2016年10月30日日曜日

モンタルチーノのワイン祭り

 冬時間となった30日の朝、またまたイタリア中部は大きな地震に見舞われました。ペルージャ県ノルチャ村で負傷者20名を出したM6.6の地震は、ローマでもかなり強い(おそらく震度3ないし4)揺れを感じたそうです。
 「そうです」と他人事のように言ったのは、実はこの日、モンタルチーノのワイン祭りに早朝から出かけ、地震発生の時間はツアーバスの中でしたので、感じることはありませんでした。
 さて、地震のことは心配なのですが、心配ばかりしていても暗くなりますので、ワイン祭りのお話をしましょう。

 ローマからフィレンツェに向かう高速を途中で降り、一般道でシエナ方面へと向かうと、モンテプルチャーノなどの村を通過して約2時間半で、小高い丘の上にあるモンタルチーノ村に到着しました。トスカーナ地方のど真ん中、村の周辺は、こんなブドウ畑が延々と続く丘陵地帯です。
 ブドウはとうに収穫を終え、この時期は枝に残った葉が黄色く色づいて大地を明るく染め、息を飲む美しさです。
  モンタルチーノ村の城壁の入口。手前に停めたバスから歩いてアプローチします。
  村の入口では、キアニーナ牛と老人たちが迎えてくれました。
  村の目抜き通りでは、中世の衣装をまとった一団が、鳴り物と共にちょうど行進しているところでした。
 この伝統のお祭りは、正確には「(鳥の)ツグミ祭り」と呼ばれ、毎年10月の最終日曜日に行われます。60年ほどの歴史を持つとされるこのお祭り、実は中世の時代に、長い猟から村に帰ってきた狩人の夫たちを、村の女たちが収穫物を調理してふるまい、村人みんなでブドウ酒でお祝いしたというのが起源だとか。
  さて、村には何軒あるか分からないくらいのエノテカ(酒屋)があります。日よけに書かれた文字のとおり、「ブルネロ・ディ・モンタルチーノ」と「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」という2種類の赤ワインが、イタリアではつとに名が知れています。
 特に、ブルネロ・ディ・モンタルチーノは、樽の中で4年間たっぷり熟成させてから瓶詰されるワインで、従って今売っているいちばん新しいものは2012年ということになります。せっかくなので、1本だけ買って帰りました。
  これは、今が旬のポルチーニ茸(フンギ・ポルチーニ)。ものすごく肉厚の椎茸のようです。焼いてよし、フライにしてよし、スープにしてよしという万能選手。日本ではなかなか生のポルチーニ茸は売っていないようですね。
こちらは、串刺しにした地鶏の若鳥をぐるぐる回しながら炭火で焼くおじさん。
  村の広場にはテントが立ち並び、集まった大勢の人々が、ポルチーニ茸、サルシッチャ(ソーセージ)、地鶏、ペコリーノ・チーズなど地元の旬のつまみを食べながら、ワインをじゃんじゃん飲んで、一日中ワイワイと騒ぐわけです。
  我がファミリーは敢えて喧騒を避けて、こじゃれたリストランテでお昼をいただきました。
 ピチという地元特産の手打ちパスタ、ポルチーニ茸のクリームソースあえ、メインはキアニーナのフィオレンティナ(Tボーン)ステーキ。もちろん、ブルネロ・ディ・モンタルチーノを奮発しました。まあ、たまには良いでしょう。
 車が入り込まない村の細い道は、こんなふうに一斉に旗が掲げられ、夕方まで人通りが途切れることはありませんでした。年に一日だけの、村を挙げてのお祭りなのです。

2016年10月26日水曜日

イタリア中部でまた地震

 26日夜19時過ぎと21時過ぎ、イタリア中部でそれぞれM5.4とM5.9の地震がありました。8月の地震で大きな被害を被ったアマトリーチェのやや北東、山あいの地域です。
 夜なので被害の状況は必ずしも明らかではありませんけど、TVの特番では震源地に近い村Castelsantangelo sul Neraの崩壊した建物や、広い駐車場に集まった車の中でひと晩を過ごす人たちの姿が映されています。余震も続いているようです。被災地の人々の無事と、被害が広がらないことを祈るしかありあません。
ここローマでも、1回目が震度2、次の2回目が震度3くらいの揺れを感じました。地方の小さな村よりは建物もしっかりしているだろうとは思うものの、基本的にはレンガを積んだだけに近い構造で、日本のような耐震・免震設計など全くありませんから、これ以上強い揺れが来たらどうなるのかと、不安であることに変わりはありません。怖いです。
 

2016年10月23日日曜日

今日のチンク

 今日のチンクは、街中で見かけた、これまた隅々までピカピカの1台。レストアしたばかりなのか、いずれにせよオーナーの愛情と、車職人の丁寧な仕事ぶりが容易に想像できるコンディション。
 あー良いなぁと眺めていたら、やおら窓が開き、オーナーとおぼしき人を含む2名が乗った車は、パタパタと楽しい排気音を残して走り去ってしまいました。
 どちらも実に良い感じのおジイちゃんたち。髪や髭がすっかり白くなるこの御歳まで、いつもこのチンクに並んで乗って、馴染みの店までちょっとお出かけ。仲間たちと交わす話題は昨晩のサッカーか。おジイちゃんたちにとって、このチンクもたぶん若い頃からの大切な相棒であり、欠かせない友人なのでしょう。




2016年10月17日月曜日

カフェレーサーの聖地グッズが新宿に

 東京近辺に住んでおられる方に朗報です。
 ロンドン郊外に所在するカフェ・レーサーの聖地「ACE CAFE LONDON」の公式ポップアップ・ストアが、新宿マルイ本館に期間限定でオープンしたそうです。
数年前、オジさんは本家本元を訪れる幸運に恵まれました。たしかあの時は、お店のイベントとしてスズキGSX-R祭りをやっている最中でした。ヨーロッパ各地のナンバープレートを付けたピカピカのカスタム・バイクたちで埋め尽くされた駐車場に着いた時点で既に興奮度はMAXに。
 写真を撮りまくり、お馴染みのロゴがばっちり入ったパーカーやステッカーをいそいそと買い込んだ、幸せな時間でした。
 カフェ・レーサー愛好家でなくても、男の子ならアイテムのひとつひとつがいちいちカッコ良い!と感じるに違いありません。お時間が許せば是非、強くお勧めします。まずは以下のサイトを覗いてみませんか。
https://news.webike.net/2016/10/13/72866/

2016年10月16日日曜日

モノクロで撮るROMA(その1:クイリナーレ~共和国広場)

 良く晴れた日曜日。
 3年半を過ぎたローマでの生活も、残りの時間が少なくなってきた予感がしてきましたので、記憶と記録のためにもきちんと写真に撮っておこうと思い立ちました。
 見どころ満載のローマの街を巡るには、時間的にも体力的にも一日二日では到底間に合いません。ですから、今日はここからここまでというふうに区域やテーマを細切れに区切って、シリーズで取り組むしかありません。良い散歩にもなります。

 ということで、第1回目は、クイリナーレから共和国広場までをたどってみましょう。
古代ローマの7つの丘のひとつ、クイリナーレの丘に建つPalazzo del Quirinaleは、1583年に当時のローマ法王により建造された宮殿で、現在はイタリア大統領官邸として使われています。いわばイタリアのど真ん中からスタートとうわけです。
宮殿正面の広場Piazza del Quirinaleからは、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂も臨めます。そして広場にはオベリスクが。
  クイリナーレ広場から9月20日通りに続く道を北へ進むと、2つの公園に挟まれる形でベルニーニの設計によるSant'Andrea al Quirinale教会が右手に見えてきます。
  いわゆる官庁街でもあるこの通りは、車の往来もさほど多くなく、気持ち良く散歩できます。それにしても、10月中旬とはいえ快晴のローマの陽射しはこの時期でもかなり強く、コントラストが強く出過ぎてしまうため、撮影には厳しい条件。露出を上げると白い部分が飛んでしまうし、逆に下げ過ぎれば日陰の部分がつぶれてしまいます。
もう少しだけ進んで細い通りとの交差点、Chiesa di San Carlo alle Quattro Fontane聖堂の建物を含む4つの角には、それぞれ異なる彫刻が施された4つの泉(噴水)が迎えてくれます。
  なぜモノクロなのかというと、街並みに似つかわしい派手な看板や、工事中であることを示す蛍光色の表示などが絵の中に入ると、途端に生活臭がしてきて残念な気持ちになるからです。さびれた裏道などはそれでも良いのですが。。。
 引き続き9月20日通りを、右手に国防省やイタリア中央郵便局などを見ながら歩いて行くと、大きな交差点の左奥にサンタ・マリア・デッラ・ビットーリオ教会が見えてきます。1600年代のはじめに完成したこの教会、ダン・ブラウン著「天使と悪魔」に登場したことから人気が出ました。
  教会の交差点から、老舗の高級ホテルST.Regisを横目に大通りを車と同じ方角に南下すると、共和国広場(Piazza della Repubbulica)に出ます。
放射状に道路が出入りする大きなラウンドアバウトの南側半分を、馬蹄形のアーケードが囲んでいます。
アーケードの中から、凝った造りの照明とアーチ越しに見える反対側には、古代ローマの遺跡をベースに、ミケランジェロが設計したとされるサンタ・マリア・デッランジェリ・エ・デイ・マルティーリ(Santa Maria degli Angeli e dei Martiri)という長い名前の聖堂が見えます。
  第1回目はここまで。次はどの辺りを攻めましょうかね。
  因みに撮影機材は、相も変わらず古びたCanon EOS30Dと、レンズはSigmaの17-70です。ISO800。多くの写真は露出を2/3マイナス補正。


2016年10月10日月曜日

今日のチンク

 今日のチンクは、珍しいバンです。ボルドーレッドの塗色を含め、ピカピカの素晴らしい状態を維持している立派な1台。

 こんな街並みに似合いすぎていて、後ろのsmartがいなければタイム・スリップしたかのようです。

 さて、パリのオートサロン(モーターショウ)で、CSAリサーチ社による興味深い調査データがシトロエン社により発表されました。
 ドイツ、スペイン、フランス、イタリア、ポーランド、ポルトガル、イギリスの各国を対象に行ったサンプル調査によれば、これら7カ国の国民が生涯のうちに車の中で過ごした時間の長さは平均4年1か月であるのに対し、イタリア人のそれは5年7か月に及ぶそうです。
 ひとえに車好きがそうさせるのか、ひどい渋滞のせいなのか、はたまた自家用車以外の公共交通機関が不十分だからなのか。日本の都市部ではこの半分もいかないのではないでしょうか。いずれにせよ、日常生活における車への依存度を端的に表すものとして、トリビア的な面白さを感じました。

2016年10月5日水曜日

他人事とは思えません

 去る8月24日にイタリア中部を襲ったM6.2の地震では、約300名の尊い命が奪われました。中でも、約230名が亡くなり、街が瞬時にして瓦礫の山となったアマトリーチェに、昨4日、フランチェスコ法王が電撃訪問されました。
 今なお1400名の被災者が避難生活を続けるアマトリーチェの市民に向けてメガホンを手にした法王の言葉を、イタリアの新聞が報じていますので、そのまま引用します。つたない和訳もつけてみましたが、google翻訳などで英語にしてみると、実に平易で誰にでも分かりやすい単語が使われていることに驚かされます。
"Andiamo avanti, sempre c'è un futuro. Ci sono tanti cari che ci hanno lasciato, che sono caduti qui, sotto le macerie. Preghiamo la Madonna per loro, lo facciamo tutti insieme. Guardare sempre avanti. Avanti, coraggio, e aiutarsi gli uni gli altri. Si cammina meglio insieme, da soli non si va. Avanti! Grazie".
"前に進みましょう。未来は常にあります。私たちの愛する多くの人が、私たちを残してこの瓦礫の下に倒れました。私たちの皆が、彼らのために聖母に祈りましょう。前を向くのです。次に勇気をもって、互いを助け合いましょう。共に歩くのです。独りで歩いてはなりません。前に!有難う。"


 この夏、集中豪雨による河川の決壊や土砂崩れなど様々な自然災害に見舞われた日本を、日本の外から見つめる日本人の一人として、アマトリーチェの状況を他人事として受け止めることができません。もちろん、自身の揺れを体感した一人としても。
 農家と民宿を融合させた「アグリ・ツーリズモ」が盛んなイタリア中部地方。何もかもを失い、これから急速に寒い季節を迎えようとしている人々に思いを寄せ、ささやかではありますが募金もしましたし、レストランではせっせとチャリティ・メニューであるアマトリチャーナを食べています。でも、一個人の力ではこれ以上は何ともなりません。東北や熊本の震災被害のときに抱いたのと全く同じ無力感を味わっています。
 せめて、「喉元過ぎれば。。」とならないよう、自戒の念を込めてこのエントリを書いてみました。