2019年4月29日月曜日

クフ王の親父のピラミッド

 昨日の投稿で紹介したメンフィスからほど近い砂漠のど真ん中に、ギザの3大ピラミッドで有名なクフ王の親父が作ったとされるピラミッドが2つあります。
 ピラミッドへのアプローチは、ナイル川と並行して走る道を南下し、ダハシュールという小さな村から入ります。肉屋などの小さな店が軒を連ねる田舎の村落を抜けたところに、ピラミッド・エリアの出入りを管理するゲートがあります。ゲートの係官だか警察官だかのおじさんに、どこから来たのか、どこまで行くんだというようなことを聞かれますが、まあ観光以外の目的はないだろうと思っていたら、実は砂漠の中に小規模の油田と、軍のキャンプがあるからなんだと、後になって解りました。
 さて、そのクフ王の親父スネフェル王がメンフィスを首都とする第4王朝を納めたのは、4600年前頃。近接した位置になぜ2つのピラミッドを作ったのか、そして何故同じ形でないのか。まだ解明されていません。
 ひとつ目は正四角錐ではなく途中から傾斜角が緩くなっているため、「屈折ピラミッド」と呼ばれています。崩れていない部分の表面はつるつるしていて、完成した当時のままですから、盗掘家たちによって石材が剥がされた訳ではありません。
 一説には、作り始めてみたものの、傾斜が急すぎて崩壊するおそれがあるという理由で、途中から緩やかな傾斜に設計変更したのではないかと言われているようです。でも、4000年以上昔なのに正確無比を誇るというのがピラミッドの神秘性を最大化していると思っている私には、その節はホンマかいなと疑わしい。何か、もっとちゃんとした理由があって、このような設計になったのではないかと勘繰ってしまいます。
  ふたつ目は、「赤のピラミッド」と呼ばれるもの。おそらく素材に赤みを帯びた石が使われているからなのだろうと思いますけど、実際の見た目はまったく赤くありません。高さは屈折ピラミッドと同じ105mですが、底辺が220mと、屈折ピラミッドよりも30mほど長いため、傾斜角も緩く、どっしりと安定しています。そして、どちらも想像していた以上にデカいです。
 それは良いとして(良いのか)、スネフェル王はどうして2つのピラミッドを作ったのでしょう。第4王朝はスネフェルからスタートしますが、古代王朝は家単位で変わりますので、スネフェルの親はファラオではありませんから、父のためではないと思われます。では嫁のためか。それも他にあまり例がなさそう。
 メンフィスを中心とするナイル川西岸地域は、大小さまざまなピラミッドが実に多く発見されています。そして、未だ発掘されていない遺跡が、砂の下にたくさん存在するであろうと言われています。
 「ピラミッドは王の墓ではない」という吉村作治先生の説が、科学的に裏付けられる日がくるのでしょうか。
 ダハシュールからの帰り道、となりの車線でのんびり走っていたピックアップ・トラックの荷台には、4頭のラクダが積まれていました。前の2頭がきちんと前を向いている絵が、やけにシュールでした。

2019年4月28日日曜日

最古の都メンフィス

 推定約5千年前の空気を吸いに、行ってきました。
 国家としてのエジプト最初の首都が、メンフィスです。現在の首都カイロから、ナイル川西岸を南下すること約20km。職人の守護神プタハを祀る巨大な神殿の遺跡が、今では野外博物館となって残されています。
初代国王=ファラオとして上下(南北)ナイルを統一したメネス王から、古代エジプト王朝はスタートすることになるのですが、彼が5千年前に築き、当時世界最大とされた都はしかし、今ではその街並みの痕跡を見出すことすらできません。それほど広くない野外博物館の敷地内に点在する瓦礫のような出土品のうち、どれが5千年前のものか定かではありません。代わって、遺跡を象徴するモチーフとして注目されるのは、そこから約1500年後のいわゆる新王朝時代に作られた石像やスフィンクスだったりします。
 第18王朝時代、アメンホテプ2世が作ったとされるスフィンクス。全長8mとそれほど大きなものではありませんけど、これでも見つかったものの中ではエジプトで2番目のサイズなんだとか。顔もきれいに残っています。
こちらは第19王朝時代に世界に名を轟かせたラムセス2世の巨大な石像。彼が王位に就任した際に、メンフィスを再び首都に定め、冒頭のプタハ神殿の入口に自身の巨像を建立したんだとか。ただしその後、地震により両足が折れて自立できなくなってしまったため横たわった状態で、その上から建物に囲われるようにして保存されています。
とにかくデカいです。その大きさは、誇示する権力の大きさに比例するようです。
 ひと口に5千年前といっても、まったくピンと来ないですね。ユーフラテス川流域でヘブライ人の街がメソポタミア文明にまで発展したのが、エジプトよりもほんの少し前か。日本では縄文時代真っ盛りです。
 エジプト各地で様々な遺跡を見て回っていますが、一貫して腑に落ちない点があります。縄文土器や縦穴式住居からは人々の暮らしと生活が容易に連想されるのに対し、古代エジプトのどの遺跡からも、庶民の生活感がまったく垣間見えて来ないのです。
 神々や儀式に関連する神殿などの巨大建造物、王の系譜と権力の大きさを今に残す石像、石碑や埋葬品ばかりです。こうしたものとは別に、庶民の暮らしぶりを窺わせる痕跡は、5千年という途方もなく長い時間の中で、灼熱に耐え切れず風化してしまったか、はたまた深さ数十メートルという砂の下に埋ってしまったということなのか。

2019年4月17日水曜日

ノートルダム火災に思う事

 ノートルダム大聖堂火災のニュースが世界を駆け巡っています。尖塔が焼け落ちる映像は、9.11をいやでも思い出させるインパクトをもって、何とも切ないものを「見せつけられている」印象を強く抱きました。
 まるで魂の一部が焼かれるような思いで燃え上がる大聖堂を見つめる人々の表情が、すべてを物語っているようでした。
 それもこれも、この大聖堂がパリという人々を魅了してやまない街の景観を象徴する建物の一つであったからであり、もとよりクリスチャン、特に聖母マリアを愛する人々にとって非常に大切な意味を持つ建物だからなのでしょう。ご存知でしょうが、ノートルダム=Notre Dame=Our Woman=私たちの婦人=聖母となる訳です。以前パリに4年間暮らした私は、シテ島に建つこの巨大な聖堂を何度となく訪れましたから、少なからぬ共感を覚えるのです。
さて今回の火災は、工事の電気関係から引火したと報じられているようです。ヒューマン・エラーとはいえ、決して意図したものではなく、こうした事故がときに起きてしまうのは、ある意味防ぎきれないことなのかもしれません。
 しかし、歴史を振り返ってみれば、人々は太古の昔から、権力鼓舞のため、あるいは他宗教を否定し排除するため、はたまた部族の対立や愚かな戦争によって、実に多くの大切な宗教施設を破壊してきました。何百年、何千年と人々の心のよりどころとされてきた神の像の顔をも破壊するといった非人間的な行為によって。
 神は、そうした人の行いを赦すのでしょうか。それとも、それほどに愚かだからこそ、神の救いと導きを必要とするのでしょうか。ふとそんなことを考えさせられる事件です。

2019年4月12日金曜日

完成が待ち遠しい大エジプト博物館

 ギザの3大ピラミッドの眼下という立地に、世界最大規模を誇る「大エジプト博物館」(GEM : Grand Egyptian Musium)が建築されつつあります。これ、円借款という日本の援助によるものです。
アラブの春の舞台となったカイロ市中心のタハリール広場にある現行の博物館は、展示物の名前や説明書きがほとんどなかったり、ミイラが直射日光に照らされていたりと、まったくもってなっちゃない、残念な状態。一つ一つは超がつくほど貴重な出土品なのに、ほんとに勿体ない。
 でも、GEMが完成すれば、ツタンカーメンのコレクションをはじめ、10万点ともいわれる古代遺跡の出土品がここに集められ、完璧な形で展示されることでしょう。保存修復センターも併設されていて、見学可能となります。
 観光旅行者にとっては、ピラミッド、スフィンクス、更には日本の援助で発掘中の「第2の太陽の舟」とのセットで、たっぷり一日かけてじっくりと見て回ることができる、すばらしい博物館になること間違いありません。
 完成は、来年10月と発表されました。いろんな理由でこれまでオープンが先送りされてきましたけど、外観は既にほぼ90%くらいが出来上がっています。あとは中身。
 でも、完成のときに、私はカイロにまだいるのでしょうか。相当あやしいです。

2019年4月6日土曜日

和製英語(ゴルフ編)

 グローバル化が進む世の中、入管法の改正により訪日外国人がますます増え、そして来年にはオリンピックが日本で開催されますね。そうした中で、私のようなオジさん世代が子供だった頃に比べれば、日本人の英語力もきっと格段に上がってきているのでしょう。
 とはいえ、海外で実際に暮らしてみると、様々なシーンにおいて、日本でしか通じない和製英語を実感します。レターや交渉事に使われるビジネス英語は、ある程度の語学力がある人同士であれば、相手の意図するところを理解することはそう難しいことではありません。むしろ、ゴルフなどのスポーツや砕けた会話の中でこそ、ネイティブの人達が使う表現と和製英語の違いを思い知ることになります。
 日本のTVゴルフ中継で英語といえば、戸張捷さんが有名ですね。あと、お笑いでよくあるのが英語禁止ホール。実に面白いです。
 ゴルフというスポーツで使われる和製英語とネリティブ英語の違いを、ちょっと思いつくままに挙げてみましょう。もちろん、これだけが正解という訳ではありませんが。
   (和)                (英)
 ナイスショット!     →  Good hit !
 ゴルフクラブ       →   Golf  sticks
 ユーティリティ      →  Hybrid
 ドラコン          →  Longest drive
 アゲンスト(向かい風) →  Into the wind
 フォロー(追い風)    →  Wind behind
 オッケー         →   Pick it up
 ピンハイ         →   Hole high
 パーオン         →   Green in regulation
 バーディトライ      →  Birdie attempt
 (パットが)ショート   →   Tentative
 ストップ!(止まれ!)  →   Bite!(噛め!)

 最後のステイ!は、打球にスピンがかかってグリーン上に止まってくれという趣旨で、日本人でもゴルフをよくする人たちは、ステイ!と言ったりもします。「Bite」はボールがグリーンを噛んでくれという表現であるのが、面白いのですね。外国では、ショットの直後に「Stop!」と叫ぶと、同伴プレイヤーたちが自分に対して言われたものと勘違いして、動きを止めてしまいますから要注意です。
 因みに、ミスショットでいちばん多い「ダフる」は、非常にクオリティが低いという意味のDuffに、るを足しただけの言葉。英語ではHeavyとか、Hit the ground behind the ballなどと言います。
そういえば、プロゴルファー猿クン、コース保護のために、ちゃんとスパイクシューズを履きましょう。それから、衿のないシャツもNGです。プロなんだからマナーを守りましょうね。

2019年4月2日火曜日

「平成」という時代

 「平成」が幕を閉じようとしている。いや、新たな時代に舞台を譲ると言った方が好ましいのだろう。
 何だかんだ言って、人生の半分以上は平成の時代に生きてきたわけなので、最早、昭和に対する思いよりも、平成に対するそれの方が感慨深いものがある。残りひと月を切った平成という時代、その31年間を、ちょっとだけパーソナルな出来事も織り交ぜて振り返ってみよう。

 即位の礼の頃に、細君と出会い、結婚した。
 ベルリンの壁が崩壊した。壁の欠片は我が家にもある。
 美空ひばりが亡くなった。
 絶頂からバブル崩壊へ。でも自身の経済状況はもとより低空飛行のまま。
 雲仙普賢岳の火砕流に恐怖した。
 宮沢りえの写真集を買った。
 ポケベルはいくら流行しても持たなかった。
 ECがEUになった。
 地下鉄サリン事件にビビった。
 阪神淡路大震災に震えた。私はチェコにいた。
 商店街に流れる音楽がパチンコ屋の軍艦マーチから小室サウンドに代わった。
 ダイアナ妃が事故死した。
 長野五輪の年に長男が生まれた。ケニアに駐在していた頃のこと。
 ノストラダムスの大予言は外れた。
 2000年ミレニアム問題はたいした支障がなかった。
 Qちゃんが金メダルをとったのに、コーチの方が目立った。
 モーニング娘が流行った。
 我が家に次男が生まれた。スイスに暮らしていた。
 9.11。バカンスのプールサイドでニュースを知った。
 小泉総理が北朝鮮から拉致被害者を連れ帰ってきた。
 ユーロ通貨が発行した。
 冬のソナタという韓国のドラマが流行した。
 福知山線の電車が大事故を起こした。
 新潟中越地震に怯えた。
 浅田真央と宮里藍が活躍した。
 ホリエモンが逮捕された。関係ない世界の話だった。
 荒川静香のイナバウアーが美しかった。
 フセインが死刑になった。
 年金が消えた。
 どげんかせんといかん。
 wiiを買った。
 リーマンショックが起こった。
 中国製の冷凍餃子は食べたら死ぬと思った。
 民主党が政権を取った。
 Yes, We Can. by Obama.
 プラモ作りを再開し、このブログを始めた。パリに赴任した頃の話。
 尖閣事件。民主党がクソだと皆んな分かった。
 AKB48というアイドルにちょっとだけハマってみた。
 最低でも県外。
 東日本大震災に涙した。
 なでしこジャパンが優勝した。
 アラブの春が起こった。
 東京スカイツリーができた。が、未だに登ってない。
 アベノミクス。
 アナ雪。
 マー君の活躍で楽天優勝。
 五郎丸のポーズはイタリアからテレビで見た。
 パリ同時多発テロ。すごく身近に感じた。
 ポケモンGO、君の名は、PPAP。エジプトに転勤した頃。 
 トランプ就任。
 羽生結弦、大谷翔平、大坂ナオミ。