2014年12月8日月曜日

1/24 ウィリス・ジープ(その4)

月曜は祭日でしたので、三連休となりました。もう朝からプラモ三昧です。 
 さて、せっかくエンジンがついているキットなのですから、ボンネットは開閉できるようにしたくなるのが人情というもの。
 問題は、蝶番をどういう構造にするかです。実車はまことにシンプルな(悪く言うと、とってつけたような)蝶番で、ボンネットとボディの境目にそれが形成されています。これは残さねばなりませんから、見えないところで勝負ということです。
 あれやこれやと悩んだ結果、外径2.4mmのプラパイプを半分に切り、虫ピンを通した上で、ボディ側に設けた切りかきに接着することにしました。この後、乾燥を待って、余計な丸みを削っていきます。

ボンネット裏側に、微妙に曲りを施した虫ピンを固定します。表側でボディとボンネットが面イチとなるようにテープで固定しておき、先ずはプラ材で受け具を作り、接着してみました。が、どうにもぼてっとした感じで、見栄えが非常によろしくありません。

ならばと、0.5mmアルミ板を切り出し、虫ピンにぐいぐい押し当てるようにして受け具を作ってみました。 意味のないリベット穴も開け、雰囲気はまずまず。実車とは異なるギミックですけど、色を塗ってしまいますので、これなら違和感もあまり感じないでしょう。

表側から見ても、工作の形跡はほぼ認められません。大成功。

惜しむらくは、蝶番のモールドがボディに干渉するため、最大に開いてもここまでです。45度くらいでしょうか。
 まあ、初めての試みですから、これくらいで及第点としておきましょう。ディスプレイの際には、つっかえ棒でこれくらい開いていれば、エンジンルームが見えますから、今回はこれで手を打ちます。

2014年12月7日日曜日

1/24 ウィリス・ジープ(その3)

四輪の、しかもミリタリー・モデル初心者の私が、無謀にも軍用ジープに手を伸ばしたのは、日本に住む友人の影響と言っていいでしょう。ミリ系に詳しいこの友人、フランスに私を訪ねて来た時も、世界遺産のモンサンミッシェルを目の前にして、世界遺産そっちのけでノルマンディの砂の色に一人ごちて、いたく感動していました。きっと、上陸作戦のジオラマのイメージと重ねていたのでしょう。
 さて、今回はイタレリ社からインストの指示を見る前に、あてずっぽうで5色のアクリル塗料を購入していました。車体色に選んだのは、フラット・ミリタリー・グリーンというもの。上の画像左半分が塗装前、右が塗装後ですが、その違いがお分かりいただけるでしょうか。

はしごみたいなシャーシに、エンジンが載りました。簡単です。だって、カチャカチャ組んで、ばーっと同じ色に塗ってしまえばいいんですから。以下、友人とのやりとり。
私 「板バネくらいは、ちょっとした金属表現をしちゃってもいいの?」
友人「死にたいならどうぞ」
私 「へ?」
友人「自然にない色が森などの自然の中で目立つのは解りますよね。戦地で目立つというのは、どうぞここが標的ですから撃って下さいと敵軍にお知らせしているようなものです」
私 「そ~なんだぁ(大汗)」

1/24サイズのエンジンは、想像以上に小さく、スペースとの闘いとなりました。手持ちのケーブルではプラグコードの取り回しすら容易ではありません。

きっと隊員たち自らの手で整備し易いようにと、あちこちにコーションステッカーが貼ってありますので、なるべく再現するようにしましょう。
私 「エンジンくらいはヘッドカバーとかに違う色を塗っちゃってもいいんだよね? 資料画像でも個体によって微妙に色が違うんだけど」
友人「あのですね、戦時下に60万台が作られてるんですよ。しかも米軍から指図された冗談みたいな納期に間に合わせるためには、町工場も駆り出してやってるわけですから、工場によって多少の色目が異なるくらいのことはあるのです」
私 「あっ、それならほんのちょっとのカスタムくらいは許されるってこと?」
友人「何を訳わかんないこと言ってるんすか。米軍の発注は、小さくて、ひたすら丈夫な同じ車を、直ちに60万台作れってことですよ?誰がカスタムしてる暇があるんですか」
私 「トホホ。。。」
 。。。戦争を知らない世代の友人(しかも歳下)は、決して怒らずに優しく諭してくれます。その優しさは身に沁みるのですけど、なぜだか涙が出そうです。

2014年12月4日木曜日

1/24 ウィリス・ジープ(その2)

手始めにインストに従ってシャーシを組んでみただけですが、2つの発見がありました。
 ひとつは、このキットのプラ材は、ドゥカティ・デスモとは大きく違って素材が柔らかく、ナイフの刃が普通に入ります。また、通常のキットと同様に、セメントタイプの接着剤で容易に接着が可能です。これなら随分と工作がし易く、これは嬉しい発見。
 もうひとつは、あらためて1/24スケールの小ささを思い知ったこと。1/6スケールに慣れてしまった目と指先には、正直きびしいものがあります。

これはエンジン本体。ライターとの比較でそのサイズがお解りいただけると思います。小さいながらも、せめて四輪模型の定番工作であるプラグコードくらいは追加しようと、デスビを作ってみました(白いパーツ)。早くも老眼がしょぼしょぼします。

 ときに、資料画像で見る限り、ウィリス・ジープのエンジンは、個体によってグリーン系を中心に微妙に異なる色で塗られていたりします。米軍からの受注最盛期にあたる1941年には実に60万台以上が生産され、そのうち27万台がフォード社製だったそうですから、工場や生産ラインによって塗色が違ったりするのか、それとも部隊によって仕様が異なるのか、そのあたりは知識が乏しく想像が及びません。
 いずれにせよ、市販車のエンジンとは大きく違う味付けが必要になりそうです。

2014年12月2日火曜日

1/24 ウィリス・ジープ(その1)

  唐突ですが、四輪です。しかも、お題は軍用ジープの定番中の定番(なの?)、ウィリス・ジープです。
 思い起こせばオジさんが四輪プラモを最後に作ったのは中学生のときですから、ゆうに37、8年振りということになります。艶消しブラック一色に塗ったハコスカ(KPGC10)やセリカが、内蔵のマブチモーターで元気に走ったあげく、部屋の壁に激突し大破して以来ということです。
 キットはイタレリの再販もの。箱にはSpecial Editionの文字が踊ります。箱絵の背景は険しい雪山、アルプスなのでしょうか。

キットには、豪華40頁フルカラーの資料写真集が同梱されていました。ウィリー・ジープ誕生の歴史から、車両細部に至るまでのディーテイルが詳しく解説されているようです。作り込みたい方はどうぞ参考になさいということなのでしょうか。無言のプレッシャーを感じます。

パーツは透明部品を除くとこれで全て。当たり前のように、カーキ色だけです。
 あれ?1/24って、こんなに小さかったんだっけと、新鮮な驚きがあります。中学生には大きく見えたのか、それともこのジープ自体が小さいのか。
 いずれにしても、約40年ぶりの四輪プラモを前に、ちょっとワクワクしております。そして同時に、初体験の軍事モノとなる訳ですが、実は軍事関係には全く疎く、何の基礎知識も持ち合わせていません。かくなる上は、思い切りハードルを下げて、四輪模型を素直に楽しむことができるでしょうか。

1/9 Ducati Desmosedici (製作検討編)(一時中断のお知らせ)

 突然ですが、諸般の都合により、ドゥカティの製作検討作業を期限を定めることなく一時中断いたします。
 作りかけのパーツたちを箱に戻して、棚に積んでしまいました。きっといつか再び、作業を再開することにしましょう。

2014年11月29日土曜日

1/9 Ducati Desmosedici (製作検討編)(その6)

  一体の部品としては、そう悪くない造形と言えるかもしれません。しかしよく目を凝らして見ると、嘘ばっかりなんです。なんといっても、模型にとって最も肝心な要素である精密感にイマイチ乏しいのです。

 あーだこーだした結果、こうなりました。スロットル・ケーブルはダブルに。ブレーキ・マスターのサブタンクはトップブリッジから切り離して作り直し。キルスイッチも付けました。
 
取り付けは、実車を模しています。ちょっと贅沢して、アルミ板を使いました。雰囲気はぐっと良くなりました。
 手をかけた分だけ目に見えて改善されるキットであることは間違いありません。

2014年11月27日木曜日

良薬はお財布に苦し

 鬼のかく乱と言えば少し大げさでしょうか、平素は疲れて休みたくてもそれ以上に具合が悪くなるところまでいかなくて結局休まないのが不満なほど健康な私が、一日半ほど寝込んでおりました。熱が出て、身体じゅうがバキバキに痛む辛さは、かなり久しぶりです。
 TVを見るか、パソコンでネットを見ることくらいしかできないこんなとき、いちばんの薬は、お買い物です。
 てなことで、かかりつけの医者ならぬイタレリ社さんに、2つばかりキットをネット注文。何をポチったかは、近いうちに明かします。
 そしてもう一つの買い物が、これ。
12月21日、ローマのオリンピコ・スタジアムで行われるASローマ対ACミランの観戦チケット。トッティ選手擁するローマが、本田選手擁するミランを本拠地で迎え撃つわけです。
 内心では本田選手を応援しつつも、よもやそんな素振りを見せないよう注意しながらローマ側のスタンドで観戦です。まあ、万が一周囲にバレてしまっても、以前ローマで活躍した中田選手の記憶がいまだ鮮やかに残るローマニスタ(ローマのサポーターをこう呼びます)たちは、きっとそんな日本人たちを許してくれるでしょう。
 こうしたおかげで体調は回復しましたが、良薬はお財布には決して優しくないのでした。