2015年1月31日土曜日

1/24 トラバント601 (その2)

エンジンルームの工作です。
 エンジンが載ってもスカスカなのかなぁと思っていたら、これが意外に部品が多く、けっこうな密度があります。そこに、ミニマムのケーブルを配し、不足していたホーンなどもつけてあげました。小さいエンジンルームがこれだけ充実していれば、悪くありません。
 それにしても、ラジエターすらないんですね。これじゃあオーバーヒートが心配です。

これが実車のエンジン。

2015年1月28日水曜日

1/24 トラバント601 (その1)

 ランドローバーの完成を待ちきれず、次のお題に突入してしまいます。
 旧東独のアイドル(ほんまかいな)、トラバントです。
 言わずと知れた国民車、西独のVWビートルに対抗するべく、1958年から1991年までの33年間にわたり旧東独と周辺国の人々に愛されてきたトラバント。その歴史の中でも、64年以降の最も長期かつ280万台という最大生産台数を誇る、第三世代の601型が今回のお題です。
 エンジンは、空冷2ストローク2気筒600cc。2ドア・セダンのスタイリッシュなボディは、プラスチックに紙パルプの繊維を混ぜ込んだ素材で、しばしば「紙で出来た車」と呼ばれていました。
 実は私、トラバントが生産された最後の3年間、隣国のチェコ共和国に滞在していました。そのため、チェコ国内でもトラバントがまだまだ元気に走っていましたし、実際に乗ったこともあります。思い出も鮮やかな1台と言って良いでしょう。

さて、キットは、Revell社製の601sというもの。これは、ベルリンの壁崩壊から20周年を記念して2009年に開催されたイベントに合わせ、Revell社が小児がん撲滅キャンペーンの一環として、ライプツィヒ所在のアーチストたちとのコラボによるチャリティ企画に出品した貴重な一台。ベルリンの壁(マウアー)をイメージさせる楽しいペイントが、ボディ全面に施されています。今で言う痛車のはしりといったところでしょうか。どうぞ思いきり貼って下さいとばかりにデカールが同梱されているのですけど、無理、私のスキルでは到底きれいに貼れる訳がありません。

  キットの中身を確認します。まあ何とも潔い。タイヤと透明部品以外は、白一色です。そして、思いのほか部品点数が多いなぁという印象。ちゃんとエンジンもスペアタイヤもついていますし、ボンネットやトランクも開閉できそうです。

そして、箱には小児がん撲滅基金のパンフレットと、可愛らしいステッカーが入っていました。このキットのお買い上げ代金から自動的に2.50ユーロが、基金に寄付されるとのこと。取説の最初の頁には、「30年前のドイツでは、小児がんと診断されるのは死刑宣告にほぼ等しい状況でしたが、こうしたチャリティ活動により小児がんセンターが設立されるなど医療体制の目覚ましい改善が図られた結果、現在では80%の患者がその小さな命を救われるまでになりました。この基金の運営には、公的資金は一切投じられておらず、すべて市民からの募金によっています。」と解説しています。
 私も、ただプラモを買っただけなのに、なにやら少しだけ良いことをしたようで、清々しい気分になります。

そういえば我が家には、崩壊したベルリンの壁の欠片があります。まだ壁があった頃と、なくなった後と、それぞれ一度ずつベルリンを訪れたことがあるのです。東西境界線の検問所チェックポイント・チャーリーや、ブランデンブルグ門、そして四角四面で無味乾燥な印象を覚えた東側の街並みなどを思い出しながら、魅力たっぷりのトラバントを作ってみることにしましょう。

2015年1月27日火曜日

1/24 Landrover 109LWB (その9)

 ランドローバーの車体は、ミラーなどごく一部のパーツを除き、98%くらい完成しています。ある程度の汚しも施しました。でも、まだ勿体つけて画像は載せません。
 さて、完成前に、荷室とルーフ・キャリアが折角ついているのにガラ空きでは寂しいと思い、積荷を作ることにしました。

  これは、段ボール箱の展開図です。あこぎなイタレリ社はこんなものまで売っているのです。ならばとフランスにある馴染みのプラモ屋のwebサイトから画像をそおっと拝借し、適当な大きさに拡大して印刷しました。内緒です。
 1950年代と言えば、工業のめざましい発達に伴い、梱包具はそれまでの木箱から段ボール箱に取って代わられ、貿易・流通の劇的な拡大に多大の貢献をしたのだとか。

普通紙に印刷したテンプレートを厚紙に貼りつけ、組み立ててみました。TEXACOやSHELLといった石油関連企業のロゴが入っていて、とてもリアルです。

試しに、荷室に積み込んでみました。
 ついでに、スペアタイヤ、ジェリカン、ドラムに巻き付けた電気コードのようなものをあしらってみると、ぐっと雰囲気が出てきました。更にロープやウェスなども追加してみようかと、楽しい妄想が広がります。
 因みに、車体に貼られたステッカーのGBは、グレートブリテン、英国から持ち込まれた車両であることを物語っています。

2015年1月25日日曜日

1/24 Landrover 109LWB (その8)

 ランドローバーの製作も終盤にさしかかっています。
 両サイドのドアにはロゴ・プレートを貼りつけました。60年以上前のケニアに、現代のようなクオリティのステッカーが普通に作れたとは到底思えませんから、薄い鉄板に見立てた0.3mmプラ板に自作デカールを貼り付けて、両面テープでボディにくっつけてあります。プレートの縁はシルバーで着色して金属っぽさを求めました。
 肝心のロゴ「TUSKER」は、ケニアで創業1922年という老舗酒造会社の看板商品のビールで、今でもケニアだけでなく広く東アフリカ各国で販売されており、その売り上げはアフリカ最大を誇ります。なんでも、創業者(もちろん白人)が象のハンティングに行き事故死したことにちなんで、ラベルに象のイラストが描かれたんだとか。
 私もケニアに滞在していた当時は、ほぼ毎日のようにTUSKERビールを飲んでいました。口当たりが軽く、飲み易い。ゴルフやテニスで汗を流したあとのTUSKERは、最高でした。
 ただ、ときどき気が抜けていたり、不純物が混じっているためそれがボトルの中で腐食したりしているものがあって、だから現地に暮らす人は、飲む前には必ず瓶を陽に透かして中身を確かめていました。もちろん、無料で交換してくれます。

 さて、この車の持ち主は、どうやらTUSKERの関係者ということのようです。ひょっとしたらビールだけじゃなく、ケニアの特産品であるコーヒー豆や紅茶の輸出にも携わっていたのかもしれません。ドアにはナイロビ、モンバサという文字が書かれていることから、港町モンバサに構えた輸出拠点との間を行き来していたのでしょう。ナイロビからモンバサまで陸路約500km。50年代当時は道路の整備も行き届いておらず、長く、険しい道程だったに違いありません。ランドローバーは、そんなヘヴィなデューティをきっと難なくこなしていたことでしょう。

2015年1月21日水曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その7)

合いが悪く段差が生じていたアッパーとロワーの両ボディ、謎の調整を経て縦方向のズレは解消しました。そして、ハッチ開口部のズレをなくして上下を確実に接着するため、突っ張り棒のようなプラ材をロワー側に噛ませ、僅かに幅を広げた状態を保持しながら接着しました。

丸2日かけて乾燥を待ち、突っ張り棒を外せば、目論見通り、うまいことくっついてくれました。まだハッチが完全に閉まりませんけど、チリ合わせをすれば何とかなるでしょう。

車輪をつけたシャシーにボディを載せてみたところ。モスグリーンとホワイトのツートン・カラーが案外お気に入りです。ボディを仕上げてからシャシーを接着することにしましょう。
 先が見えてきて、ちょっと喜んでおります。

2015年1月18日日曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その6)

荷室の内装を塗装したあとに、度重なる荷物の出し入れで塗装が剥げ落ちた個所にウェザリングを施し、更にその上から汚してみました。 光の関係で鉄色に見えますけど、塗色は実はモスグリーンです。

木箱などの荷物を積み込む際にフロアを傷つけないようにと、養生の布を敷きたいと思い、あれこれマテリアルを試しています。
 これは、アルミホイルにホワイトサフを吹いて、少し汚したもの。素材の固さが見た目に残ってしまい、布らしい柔らかな感触が表現できていません。もう少し試行錯誤してみることにします。

2015年1月17日土曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その5)

工作がたいして進んでいないときは、えてして写真を多めに掲載して誤魔化すことにしています。
 ボディ全体にサフを吹き、アッパーボディを接着してからでは手が届かなくなる内装を先ずは仕上げています。

金網を張ったパーティションを除き、追加したパーツはありません。三人掛けの簡素なシートは、ビニールレザーの表皮が退色したみたいに見えるよう、軽くペーパーをあてました。当時の車にはシートベルトなど付いていたのでしょうか。調べても分りませんでした(ので省略)。

メーターはデカールではなく、インパネのパーツ自体に目盛と数字のモールドが施されています。細い筆の先に僅かにシルバーを含ませて、表面をさぁっとなぞるように塗装しました。これ以上の深追いは禁物です。

2015年1月13日火曜日

ミリタリー模型に思うことなど

 今さら告白するまでもなく、私も世にあまたいるカムバック・モデラーの一人でして、模型製作を再開してから早6年ほどが経ちました。
 少年の頃から好きだったバイクへの思いは、大人になり、転勤を繰り返す環境を言い訳に乗らなくなってしまった今もなお、薄れることはありません。だから、せめて模型の世界で冷めやらぬ思いを慰めようとスタートしたのは、老眼にも優しい1/6スケールのバイク・プラモデルでした。
 いつの日か自分が乗ってみたいと憧れていたマシンたち、もし自分が所有できるとしたらきっとこんなふうにカスタムするだろうという妄想を胸いっぱいに膨らませ、様々なモデルを手掛けてきました。モンキーからリッターバイク、果ては実車だったらまず選択しないであろうオフロード車やGPレーサーにまで枠を広げてみました。その結果、どんなバイクであってもそれぞれの魅力がたっぷりと詰まっており、夜な夜な私を癒し、楽しませてくれるに十分な魅力を持っていることを、あらためて気付かせてくれました。

 そんな折、車やプラモデルといった「男の子」の部分を共有できる友人の影響もあり、前作において思いがけずミリタリーのジャンルにちょっとだけ足を踏み入れました。いわゆる「沼」ですな。
 正直なところ、軍事モノに対して私はこれまでネガティブな印象を持っていました。つまり、それを趣味にすることによって、あたかも自分は戦争を肯定することになるのではないか、しかも、かつて多数の同朋の命を奪った敵軍の戦艦や戦闘機を、ただカッコ良いからといって作ることに喜びを見出す自分を想像するとき、少なからぬ背徳感を覚えるに違いない。戦争を知らない私でも、そんな誤魔化しようのない躊躇いがありました。今もそれは完全に消えたわけではありません。

 ただ、図らずも、ミリタリー模型を作るにあたっては留意しなければならない数多くの縛りがあることを、初めて知ることになるのです。即ち、年代や軍の国籍にとどまらず、どの部隊のどの作戦においてどのように使われたものであるかを設定し、更にそれは具体的にどの地であって、その際の戦況はどうであったか、実際のその場所の地質(土の色)や地形はどうであったのか、森にひそみ、或いは渓流を渡ったのか等々。。。(余談ですが、後戻りできない決断のことを例えて「ルビコン川を渡る」と言いますが、あれは古代ローマ時代にジュリアス・シーザーが川を越えて進軍したことに由来しているって、ご存知でしたか?)

 こうした背景設定を、装備品や汚しやダメージといった手法を駆使して、製作する模型にことごとく忠実に反映させる。本来それは、模型にリアリティを持たせるための工夫であるのでしょう。しかし同時に、そのように事実関係を詳細にスタディし、なるべく「嘘」のない姿を再現することは、ある意味誠実に歴史に向き合う行為であるとも言えるのではないか。そう考えることによって、先に述べた背徳感から少しだけ救われる気がするのです。

 なお、船、飛行機、車、バイクといったいずれの乗り物も、軍事開発を通じて飛躍的に進歩を遂げ、広く世界の発展に貢献してきていることもまた、否定しがたい事実でしょう。特に、車やバイクといった好きな乗り物であればなおさら、たとえ軍用であったとしても、いや、逆に軍用であるからこそ機能のみが形になったところの「美しさ」は格別で、男の子として看過し得ない魅力に溢れており、理性的にいるだけというわけにはいかないのです。

 こんなふうなことをつらつらと思いながら、今後手掛ける作品においては、二輪/四輪を問わず、時代背景やそれが使われた土地、果ては当時の人々の暮らしぶりなどといった物語をなるべく具体的にイメージし、またそれをお伝えしていきたいと考えています。

これは、イタリア(フィアット社)製の豆戦車CV33カーロヴェローチェ。最高速40km/hを誇る高速車両で、2000台が生産されたとか。表現は不適切かもしれませんが、小さくて可愛いです。

2015年1月11日日曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その4)

網戸の切れっぱしを見つけてきました。夏場のローマは、日本以上に蚊が出ますから網戸は欠かせないのですけど、こちらのアパートの窓は日本の様なスライド式ではなく観音開きが一般的であるため、既製品の網戸というのは存在しません。DIY店では、ネットとマジックテープがセットになったものが売っているので、これを適宜切って窓枠などに貼りつけるわけです。
 話が逸れました。かまぼこ型に切り出したプラ板のフレーム2枚にネットを挟んで接着、ホワイトを吹きつけました。

1mm真鍮線を2本くっつけて、こんなふうにセットしました。キャビンと荷室の間を隔てるパーティションに見立てた次第。これも、車のセキュリティ対策の一環です。現地の修理工に特注で作らせたものなので、仕上がり具合はこんなもんでしょう。

2015年1月8日木曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その3)

 1950年代の東アフリカ。英国による植民支配の中心として栄えたケニアのナイロビが、今回の作品の背景舞台と設定しました。市販から間もないランドローバーは、サバンナの大地でその能力を存分に発揮したことでしょう。
 入植白人により広大な土地と資源を剥奪された黒人たちはしかし、キクユ族を中心とする秘密結社マウマウ団を結成、自分たちの手に土地を取り戻すための抗争が国内外で激化します(ちなみにケニアの独立は1963年)。
 本国から輸送した車両を乗り回し、それまで我がもの顔で大規模農場や商業で富を築いてきた英国人は、黒人による襲撃、車両や物資の略奪行為に備え、ライフルなどの銃器で常時武装し、細心の警戒をもって暮らす毎日だったに違いありません。
 
そんな考察を踏まえて、作品の車両についても、荷室のサイド・ウィンドーと、リアハッチの窓に、鉄製のバーグラー・バーを設置しました。荷物の略奪を防ぐためです。後付けで粗っぽく溶接されたものであることを表現するため、ボディとの接着部にはたっぷりとセメントを流し、プラ材を溶かしながら先端の尖った道具で溶接個所を波立たせます。
 キャビンの窓は防ぎようがないものの、助手席には武装した黒人ガードマンを乗せていたと考えられます。勿論、十分な報酬で手なずけているとはいえ、いつ寝返るか分からないリスクを覚悟してのことです。
 この車両を、きれいに仕上げるつもりは全くありません。震え上がるような雷鳴と共に叩きつけるように降る雨期のスコールで、未舗装の道路は粘土質の赤土がたちまちぬかるみ、波打つのです。

2015年1月6日火曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その2)

昨日、仕事始めで出勤したばかりなのに、今日はこちらの祭日でお休みです。長い休暇明けとしては有難い。
 てなことで、ボディ上部と一体だったリアハッチを切り離して、開閉ギミックを作っています。アルミ板のヒンジと、L字に曲げた真鍮線のピンというシンプルな構造です。

ボディ側2か所にもヒンジを接着し、ピンを上から差し込むのは実車とよく似た作り。更に、ボディ内側にはプラ板でハッチの受けを施しました。
 しかし、ここで問題発生です。上部ボディからハッチを切り離した結果、ボディが開いてしまい大きく歪んでおり、ハッチのラインがずれてしまいました。まあでもここは、無理くり接着してしまえば何とかなると思います。

更に厄介なのが、これ。インストどおりに仮組みしてみると、ボディ上下がこんなにずれてしまいます。2mmほどでしょうか。実寸換算では48mm。最早、「合いが悪い」という表現の域を超えていて、ちょっとやそっとじゃ何とかなりそうもありません。やってくれるなぁ、イタレリ。
 どーしましょう。このまま闇の倉庫行きという言葉が頭をよぎります。

2015年1月3日土曜日

1/24 Landrover 109 LWB (その1)

2015年最初の模型製作は、昨年に引き続き1/24スケールの四輪をチョイスしました。これにはちょっとした理由があって、昨年末に完成した前作のウィリス・ジープを模して、1940年代後半に設計されたのがランドローバーの始まりとされているからです。
 軍事用、民間用の双方に生産された本格的な四輪駆動車は、悪路での走破性や耐久性といった基本性能において、現在もなお世界のトップクラスにあると言えるでしょう(もっとも、インドのタタ社傘下に吸収されてしまったことで、英国王室御用達の看板が大きく権威を落としたことも否めませんが。)。
 特に、大戦後、アフリカの砂漠地域をパトロールする用途のために作られた「ピンク・パンサー」は、今でも多くのファンを持つモデルとして知られています。
 

ピンクパンサー。 確かにカッコ良いです。でも、作る気がしません(ていうか無理)。

さて、キットに戻りましょう。車種の109は、全長が109インチであることを表しています。箱絵では、サファリ・トップといわれる丈夫なルーフに、何やら重そうな荷物を積んでいるうえに、ボディにはこれでもかというほどの汚れと錆。こんなに汚く作る必要があるのだろうか。
 箱を空けると、部品点数はこんなものなのでしょうか。割とスカスカです。申し訳程度に、ライオンの顔をデザインしたデカールが見えます。

先ずは、インストに従ってシャシーと下回りをカチャカチャと組んでみました。シンプルな構造ゆえに、僅かな塗り分けを施したとしても、実に簡単です。
 梯子みたいなシャシーに四つの板バネとダンパー。なるほどウィリス・ジープにそっくりです。でも、オイルパンとギアボックスはあるものの、エンジン本体がどこにも見当たりません。そーなのぉ。走らないじゃ~ん。

ボディに目を移します。上下2ピースに分割されたボディは、フロントの窓枠が内側に歪んでいます。わざとなのか。それとも変形しているのか。エンジンがないのなら、ボンネットを開閉式にする必要はありませんが、ドアはどうするか。

リア・ハッチはルーフ側のパーツと一体です。こちらも歪んでいて、ピッタリ合いません。せめてここだけは開くようにするのか。
 前途多難そうな予感を振り払って、今回も、さっと作ってしまいたい。1950年代、東アフリカに一攫千金を求めて渡ってきた英国商人が、独立前の現地でどれだけブイブイいわせていたか。以前、東アフリカ2カ国に計6年ほど住んでいた経験を思い出しつつ、そんな想像を働かせながらの工作になるでしょう。

2015年1月1日木曜日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。
 旧年中は拙ブログを飽きることなくご覧いただき、ありがとうございました。2015年も引き続きお楽しみいただけるよう、模型製作、ローマの暮らしなどについて紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 実は私、ビッグなお年玉をいただきました。なんと雑誌Bikers Station新年号の表紙を、私の模型作品が飾ることになりました。
 
 
なんちゃって。新年早々、嘘八百であります。賀状をお送りすることができないブログ読者の方々に、賀状に代えてアップいたしました。