競技以外の部分で何かと話題が多かったロンドン五輪が閉幕しました。身体能力の限界に挑む世界の一流スポーツマンたちが見せてくれる素晴らしい技を、もっと純粋な目と心で観たい、そんな思いをあらためて強く持ちましたね。
さて、日本(人)の国際化、グローバル競争社会への参画という命題が叫ばれ始めてから、随分の時が経ちました。この命題は、あらゆる分野について一見あたりまえの価値観として、何の疑いもなく肯定されてきたと思います。
しかし、少なくとも国際経済/金融の分野については、市場第一主義とも言えるグローバル経済は既に破綻したとする説が有力です。EUにおいても、人、モノ、金を同じ土俵で共有するという理想は、それぞれの国が抱える国内事情とのギャップや、国ごとの優劣を鮮明にする結果を招き、保護主義への回帰も垣間見えるなど、今や泥船と化しつつあります。
それでは、スポーツの分野はどうでしょう。奥寺選手がブンデスリーガで、野茂投手が大リーグで活躍したあたりから、様々な種目で優れた日本人スポーツマンたちが、海を渡るようになりました。逆もまた然りで、お家芸の柔道は、今やフランスの方が精神的にも技術的にも上ではないかと思うくらいです。その代わり、三銃士の国フランスは、フェンシングで日本人がここまで強くなることを想像できたでしょうか。スポーツは、グローバル化の評価できる一面に違いありません。
そのくせ、様々な国籍を持つ中国人が、卓球やバドミントンで上位独占することを問題視する向きがありますけど、それじゃあ欧米各国の代表選手に占めるアフリカ系移民の数は問題にならないのかと問いたくなります。マラソン出場のために日本国籍を捨てた芸人の件も含め、国籍って何なんだろう、愛国心って何という疑問が頭をよぎります。色を問わずメダルの数だけでいえば、日本の獲得数は過去最多に達したそうですが、そもそも選手の出自と国籍が多様にミックスするグローバル社会で、国ごとのメダル数を競う意味がどこまであるのだろうかと、はたと考えてしまいます。国威発揚?なんじゃそりゃと思います。
韓国選手による政治的アピールが話題になっています。観客として応援する側にいる者はともかくも、選手自身がこうした行為に及ぶのは論外でしょう。ここで考えておきたいのは、愛国心発揮の背景です。自国の選手が一番だと叫ぶ、明らかな誤審をした審判を批判することくらいまでは、百歩譲って愛国心があれば仕方のない行為ですが、他国を批判したりスキャンダルを流して他国の選手の足を引っ張ること、ましてや政治的主張までが愛国心の表れとして肯定されるものでは到底ありません。
では何故肯定されないか。スポーツマンシップや五輪精神に反するからという、シンプルな答えが返ってくるでしょう。
そのとおりなのですが、翻って、スポンサーシップなどスポーツの経済的な側面に目を向ければ、自国ブランド、自社製品の売上のためには、他国他社の製品を厭らしく比較しておとしめる広告が溢れています。政治的プロパガンダを如実に表現した広告なども、ざらです。有名選手を広告塔に使ったり、自国ブランドを持たない途上国の選手にシューズなどの自社製品を履かせるために、いったいどれほど大きな資金が動いていることでしょう。今回の五輪では、陸上のトラック競技で蛍光イエローのスパイクが圧倒的なシェアを占めていました。選手団の制服が自国生産品でないことを問題視した国のメーカー製ではないのか。スピード社の水着よりも、審判の買収疑惑よりも、もっと空恐ろしい感じがしました。
このように、私たちは、ある局面では純粋なスポーツマンシップを盾に、誤った愛国心の発揮の仕方に表向きは怒りを表明するものの、実はその裏ではスポーツが自国産業に直結した稼ぎ場の一つであり、オリンピックは商品見本市であり、儲けのためだったら何でもありという現実にどっぷりと身を浸して生きているわけす。グローバル社会においては、スポーツマンシップや五輪精神などという価値観は実は既に風化し、アンティークの置物のような扱いをされてしまっているのではないかと心配になるのです。そりゃスポーツの世界だって酸いも甘いもあるさって、変な大人の理論に疑問を持つことができないくらい、感覚がおかしくなってしまったのでしょうか。
話変わって、パリ症候群という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。大いなる憧れと、文化芸術の本場で一流を身につけたいという志を抱き、華の都パリを目指してやって来た外国人が、そのロマンチックすぎる期待と現実のギャップに直面したとき、鬱病に似た症状に陥る適応障害の一種だそうです。2~30代の日本人女性に多いとされています。
実際、パリに住んでいると、「フランスは好きだけどフランス人は大嫌い」という日本人の科白をよく聞きます。アパルトマンは水漏れと鼠だらけ、おしっこ臭い駅の構内や路地裏、スリや泥棒あたりまえ、電話回線を接続するのに数ヶ月、責任感のかけらも持たずバカンスのことばかり考えて働かない同僚のために自分が残業する羽目に、でもフランス語は一向に上達せず。。。そんな話を並べたら、きっと一冊の本ができてしまうでしょう。セーヌの大河に抱かれた素晴らしい巴里の街並みも、シャンゼリゼやカルチェラタンの輝きも、そんなの全部嘘っぱちじゃないか、あいつら許せん、もう嫌こんな生活、てな具合です。
オヂさん自身は、たまたま現在の職にありつけたことから、欧州だけでも通算4ヶ国15年を過ごしてきたことが幸いしてか、フランス人に対する期待値はもとより低く、また鈍感力もそれなりに身についているようで、パリだけが突出して悪いという印象はありません。心身共に健康そのものです。アパートでプラモさえ作っていれば幸せというジジィの境地に達しつつあります。
何が言いたいかというと、昔からフランスで活躍する日本人もたくさんいる一方で、フランスやフランス人を大嫌いになり又は心折れて帰国する日本人がその何百倍いや無数にいるだろうことに思いを馳せるとき、無責任なメディアにさんざ持ち上げられ、メダルを約束し、しかし本番の国際舞台で期待されたとおりの成績が出せなかった途端に突き落とされる、そんな純粋ゆえに気の毒なスポーツ選手の姿とダブるところがあるのです。
選手には、エコノミークラスに乗せない、どこで何をするにも通訳をつける、日本食も周到に準備する、競技以外のことでストレスを与えず、競技に集中させる。このような考え方が全部間違いとは言いませんし、補助金も不十分と思います。でも、そんな選手たちをパリ症候群にも似た症状にあえぐ日本人としてみれば、国際化/グローバル化は依然として遠い道のりだなぁと感じざるを得ません。今のままでは、メディアに負けないたくましさ、国際舞台で不可欠な人間力というか、したたかさみたいなものが育たないような気がします。
日本では若者が内向きに過ぎると言われる昨今、オヂさんの会社でも海外勤務を忌避する傾向が年々顕著になってきています。何故だろう。海外生活、楽しいのに。せっかく神様から授かったこの命、どうせなら世界中のいろいろな国の自然、人の文化や価値観や遺産を見てみたい、そんな好奇心旺盛な気持ちを持ち続けたいものです。それには先ず、自国が一番という気持ちをそっと胸に仕舞って、謙虚に相手の文化や価値観を尊重するところから始めなければならないのかもしれません。
近頃考えていることを綴ったら、長くなってしまいました。今夜もワインです。
4 件のコメント:
いったいどこへ向かってこの話が収束して行くのかと、
固唾を飲んで読み進めていたら、やはりワインでしたか。
冗談は置いておいて、読み応え満点でした。
お疲れ様です、乾杯!
世界一を獲得しても、ほとんど評価されない
どこかの国の何たらスポーツにも通じる何かが
有る様に感じました。
世界は広い、広い世界に強いライバルが居るのは当然、
戦うことをプレッシャーと感じずに、
心から楽しめる気持ちと技をもって欲しいです。
意味不明なコメントですみません、こちらも酔ってます。
>迷走さん
長文におつき合いくださり有難うございます。
書いているうちに収束の方向性を見失い、結局
ワインに走ってしまったことを、見透かされて
しまいました。かんぱ~い。
この話題は思う所が多すぎて,気の効いたコメントが残せませ〜ん。
ラグにゃんは焼酎に逃げますね〜(笑)
>ラグにゃんさん
そうですよね、私自身も収拾ついてないです。
旨い焼酎(ロックで)に逃げたいですぅ。
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