2022年1月25日火曜日

LA生活開始5(映画の中の街で英語のお勉強)


 LAに来て10日がすぎたのだが、住む家がまだ見つからない。既に10件ほど内見しただろうか。いずれも帯に短しタスキに長しというやつで、これという物件に当たってない。まあ、かくなる上は、ダウンタウンの短期アパートに2ヶ月ほど身を置いて、腰を据えて探す方向に舵を切るかリトル東京のホテルから職場のあるビルまで歩いて15分ほど。歩き始めてすぐのところで、右手にシテイホール(市役所)、道路を挟んだ対面にはロス市警(LAPD)がある。そう、幾多の映画の舞台となってきた街に住んでいるのだと実感する。なんだか不思議。


 こちらへ来てから急速に、かつ大量に英語で喋る毎日となつた。ふーんとか、へーえとか思う表現に少し戸惑うことも。お持ち帰りはtake awayではなくto goという。高速道路はhighwayではなくfreeway。チョコレートのGodivaはゴダイバと読むし、家具のIKEAはアイケアだ。面白いな。

2022年1月21日金曜日

LA生活開始4(ステップ・バイ・ステップ)

  LAに来てちょうど1週間が過ぎた。引き続きホテル暮らしの身ではあるものの、無駄な時間はほとんどなく、階段を一つずつ上るように、チェスの駒を一手ずつ進めるように、アメリカ生活の足場を整えつつある。

 SIMカードを秒で調達した。口座を開けた銀行のデビットカードが届き、アクティベートしたので、これで使えるようになった。Uberに日本のクレジットカードを登録して使ったら二日目から支払い方法として拒否されたが、カード会社がセキュリティのためにロックをかけたことが判明し、無事解除してもらった。叔母との再会を果たした。USマツダから車をリースするべく見積もりを依頼した。条件が合えば、晴れてCX-5がアメリカでの相棒になる。PCや会議用アプリの設定が済んだ。ITリテラシーの低いオジサン世代にとっては難関なのである。名刺が手元に届き、前任との仕事の引き継ぎも無事終えた。管轄地域の駐在員へ挨拶メールを送った。

 残る最大の課題は家探しだ。先週はダウンタウン、昨日今日はドジャースタジアムのある丘を回り込んでパサデナ、バーバンクといったダウンタウンの北の郊外に、明日はカルバーシティやマリーナデルレイなど西の郊外に物件の内見に行く。いずれも2ベッドルームで家賃3,000から3,500ドルのレンジがターゲットだが、街の雰囲気、住民層、ゲートやフェンスといったセキュリティがやはり最優先され、次いで通勤の所要時間、買い物の便利さ、海までの距離、叔母の家からの距離を考慮することになる。もっとも、細君の合意が不可欠であるのは言うまでもない。

 何事も焦らず、騒がず、一つずつ着実に。。。ああ、ゴルフがしたいなぁ。



2022年1月18日火曜日

LA生活開始3(祖国を失った家族との再接続)

  実は私には、LAに住む叔母とその家族がいる。LAで叔母に会うのは、私がまだ新婚で子供ができる前、今から約27年前に旅行で訪ねてきて以来だ。一昨日、お互い歳をとったものの当時とそれほど変わらない笑顔で、私の再訪を迎えてくれた。

 亡き父の妹である叔母は今から約60年前、日本を代表する航空会社に勤務していた。駐留米国軍人を交えた社内イベントで、丁寧な日本語を話すひとりの軍人と知り合ったそうだ。数年後、浅黒い肌とくるくるカールした髪を持つ赤ん坊を抱いて実家を訪ねると、親から売国奴と叫ばれ、足蹴にされて実家を叩き出されたと言う。子供の父親は黒人だった。

 渡米後、裁縫に覚えのあった叔母は、ビバリーヒルズの金持ちを顧客につかみ、ウェディングドレスやパーティドレスを縫って生活費を稼ぎ、3人の息子を育て上げた。この間、日本の家族の誰からの援助もなく、その後も日本国籍を離脱したことが理由で遺産相続さえ配分されなかったそうだ。既に齢80を越える叔母は持ち家を人に賃貸し、年金と家賃収入で犬2匹と共に優雅な隠遁生活、長男はLAPD(ロス市警)を定年まで勤め上げた警察官、次男は著名な企業の幹部、三男はワシントンDCで弁護士として今も現役で働いている。どこからどう見ても立派な家族だ。だが生まれ育った実家から追い払われ、親戚付き合いさえ許されず、祖国を失ってから半世紀以上の間、叔母と米国の家族は日本から断絶されていた。息子たちの体には半分日本人の血が流れ、私と同じDNAを受け継いでいるというのに。

 どんな因果か、私がLAにやって来たことによって、断絶された家族が再び接続されようとしている。自身のルーツやファミリーを何より大切なものと捉えるアメリカ人にとって、これ以上のことはないのだろう。私が妹から送られてきた実家の古い写真を見せると、長年堪えてきた涙が叔母の目から自然に溢れてくるのでした。「こっちでの生活で困ったことがあったら何でも言ってね。家族なんだから」。

 うん、ありがとう叔母さん。なんなら車1台くらいもらえないかな。

2022年1月17日月曜日

LA生活開始2(リトル東京に池袋を偲ぶ)

  ロサンゼルスのダウンタウン、リトル東京のど真ん中のホテルでLA生活4日目を迎えている。日曜日の昨日は、食料品の買い出しに10分だけ外出した以外は、ずっとホテルでゴロゴロした。そういえば、これほどのんびりした日曜日を過ごしたのは、いったいどれくらいぶりのことだろう。なんだかんだと心も身体も疲れ切っていたのだろう。ベッドが本当に心地良い。

 11階の窓からは、数ブロック先に高層オフィス街が見える。目の前は駐車場ビルの屋上で若者たちがスケートボードをしたり、自分の車の前でポーズを決めて写真を撮ったりと、思い思いに遊ぶ姿が見える。ビルの壁にはラクガキ、遠くからはパトカーのサイレン、もう半袖どころかタンクトップではしゃぐギャルたち、ちょっと離れた薄暗い袋小路にはホームレスも。佐野元春の昔の曲が頭をよぎる(伝わるかなぁ)。そして眼下には、居酒屋、ラーメン屋、たこ焼き屋などの軒先もチラリと。さっき行ったスーパーでは、日本のあらゆる食料品が売っていた。稲荷弁当7ドル、おにぎり1.99ドル、かっぱえびせん、缶ビールなどを瞬時に買い込み、サブカルの店目当ての人手で賑わう小径からさっさとホテルに戻ってきた。

 ん?どこかに似てないか?辛子明太子のおにぎりを頬張りながら、ふと感じた懐かしさ。そう、ここリトル東京は、オッサン世代と若者世代の双方を擁する私のホームグラウンド、池袋によく似ているのだ。そう思うと、俄然嬉しくなってきた。職場はここから歩いても行ける距離にある。仕事の帰りにちょっと寄って、たこ焼きか餃子でビール1杯だけひっかけて帰る、そんなライフスタイルすら浮かんでこようというもんだ。

LA生活開始1

  12日夜9時、自宅を後にしカイロ空港を飛び立ってから実に26時間余りの旅を終え、ロサンゼルス空港に降り立った。時刻は昼過ぎ、気温は20℃弱といったところか。今まさに、アメリカ西海岸での新たな生活が始まろうという瞬間。とは言え、年男にこの長旅は正直過酷だ。HPは限りなくゼロに近い。

 離任前に色々ありすぎたんだ。船便で送る引越し荷物の荷造り、後任との引き継ぎと挨拶回り、送別ゴルフに連日の飲み。そこまでは想定の範囲内。違ったのは、出発1週間前に後任が濃厚接触者になり、後任と接触のあった私が濃厚接種疑いの圏内に。折りしも疲れが溜まってうっすらと風邪気味だったところに感染の可能性が重なり、激弱のメンタルを最高水準で刺激されたもんだから、なんなら微熱と頭痛に見舞われた。フライト前日に不安レベルMAXで受けたPCR検査の結果が出るまでは、本当に生きた心地がしなかった。よもや陽性判定が出るようなことがあれば、自分の赴任が遅れるだけでは済まない。その具体的な影響をシミュレートすることさえ怖かった。心も身体もズタボロ。ゴルフ仲間たちの優しさが身に染みた。

 そんなふうに、すったもんだでエジプトを発ったのに比べて、ロス到着時には陰性証明などの審査すらヌルッと素通りできちゃうくらいの緩さで、すっかり拍子抜け。高層オフィスビルが立ち並ぶダウンタウンには、リトル東京と呼ばれる地区があるが、その真ん中にある都ホテルが当面の宿。荷物を部屋に放り込んで、銀行口座開設など優先度の高いことだけその日のうちに済ませると、夜は新たな職場の前任者と居酒屋で一杯。生ビールも麒麟かアサヒを選べるとは、なんという贅沢。入店時に接種証明の提示を求められ、逆に安心。LA生活初日は、こうして穏やかにスタートしたのでした。



2022年1月4日火曜日

エジプト在留邦人のオアシス「牧野」レストラン

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 お正月三が日の最後の昨日、ゴルフの打ち初めの後は、いつものようにザマレク地区に所在するヒルトンホテルに、日本レストラン「牧野」を目指します。カイロ在住だけでなく、エジプトの地方都市に様々な目的で暮らす日本人にとって、レストラン牧野はまさに砂漠に見つけた心のオアシス。乾いた心を潤すように、駒水シェフが懐かしい日本の味で優しくおもてなししてくれます。

 この駒水シェフ、毎週カイロから片道2時間以上をかけて、運河で有名なスエズやアレキサンドリアといった魚港を訪れ、自身の目で確かめた新鮮な魚介類を仕入れてきては、エジプト国内で調達できる食材を駆使して見事に和風のメニューに仕立てます。

 三ヶ日限定というお正月「祝膳」は既に売り切れでしたけど、残り物のお節料理を小鉢に並べて出してくれました。持ち込んだ焼酎のお湯割りをちびちびとやりながら、異口同音に「やっぱこれだな」と膝を打つおじさん達3名。正直、ゴルフと牧野がなかったら、エジプト生活を心身ともに健康に過ごしてくることは到底かなわなかったでしょう。本当にありがとう。本年もお店の益々のご繁栄をお祈り申し上げます。

2022年1月2日日曜日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。