 「早く人間になりたい~」と言ったのは妖怪人間べム。「フツーの女の子になります!」といって解散したのはキャンディーズ。さて、大統領選挙直後の敗北宣言で、ムッシュ・サルコジは「普通のフランス人になります」と述べました。
 就任時に掲げた失業対策、景気対策などの重要政策は、いずれも看板倒れ。独のメルケルと組んで緊縮財政を強化し、最後には無理やり消費増税法案を議会に通したばかり。あれ?どこかの国の政権とダブりますね。
 思えば氏が政権運営にあたったここ数年は、ギリシャに端を発する欧州債務危機、ユーロの暴落など、誰がリーダーであっても経済を上向かせることは至難の技だったでしょう。多少同情的ですが、ですから普通に考えれば、自国民の雇用を守るため就労外国人を排斥したり失業保険を手厚くしたりという今回のマニフェストは受け入れられたはずで、一方、緊縮財政よりも景気向上で財政再建をはかるのだと半ば夢のような主張をするオランド候補は否定されてもおかしくなかった。
 でも、いくら現実的な主張を説いても、ムッシュ・サルコジはついに最後までフランス国民のハートを掴むことができませんでした。それは、自らがとんでもない金持ちであり、金持ち優遇政策であり、若くて綺麗な嫁をもらっているからでありと、不況にあえぐ庶民の目には、「普通」から最も遠いところにいるフランス人として映っていたに違いないからであろうと、新橋レベルの評論をすればそういうことだと思っているのです(当ブログは、趣味とお遊びのブログであって、政治コラムではありませんので、あしからず)。
 ともあれ、南国のビーチで上のような姿をパパラッチされる日本の首相なんて、今も昔もいるわけがありませんが、サルコジさん、果たして普通のオジさんになれますでしょうか。

2012年5月5日土曜日

ニッポンの風景(白のコントラスト)

 今から約ひと月前の東京。出迎えてくれたのは、満開のソメイヨシノでした。
 画像は、母が住む千葉県松戸市の丘、相模台公園です。関東ローム層の標本のような赤土に、四方からドーム状に覆いかぶさる白。きっと前日の日曜日は、大勢の花見客で埋め尽くされたのでしょう。人影もまばらな中、贅沢な思いで久し振りのニッポンのsakuraに見とれてしまいました。

 代わってこちらは、1枚目の写真から2日後の北海道は旭川郊外。屋根に積もった雪こそ落ちていますが、田畑は畦道を残してまだ真っ白。遠くにすっきりとそびえる大雪山系も真っ白です。
 小一時間ほど、玄関前に凍りついた残雪をスコップで壊して吐き出す「雪割り」作業をしました。親指に出来たマメの皮がめくれたのを見た家人に、「ペンより重いもの持たないからねぇ」と冷やかされ、北の国の厳しい暮らしの一端をあらためて実感。
 きっと今頃は、多くのライダーたちが、北海道の遅い春を求めて本州からやって来ている頃でしょう。

2012年5月3日木曜日

ニッポンの風景(東京下町編~その2)

 地下鉄の中吊りに誘われて出かけたのは、根津神社。
 毎年恒例のつつじ祭りが始まっていました。坂の多い根津~谷中界隈らしく、境内の斜面を上手く利用した借景が、見事に色付くのです。この日はまだ5~6分咲きといったところだったでしょうか。
 そうそう、日暮里駅に通じる帰り道の谷中の墓地では、噂にたがわず多くの猫たちが昼寝をしていました。それを目当てに猫好きの写真家たちがやって来るくらいなんですね。そういえばあの猫たち、単なる野良ネコにはとても見えません。堂々としていて、まるで墓守のようでもあり。


 こんどは丸ノ内線の茗荷谷駅から、なだらかな坂を下り、小さな印刷業者が並ぶ小道を歩くと、東大の付属施設である小石川植物園に行き当たります。広大な敷地には、さまざまな樹木や植物が生い茂り、また、それに集まるアゲハ蝶などを愛でながら、東京のど真ん中でしばし森林浴です。東京ドームシティからほんの僅かな距離とは思えませんね。
 仕事や喧騒にお疲れ気味かなぁと感じたときは、ほんの少し歩けば、脳内をアルファ波で満たすことができるのですから、東京もまだまだ捨てたものではありません。乙なものです。

 最後は、ニュース番組の街頭インタビューですっかりお馴染の、巣鴨とげぬき地蔵商店街。
 酔っ払いサラリーマンのご意見なら新橋のSL広場、買い物帰りのオバちゃんたちのご意見なら、ここです。間違いない。
 何がどうという商店街ではないのですが、長いのです。テクテク歩くと、端から端までゆうに20分くらいはあるでしょうか。抜けた先から、都営荒川線(いわゆる都電。チンチン電車です)に乗れば、これまた満点の下町風情も感じられるというものです。

2012年5月2日水曜日

ニッポンの風景(東京下町編)

 一時帰国で訪れた祖国ニッポンの風景を、いくつかご紹介していきましょう。
 先ずはご存知、東京の下町代表といっても過言ではない葛飾柴又。京成高砂から二駅しかない京成金町線に乗り換え、瓦屋根の駅舎を出れば、いつもは柴又にいないはずの寅さんが、いつでも人々を出迎えてくれます。イマ時の女の子たちも、ヤダーとか言いながら、しっかり寅さんと記念写真していました。

 駅前から、寅さんが産湯をつかったという帝釈天へ通じる参道には、お団子屋、おせんべい屋、つけもの屋など、昔ながらの古いお店が連なります。
 お天気に恵まれた割には、それほどの人出はありませんでしたし、中途半端な時間帯だったので、かねてから食べたかった川魚料理の店では、小上がりでゆっくりできました。冷たい生ビールには、ニッポンが誇るファーストフードである柳川鍋と、江戸川で獲れた鯉のあらいで舌鼓。絶品です。デザートは、別のお店で焼きたてのみたらし団子。これまた旨い。


 帝釈天から右に折れ、少年野球のユニフォームが眩しい江戸川の土手を少し歩くと、歌にもなった矢切りの渡しが今も元気に営業中です。
 対岸の千葉県側まで片道200円。この日は、対岸の乗り口そばから松戸駅にアクセスするバスが既に終了していたので、往復させてもらいました。
 何代目なのでしょう。寡黙に船を漕ぐ若い船頭さんはそれでも、どれくらいの水深なの?鯉はいるの?などというオヂさんの質問にも、丁寧に応えてくれる好青年でした。

2012年5月1日火曜日

Paris帰着

   つい今しがた、Parisに戻ってきました。
 5月に入り、こちらも春全開。気温は20度を超え、空の青さも深くなり、飛行機の羽越しに見降ろす菜の花畑の黄色とのコントラストが綺麗です。
 一時帰国中、いつも素敵なコメントをくださる迷走さんと初めてお目にかかり、新橋で時を忘れて飲み、楽しいひと時を過ごさせていただきました。まだお会いせぬYASUさんや、どろゑびす特急さんのことも話題にのぼりました。いつの日か、どこかで集いたいですねというお約束を胸に、再びparisから趣味のあれこれを発信して参ります。
 日本滞在中に訪れた懐かしい土地のことなども、随時紹介していくことにします。