2015年1月13日火曜日

ミリタリー模型に思うことなど

 今さら告白するまでもなく、私も世にあまたいるカムバック・モデラーの一人でして、模型製作を再開してから早6年ほどが経ちました。
 少年の頃から好きだったバイクへの思いは、大人になり、転勤を繰り返す環境を言い訳に乗らなくなってしまった今もなお、薄れることはありません。だから、せめて模型の世界で冷めやらぬ思いを慰めようとスタートしたのは、老眼にも優しい1/6スケールのバイク・プラモデルでした。
 いつの日か自分が乗ってみたいと憧れていたマシンたち、もし自分が所有できるとしたらきっとこんなふうにカスタムするだろうという妄想を胸いっぱいに膨らませ、様々なモデルを手掛けてきました。モンキーからリッターバイク、果ては実車だったらまず選択しないであろうオフロード車やGPレーサーにまで枠を広げてみました。その結果、どんなバイクであってもそれぞれの魅力がたっぷりと詰まっており、夜な夜な私を癒し、楽しませてくれるに十分な魅力を持っていることを、あらためて気付かせてくれました。

 そんな折、車やプラモデルといった「男の子」の部分を共有できる友人の影響もあり、前作において思いがけずミリタリーのジャンルにちょっとだけ足を踏み入れました。いわゆる「沼」ですな。
 正直なところ、軍事モノに対して私はこれまでネガティブな印象を持っていました。つまり、それを趣味にすることによって、あたかも自分は戦争を肯定することになるのではないか、しかも、かつて多数の同朋の命を奪った敵軍の戦艦や戦闘機を、ただカッコ良いからといって作ることに喜びを見出す自分を想像するとき、少なからぬ背徳感を覚えるに違いない。戦争を知らない私でも、そんな誤魔化しようのない躊躇いがありました。今もそれは完全に消えたわけではありません。

 ただ、図らずも、ミリタリー模型を作るにあたっては留意しなければならない数多くの縛りがあることを、初めて知ることになるのです。即ち、年代や軍の国籍にとどまらず、どの部隊のどの作戦においてどのように使われたものであるかを設定し、更にそれは具体的にどの地であって、その際の戦況はどうであったか、実際のその場所の地質(土の色)や地形はどうであったのか、森にひそみ、或いは渓流を渡ったのか等々。。。(余談ですが、後戻りできない決断のことを例えて「ルビコン川を渡る」と言いますが、あれは古代ローマ時代にジュリアス・シーザーが川を越えて進軍したことに由来しているって、ご存知でしたか?)

 こうした背景設定を、装備品や汚しやダメージといった手法を駆使して、製作する模型にことごとく忠実に反映させる。本来それは、模型にリアリティを持たせるための工夫であるのでしょう。しかし同時に、そのように事実関係を詳細にスタディし、なるべく「嘘」のない姿を再現することは、ある意味誠実に歴史に向き合う行為であるとも言えるのではないか。そう考えることによって、先に述べた背徳感から少しだけ救われる気がするのです。

 なお、船、飛行機、車、バイクといったいずれの乗り物も、軍事開発を通じて飛躍的に進歩を遂げ、広く世界の発展に貢献してきていることもまた、否定しがたい事実でしょう。特に、車やバイクといった好きな乗り物であればなおさら、たとえ軍用であったとしても、いや、逆に軍用であるからこそ機能のみが形になったところの「美しさ」は格別で、男の子として看過し得ない魅力に溢れており、理性的にいるだけというわけにはいかないのです。

 こんなふうなことをつらつらと思いながら、今後手掛ける作品においては、二輪/四輪を問わず、時代背景やそれが使われた土地、果ては当時の人々の暮らしぶりなどといった物語をなるべく具体的にイメージし、またそれをお伝えしていきたいと考えています。

これは、イタリア(フィアット社)製の豆戦車CV33カーロヴェローチェ。最高速40km/hを誇る高速車両で、2000台が生産されたとか。表現は不適切かもしれませんが、小さくて可愛いです。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

gallina

みやっちさん同様に、自分も出戻りモデラーでかれこれ七年ぐらいになります。当時ハミリタリーモデル、特に戦車専門でした。何故か、あぁ~この戦車はどれだけ建物を破壊し、人の命を奪ったのだろうか? なんか、しらけてしまってしばらくは、距離を置きました。他のジャンルにも興味がありましたし、食わず嫌いはよくありませんしね(笑) でもドイツ四号戦車は好きで昔作った物が、4台ほどあります。
いろんなことを、想像しながらの模型製作は実に楽しいし、奥深いですね。
自分の製作中のCBレーサーも、整備士の気分で、当時を想像しながら製作します(笑)

迷走 さんのコメント...

何も考えずに無邪気に戦車や戦闘機を夢中で組み立てていた子供時代は、いま振り返れば本当に幸せでした。私も特に小火器、特にハンドガンが大好きで、いまもモデルガンやガスガンの少なからぬコレクションが手元にあります。そして特に大戦時のハンドガンに関しては、みやっちさんと全く同じように、いくら趣味とは言え、こうしたモデルを愛でて良いモノかと、それは平和ボケした日本国内であるからと言って許されることなのか、と自身に問いかける気持ちがあります。ですが、ふとこうした武器や兵器といったモノが生まれなければ軟弱な人は、野生の獣にさえ太刀打ち不可能であった歴史を振り返ってみたり、また、先人の知恵を後世に伝える……と言うような意義を見出そうとしてみたり、はたまた刃物や包丁でさえ、使う側=人の意識と気持ちの問題であり、要はモノそのものは悪くないのだと良い訳してみたりしています。こうした時代にあって、化石燃料を盛大に消費し、それを有害なガスに代えて大気中にまき散らす行為も、もはや確信犯として行っています。今回のエントリ、大変興味深く拝読させていただきました。また新橋ででもゆっくり話の続きがしたいです。

みやっち さんのコメント...

>gallinaさん
やはり同じような気持ちになるのですね。自分だけじゃないんだと、少し安心しました。CBレーサー、楽しく拝見していますよ。

みやっち さんのコメント...

>迷走さん
モノそのものは悪くない。その通りですね。肝心なのは、それを人間がどう使うか、又は使いすぎないか、ということなのでしょう。私もモデルガン大好きでした。パイソンとかガバメントとか。新橋での再会、果たしましょうぞ。