2022年2月13日日曜日

LA生活開始8(短期アパート)

  実は2月1日から、会社から徒歩3分のところに短期アパートを借りて住み始めている。1LDKベランダ付き。家具付きにもできるというので、当座ひと月だけここに住んで、本腰を入れて家探しをしようという構え。諸々込みで家賃4000ドル弱。決して安くはないが、仕方あるまい。

 ネットとテレビを確保するた指定のプロバイダに連絡すると、すぐに大きな箱が届いた。チューナー、モデム、ルーターなのだが、接続は簡単な動画を観ながら自分でやれと。泣きそうになりつつ数時間格闘の末に、なんとか繋がった(んだと思う)。

 やれやれと下の階のベランダにふと目を落とすと、ベランダの床に何やら貼り紙が。携帯や紙幣がぶん投げてある。どうやら神様に向けたメッセージのつもりなのだろう。No money(金は要らん)、No phone(スマホも要らん)、Give me a book!(本をくれ)。えーと、、、スマホとお金があれば、電子書籍読み放題だろと心の中で突っ込んだ朝でした。


2022年2月7日月曜日

LA生活開始7(青空ワクチン会場でブースター)

  祭日で仕事が休みになったのを良いことに食料品の買い物に出た一昨日、ブースター接種をまだ終えてない私たち夫婦のうち、細君は近くの薬局でモデルナを打つことが出来た。アポ無し、無料で、外国人だろうが関係ない。その場で証明書もくれる。感染対策というのはこうでなきゃね。

 そして昨日、フラーっとコンサートシアター辺りを歩いてみたら、コンクリート敷きの大きな広場では、若いダンスグループがおそらくYouTubeに上げるのだろう動画を撮影したり、お年寄りや子供連れがのんびりくつろいだりと、思い思いの午後を過ごしている。そして、その広場の一角に青空ワクチン接種会場が設えられていた。聞いてみたらファイザーがあるというので、その場でブースター接種を即決。並ぶこともなく、あっという間に完了。

 エジプトでアストラゼネカを2回接種した時は全く無反応だったもんだから、今回もナメてかかっていたのだが、さすが本場のファイザーはよく効くのか、昨夜遅くからきっちり熱が出ました。なんなら全身だるい。これが倦怠感というやつかと、ようやく人並みに副反応を示してくれた老体に、正直少し嬉しいような気持ちすら湧いてくる。




2022年2月1日火曜日

LA生活開始6(ワオ、NFL)


  昨30日、NFLスーパーボールへの出場がかかった大事な一戦、ロサンゼルスRAMS vs サンフランシスコ49ERSの試合が、ロス市内のSOFIスタジアムで行われた。最後までどっちが勝つかわからない展開で後半大いに盛り上がった末に、結果はRAMSの辛勝。

 実はこのSOFI(ソーファイ)スタジアム、私の叔母が住んでいる家から僅か5分の距離。へえ、そんな近いんなら雰囲気だけでも見に行ってみるかねという素人まるだしの考え方は、昼を過ぎたあたりから始まった大渋滞に簡単に阻まれるのでした。それもそのはず、7万人収容のスタジアムだというのに、専用駐車場のキャパは1万台のみ。あぶれた人たちの車は、スタジアム周辺の路上スペースを奪い合う形。1マイルも手前に車を止めて延々と歩く人も多数いるんだと。
 ならばとホテルに帰って、ビール片手に生中継を観戦するのがいちばん快適なわけです。なんたって、観戦チケットは当日買えるものがスタジアム最上階のいちばん安い席で450ドル~、グラウンドに近い席になると4~5000ドル、最高額のVIP席ともなれば1万ドルを超えると知って、ビックリ。ついでにと2月13日に予定されているスーパーボールの観戦チケットは、最低でも600ドル~、最高は6万ドルにも達するんだそうだ。アメリカ人にとってスーパーボール観戦というのは、一つの夢なんだ
ね、きっと

2022年1月25日火曜日

LA生活開始5(映画の中の街で英語のお勉強)


 LAに来て10日がすぎたのだが、住む家がまだ見つからない。既に10件ほど内見しただろうか。いずれも帯に短しタスキに長しというやつで、これという物件に当たってない。まあ、かくなる上は、ダウンタウンの短期アパートに2ヶ月ほど身を置いて、腰を据えて探す方向に舵を切るかリトル東京のホテルから職場のあるビルまで歩いて15分ほど。歩き始めてすぐのところで、右手にシテイホール(市役所)、道路を挟んだ対面にはロス市警(LAPD)がある。そう、幾多の映画の舞台となってきた街に住んでいるのだと実感する。なんだか不思議。


 こちらへ来てから急速に、かつ大量に英語で喋る毎日となつた。ふーんとか、へーえとか思う表現に少し戸惑うことも。お持ち帰りはtake awayではなくto goという。高速道路はhighwayではなくfreeway。チョコレートのGodivaはゴダイバと読むし、家具のIKEAはアイケアだ。面白いな。

2022年1月21日金曜日

LA生活開始4(ステップ・バイ・ステップ)

  LAに来てちょうど1週間が過ぎた。引き続きホテル暮らしの身ではあるものの、無駄な時間はほとんどなく、階段を一つずつ上るように、チェスの駒を一手ずつ進めるように、アメリカ生活の足場を整えつつある。

 SIMカードを秒で調達した。口座を開けた銀行のデビットカードが届き、アクティベートしたので、これで使えるようになった。Uberに日本のクレジットカードを登録して使ったら二日目から支払い方法として拒否されたが、カード会社がセキュリティのためにロックをかけたことが判明し、無事解除してもらった。叔母との再会を果たした。USマツダから車をリースするべく見積もりを依頼した。条件が合えば、晴れてCX-5がアメリカでの相棒になる。PCや会議用アプリの設定が済んだ。ITリテラシーの低いオジサン世代にとっては難関なのである。名刺が手元に届き、前任との仕事の引き継ぎも無事終えた。管轄地域の駐在員へ挨拶メールを送った。

 残る最大の課題は家探しだ。先週はダウンタウン、昨日今日はドジャースタジアムのある丘を回り込んでパサデナ、バーバンクといったダウンタウンの北の郊外に、明日はカルバーシティやマリーナデルレイなど西の郊外に物件の内見に行く。いずれも2ベッドルームで家賃3,000から3,500ドルのレンジがターゲットだが、街の雰囲気、住民層、ゲートやフェンスといったセキュリティがやはり最優先され、次いで通勤の所要時間、買い物の便利さ、海までの距離、叔母の家からの距離を考慮することになる。もっとも、細君の合意が不可欠であるのは言うまでもない。

 何事も焦らず、騒がず、一つずつ着実に。。。ああ、ゴルフがしたいなぁ。



2022年1月18日火曜日

LA生活開始3(祖国を失った家族との再接続)

  実は私には、LAに住む叔母とその家族がいる。LAで叔母に会うのは、私がまだ新婚で子供ができる前、今から約27年前に旅行で訪ねてきて以来だ。一昨日、お互い歳をとったものの当時とそれほど変わらない笑顔で、私の再訪を迎えてくれた。

 亡き父の妹である叔母は今から約60年前、日本を代表する航空会社に勤務していた。駐留米国軍人を交えた社内イベントで、丁寧な日本語を話すひとりの軍人と知り合ったそうだ。数年後、浅黒い肌とくるくるカールした髪を持つ赤ん坊を抱いて実家を訪ねると、親から売国奴と叫ばれ、足蹴にされて実家を叩き出されたと言う。子供の父親は黒人だった。

 渡米後、裁縫に覚えのあった叔母は、ビバリーヒルズの金持ちを顧客につかみ、ウェディングドレスやパーティドレスを縫って生活費を稼ぎ、3人の息子を育て上げた。この間、日本の家族の誰からの援助もなく、その後も日本国籍を離脱したことが理由で遺産相続さえ配分されなかったそうだ。既に齢80を越える叔母は持ち家を人に賃貸し、年金と家賃収入で犬2匹と共に優雅な隠遁生活、長男はLAPD(ロス市警)を定年まで勤め上げた警察官、次男は著名な企業の幹部、三男はワシントンDCで弁護士として今も現役で働いている。どこからどう見ても立派な家族だ。だが生まれ育った実家から追い払われ、親戚付き合いさえ許されず、祖国を失ってから半世紀以上の間、叔母と米国の家族は日本から断絶されていた。息子たちの体には半分日本人の血が流れ、私と同じDNAを受け継いでいるというのに。

 どんな因果か、私がLAにやって来たことによって、断絶された家族が再び接続されようとしている。自身のルーツやファミリーを何より大切なものと捉えるアメリカ人にとって、これ以上のことはないのだろう。私が妹から送られてきた実家の古い写真を見せると、長年堪えてきた涙が叔母の目から自然に溢れてくるのでした。「こっちでの生活で困ったことがあったら何でも言ってね。家族なんだから」。

 うん、ありがとう叔母さん。なんなら車1台くらいもらえないかな。

2022年1月17日月曜日

LA生活開始2(リトル東京に池袋を偲ぶ)

  ロサンゼルスのダウンタウン、リトル東京のど真ん中のホテルでLA生活4日目を迎えている。日曜日の昨日は、食料品の買い出しに10分だけ外出した以外は、ずっとホテルでゴロゴロした。そういえば、これほどのんびりした日曜日を過ごしたのは、いったいどれくらいぶりのことだろう。なんだかんだと心も身体も疲れ切っていたのだろう。ベッドが本当に心地良い。

 11階の窓からは、数ブロック先に高層オフィス街が見える。目の前は駐車場ビルの屋上で若者たちがスケートボードをしたり、自分の車の前でポーズを決めて写真を撮ったりと、思い思いに遊ぶ姿が見える。ビルの壁にはラクガキ、遠くからはパトカーのサイレン、もう半袖どころかタンクトップではしゃぐギャルたち、ちょっと離れた薄暗い袋小路にはホームレスも。佐野元春の昔の曲が頭をよぎる(伝わるかなぁ)。そして眼下には、居酒屋、ラーメン屋、たこ焼き屋などの軒先もチラリと。さっき行ったスーパーでは、日本のあらゆる食料品が売っていた。稲荷弁当7ドル、おにぎり1.99ドル、かっぱえびせん、缶ビールなどを瞬時に買い込み、サブカルの店目当ての人手で賑わう小径からさっさとホテルに戻ってきた。

 ん?どこかに似てないか?辛子明太子のおにぎりを頬張りながら、ふと感じた懐かしさ。そう、ここリトル東京は、オッサン世代と若者世代の双方を擁する私のホームグラウンド、池袋によく似ているのだ。そう思うと、俄然嬉しくなってきた。職場はここから歩いても行ける距離にある。仕事の帰りにちょっと寄って、たこ焼きか餃子でビール1杯だけひっかけて帰る、そんなライフスタイルすら浮かんでこようというもんだ。