2019年8月31日土曜日

残暑お見舞い申し上げます

 日本では猛暑のピークは過ぎたのでしょうか。それでも残暑は厳しいのでしょうか。
ここカイロは、比較的しのぎ易い夏でした。去年の様に寒暖計が40度を大きく超える日は数えるほどで、夏の時期を通じてゴルフができるレベルにとどまってくれました。今日の日中はそれでもちょっと暑くて、体感でおそらく37度くらい。
 で、ゴルフの後の飲み物といえば、何はともあれビールに決まっています。できれば生であるに越したことはない。キンキンに冷えた(チンカチンカならなお良し)ルービーのためにゴルフをしていると言っても過言ではないです。
 で、クラブハウスで飲んできた後に、家に帰ってシャワーを浴び、部屋着に着替えてリラックスした状態で飲むのが、これ。
ビール&スプライトのハーフ&ハーフです。
 ビールはエジプト産のステラ。日本で言うとアサヒのようなドライでキレのある感じ。で、スプライトは糖質ゼロのダイエット・タイプ。これがまあなんとも飲み易くて、悪魔の様にするすると、汗で水分を失った身体に吸収されていきます。
 話変わって、エジプトの夏が日本のそれに比べて遥かに気温も高いのに、日本の夏の方が何故ことほど左様に暑苦しく不快に感じるのか。湿度が高いとか、ヒートアイランド現象とかいろいろあるんだろうが、これだというのをひと言で説明してくれたゴルフ仲間がいます。
曰く、「エジプトにはいないセミの鳴き声が日本では五月蠅いから」。
 確かに。膝を打ちました。

2019年8月25日日曜日

エジプトで交通事故はイコール泣き寝入り

 今日の昼間、私のプライベート運転手から携帯に着信。
「タクシーに車の脇腹を擦られました」
「で? タクシーは逃げたの?」
「いいえ。でも、お金がないから修理代なんか払えないと」
「で?」
「責め立てたら泣き出してしまいました」
「警察には?」
「タクシーの認可を取り消されたら生活できないと、余計に泣かれて」
「で?」
「周囲にいた人たちも許してやれと」
「だから?」
「放免しました」
「名前も電話番号も聞かずに?」
「だって泣くばかりで話にならないんです」
 まあ、相手の素性が分かったところで、修理代が払えるとは到底思っちゃいない。だけど、だからと言って即時に無罪放免するのが癪に障るだけなんです。
 カイロの街中は、車とバイクと人で常時溢れかえっています。信号や横断歩道なんかほとんどありません。割り込み、追い越し、なんでもありです。そこへ荷車を引くロバや馬、車スレスレで横断する勇者たちが大勢いたりします。
 そしておそらく95%以上の車が無保険です。かろうじて一部の個人や法人が保険に入っていたとしても、対人対物保険が補償する賠償額は最高(相手が死亡した場合)でも4万ポンドくらい=25万円といいます。
 タクシー運転手の月収は、せいぜい2万円もあれば良い方でしょう。自動車保険どころか、健康保険も厚生年金も未加入という人が圧倒的多数です。つまり、エジプトで交通事故に巻き込まれた場合、それはイコール泣き寝入りを意味します。新車1台が全損しようが、大怪我して入院しようが、泣き寝入りです。
 イスラーム教には、富める者が、貧しい者に施しをする「喜捨」の教えがありますが、交通事故当事者にもそれが適用されるんです。どっちが悪いか、どっちに責任があるのかなんて関係ないんです。どっちが富める者なのかという基準しか、最後は残らないんです。非イスラーム教徒にとっては、たまったもんじゃありません。
 そんな、なんでもありの道路交通事情の中、もっとも許し難いのがこれです。
ノーヘル上等、3人、4人乗りは当たり前。胸に赤ん坊を抱いたまま横向きでタンデムする母親とか、もう正気の沙汰ではありません。クフ王のピラミッド以来、4500年の歴史を誇るエジプトですが、人々の民度が先進国並みになるには、あと何千年かかるのでしょう。

2019年8月14日水曜日

Vacationに引きこもってみた(4日目)

 日曜日から今日までの犠牲祭の4連休。ゴルフにも旅行にも行かないどころか、近所へ買い物に出ることもなく、かと言って家で何か有機的な活動や行動をとることもなく、TVとPCの前に座る以外なにもせず引きこもってみました。もっとも、引きこもりとはいえ誰かが勝手に食事の用意をしてくれるわけでもないので、生きるために自炊はしなければならないのですけどね。
 だって、お盆だから海や川のレジャーは避けた方が賢明だし、7月に日本に一時帰国したばかりなので旅行で散財するほどの余裕はないし、このところちょっと疲れ気味なのでわざわざ40度の炎天下でゴルフして体力をすり減らしたくないし、と、言い訳のネタには困りません。
さて、俗にいうVacation=ヴァケーションは、語源はVacant=空っぽなので、何の予定も入れずに過ごすことだと、長年ずっと思っていたのです。で、それを実践してみているのですけど、引きこもり4日目にしてホントにそういう意味で良かったのか、自分の理解と行動に急に自信がなくなってきました。
 そういう時は、権威に頼りましょう。びっくりするような誤訳が出てくるgoogle翻訳などはダメです。ここは、Cambridge Dictionaryを参照します。発音は、「ヴェイケイシュン」です。
●Vacation(名詞)=a time when someone does not go to work or school but is free to do what they want, such as travel or relax:
 これを訳すと、「仕事または学校へは行かず、例えば旅行またはリラックスするなど何をするのも自由なとき」となります。実に正しい。私の行動の正当性が、2つしかない例示の一つという高い優先順位で証明された気になります。
●Vacation(名詞)=a period of the year when schools or colleges are closed, or when law courts do not operate:
 もともとは、一年のうちで学校や裁判所が休みの期間=Vacationと定義しています。Holidayのことです。つまり、公共性のある休日のことでしょうから、犠牲祭というエジプト国民(特にムスリムにとって最も重要な)の休日もこれに当てはまると言って良いでしょう。つまり、私が如何なる行動をとるかどうかに関係なく、今はバケーション期間なのだということです。ふむふむ。
 ところが、
●Vacation(動詞)=to travel to a place in order to relax, when you are not at work or school:
 この単語を動詞として使う場合、とたんにそれは、「仕事または学校がないときに」という前提で「旅行すること」に限定されてしまうことが解ります。更に、「リラックスするため」という旅行の目的まで縛りをかけています。唯一、旅行先だけがa placeと自由を与えられているのです。
 つまり、タイトルの「Vacationに引きこもってみた」は、Vacation期間に引きこもりという行動をとってみたという意味では正当なのだが、逆に、引きこもりという形でVacationしてみたということにはなり得ない。旅行しない奴が偉そうに何を言うかと叱責されているのだと理解されます。
 しかし、
●Vacation(名詞:米)=a period of time to relax or travel for pleasure instead of doing your usual work or school activities:
 ある意味いい加減なアメリカ英語になると、Vacationの意味の縛りは劇的に緩和されます。曰く、Vacation=「平素の仕事や学校活動に代えて、楽しみのためにリラックスまたは旅行する期間」。Holiday期の制約もありませんし、こちらではとるべき行動の第一例示がリラックスとなっており、並列ながらも旅行より先に書かれています。ただ、pleasureのためという目的のお仕着せがあるのは、ちょっといただけません。家でリラックスすべき理由は、冒頭にも述べたとおり、様々あって良いと思うのです。
 まあでも、ようやくVacationの正しい意味が解ったからと言って、急に今日の行動予定を変えることもしないんですけどね。

2019年8月12日月曜日

カブ・ライダーの友人(初々しいおっさん)

 私の古くからの友人が、昨年冬、スーパーカブの60周年限定車を購入し、晴れてカブ・ライダーの仲間入りしたことは、このブログでも何度か触れてきました。50になるおっさんですが、人生初のバイクにカブを選んだ賢明なライダーです。
 その友人が投げかけてくる疑問・質問が実に初々しく、しかも少年の頃の自分自身の思い出を鮮やかに思い出させてくれるもだったりするので、やりとりだけで十分になごませてもらっています。ああ、そういや私も乗り始めはそんな感じだったなぁ。
 友人のカブが納車されたのは、年末に近い頃でした。
(問)納車しました!
(私)おめでと。で、どうよ、株主になった感想は。
(問)バイク屋から走り出す時に、ウィリーしました。死ぬかと思いました。
(私)え、クラッチないのにウィリーできるんだ。すげー。
(問)冬場の寒さがホントにこたえます。どうすればよいか。

(私)オイラの若いころは、ジャンパーの下に新聞紙を身体に巻きつけたりしたっけなぁ。ていうか、君の実家、工務店なんだからいくらでも防寒着あるでしょ。
(問)特につま先が冷たくてかなわんのですわ。
(私)ブーツは不可欠だね。でも、カブって、シーソーペダル踏むだけだから、まだマシじゃん。
(問)社外品のアフターパーツを付けるのは有り?
(私)やめとけ。貴重な限定車なんだから、どノーマルを保ってこそなんぼだ。でも、純正の風防だけは付けておくと良いでしょう。
(問)(その後)風防、ホントに助かってます。あれなかったら乗りません。
(私)よかったよかった。
(問)で、今度は夏の暑さ対策なんですけど、メットがムレてかないません。なんとかなりませんか。
(私)なんともならんし、臭い。けど、通気性が良く、インナー取り外しができるようなメットは、きっと高いよね。
(問)ハーフタイプのメットはだめ?
(私)やめとけ。転んだら死ぬぞ。ヤンキーか?
(問)ですね。あ、それと、リアの荷台に段ボールくくりつけると、寄りかかれて楽っすね。
(私)それは痛いほど解る。オイラも長距離ではチョッパーが羨ましかったっけ(遠い目)。
 
 いわゆるライダーあるあるなんですが、そういえばメカの質問がひとつも出てきません。大丈夫なのかと逆に質問してみました。
(私)プラグはネジ山をなめやすいので、気をつけた方がいいよ。
(問)あ、「なめる」って、建設業界の言葉かと思ってましたが、バイクでも使うんですね。へえ。でも、プラグなんか触りませんから。
 曰く、購入したホンダ・ウイング店の店長さんから、「素人なんだから、メカのことは全て当方に任せてください。何かあればすぐに持ってきてください。対応しますので」と。だから、チェーン引きも、オイル交換も、ネジの増し締めも、一切自分で触らないようにと、口酸っぱく言われているんだそうです。
 ついでに、「とにかく、カブ限定車という記念碑的なバイクを所有するということはですね、それだけで衆目の監視下に置かれるわけです。みんな大ジェラシーなんです。ですからそれなりの防犯対策も、マシンの維持管理にも特別な心構えがですね。。。」と、やたら熱く語る店長さんなんだとか。きっと良い人に違いありません。
 友よ、待っていてくれ。私も日本に帰ったら必ずやカブを買うから。そして、手始めに上手い蕎麦でも食いに行こうじゃないか。

2019年8月10日土曜日

ハッジと犠牲祭

 昨日と今日は、イスラーム教の5行の一つであるハッジ(大巡礼)です。世界中からおびただしい数の教徒が、サウジアラビアのメッカを目指し、聖地で巡礼の儀式を行います。
 モスク中心の四角い建物(中には何もありません)の周りを、反時計回りに練り歩くだけでなく、郊外の砂漠で行う故事の疑似体験などもするそうです。
このハッジですが、航空機、ホテルといった旅行業界を中心に、サウジアラビアに莫大な収入をもたらす一方で、将棋倒しになって多数の巡礼者が亡くなるなどの事故も頻発することから、サウジアラビア政府は巡礼者の数を制限するために、巡礼ツアーの料金を高額に設定しています。エジプトからの巡礼ツアーには、ひとり100万円近い料金を払わなければなりません。エジプト人の平均月収は2~3万円くらいですから、どれだけのことか想像いただけると思います。
 ムスリムにとってハッジは、まさに一生に一度のこと。私の運転手を務めてくれているおじさんに尋ねたところ、家や車を買うよりも優先したい夢なのだそうです。エジプト政府も、労働法に雇用主は、従業員が生涯に一度ハッジのための特別休暇を申請した場合はこれを認めなければならない」と定めています。
 そして、ハッジが終わった明日から3日間は、犠牲祭(イード)です。
 神に捧げる生贄として、富める者によって買われた羊などの動物が大量にさばかれ、貧しい者たちと分かち合うのです。これも5行の一つである「喜捨」の教え。
 ハッジも犠牲祭も関係ない私は、お盆休みとも被る真夏の連休に、ゴルフをしたり家でのんびりしたりするわけです。テロのリスクが懸念される宗教施設や繁華街には近づきません。これは、神でも預言者でもなく、日本の外務省のありがたい教え。

2019年8月6日火曜日

ナイルに暮らす

 渋野日向子クンの記者会見を観ていたら、ブログで1000回目のエントリなんていう小さなことで悩むのがバカらしく思えてきました。なので、連投してあっさり通り過ぎることにしました。
 さて、太古の昔より、エジプト人にとってナイル川はまさに命綱であり、命の源であるわけです。なんと言っても、国土のほとんどを占める広大な砂漠に1億人の民がいて、その9割はナイル川流域で生活しているのですから。
 私が勤める会社からもほど近い川岸に、対岸のギザ(3大ピラミッドがある地区)との間を往復する渡し船が運航しています。フェリーと呼ぶほど大きくなく、対岸までは5分もかからない距離感ですが、実は陸上をカイロの中心まで北上し、橋を渡って再び南下するという自動車のルートによる場合、1時間はゆうにかかります。乗り合いバスなら15ポンドくらいはかかるでしょうか。それが僅か5分で着いてしまい、しかも料金は2~3ポンドくらい(15円くらい)とお安いため、対岸地区で働く人たちにとってはこれ以上ない便利な通勤手段と言えましょう。 だから、徒歩の人だけでなく、自転車やバイクごとどんどん乗ってきます。船が一杯になったら出航。次の船を待つのです。
 かと思えば、先週は、社内の私のチームに定年退職した者と、最近結婚式を挙げたスタッフがいるので、彼らのために「ファルーカ」と呼ばれる木製のボートを借り切って小さな船上パーティをしました。真ん中の大きなテーブルを囲むようにコの字型にベンチシートが備わっている20人乗りのボートで、夕方6時から2時間。船頭へのチップ込みでボート代は500ポンド=3,000円くらいと、びっくりするくらい格安です。
 ため息が出るほど美しい夕暮れに染まるナイルに浮かぶ船で、デリバリーの食べ物をつまみながら、ゆったりと過ごす2時間。つい一昨日は会社からそう遠くないところでテロ事案が発生したりと、そこらじゅうにストレスの種が転がっている日々の中で、このひとときばかりはエジプトも捨てたもんじゃないと思わせてくれます。スタッフのひとりがスマホにつないだbluetoothのスピーカーから流す、美空ひばりの「川の流れのように」は、かなりナイルのイメージとはズレていましたけど、まあそこはご愛嬌ということで。
「ナイルの水を飲んだものは、再びナイルに戻る」と言い伝えられているそうです。私がこれからそう長くない人生の中で再びナイルに戻ることは、まずないだろうと、今は思うのですが。

節目の回数まであと「1」

 実は、今日のこのエントリが、第999回目となります。
 2009年11月11日に立ち上げた拙ブログも、足掛け10年という決して短くない年月をかけて、1000に達しようとする雑文をこれまで積み上げてきました。自分でもよく続いたもんだと、素直に思います。
 ただし、エジプトに転勤してきてからのここ2年以上、素材(キット)や資材調達などが上手くいかないという理由で、プラモデルから遠ざかってしまっています。ストレス解消や癒しの効果が大きい模型製作の時間を日々の生活から失い、当初は歯が抜けたような感覚でした。もちろん、老眼の進行も別の理由としてあります。
 勢い、海外生活において遭遇する日常風景や、旅行記などがすっかり主軸になってしまっています。自分でも違うんだよなぁと思いつつ、タイトル詐欺も甚だしいです。
 だから、なんならキリの良い節目なので、もうここらで静かに休眠してしまおうかななどという、よからぬ思いもちょっとだけ心をよぎります。まあ別に面倒くさくなった訳ではないので、多分、何事もなかったように続けるんでしょうけど。

2019年8月5日月曜日

海外で活躍する日本人アスリートを応援したい(その2)

 ここ5日間ほど、自宅のインターネット環境が失われていました。何が原因なのか、どうすれば回復するのか、電話会社やプロバイダーの誰に聞いても、みんながみんな違うことを言うので、お手上げ状態でした。「後進国というのは後ろに進む国と書くんだよ」、以前、先輩から聞いた科白です。
 さて、私がそんな下世話なことで奮闘している間に、全英女子オープン・ゴルフで日本人選手が見事な優勝を果たしたニュースが日本中を埋め尽くしています。
渋野日向子クン。二十歳。
 スマイル・シンデレラのあだ名と共に彼女のキャラクターやエピソードを、マスコミが競って報じています。本当に明るく屈託のない笑顔、ファンサービス、そしてキレのあるスイングと大舞台にも動じない度胸。人から愛される全ての要素を持ち合わせているように思えます。
 英語のスピーチでは、途中で単語の発音が分からなくてつっかえてしまったものの、最後の「サンキュー」をすべての観客が拍手喝采で受け入れた。外国プレスのインタビューでは、全く想定しない答えばかりが返って来るので、インタビュアーの方がとまどっていた。きっと、ありきたりの模範解答を想像していたのだろうが、誰もそんなものは期待していない。私も、このスピーチとインタビューで、完全にノックアウトされた一人です。
 一夜にして世界中の注目を浴びる存在となったまさにシンデレラ・ガールだが、日本で世間のおじさん、おばさんたちは、彼女を見ても「最近の若者」でひとくくりにできるだろうか。おじさんおばさん世代が42年間なしとげることができなかったメジャー制覇だ。 
 もし、今のUSLPGAを席捲する韓国人ゴルファーがこの大会を勝っていたら、大会関係者、マスコミ、メディアや世界中のゴルフ・ファンたちは、どのような反応を示しただろう。強すぎる韓国人プレイヤーに、日本の二十歳の女の子が一矢報いてくれた、しかもとびきりキュートだ。そんなふうに感じてくれる人が、私以外にもきっと大勢いるに違いないと思うのだが、ちょっとうがちすぎだろうか。