表題の台詞は、言わずと知れた古代ローマのカエサル(シーザー)のもの。
さて、イタリアが世界に誇るデザイン会社ピニンファリーナが、赤字体質の経営から立て直し努力の甲斐なく、インドのマヒンドラに身売りというニュースが
流れました。先月のことです。
ピニンファリーナと言えばフェラーリの代名詞のような存在ですが
、車だけでなくこれまで様々な工業製品や、
果てはオリンピックの聖火、一生インクの要らないボールペンなどのデザインを手がけています。このロゴが入った製品は、それだけでグンと魅力がアップする魔法のロゴのようなイメージを持っていました。
そして同社が世に生み出した幾多の名車の中でも、
私が最も好きな車を挙げろと言われれば、迷わずフェラーリ・
ディーノともう1台、プジョー405を選ぶでしょう。特に、当時「
世界で最も美しいセダン」と呼ばれたプジョー405は、
その端正で無駄のないデザインに心酔し、
真剣に購入を検討した時期がありました。今でもセダンが大好きなのは、
この1台の影響が根強く残っているからです。
結局は406へのモデルチェンジがささやかれていた中で、いざ購入の段階で
ルノー19に心変わりしてしまったのですけど。
それにしても、
ピレリが中国資本となってしまったニュースに続いて、
今度はピニンファリーナがインドですか。イタリアン・
デザインと自動車産業を長く支えてきた2大巨頭が衰退していく様
は、資本主義のある意味最も残酷な部分と受け止めなければならないのでしょうが、余りにも寂しい。
2 件のコメント:
405いまみてもシンプルなPEUGEOTらしいスタイリングで好感が持てますね。私の憧れは205でしたが、当時新車で300万委譲しととえもての届かない存在でした。現行の208になりようやく200万を切るようになりようやく本来の価格帯におちついたと思ったら、スタイリングが……。PEUGEOTやRenaultの魅力はなんと言ってもその飾らないスタイリングであったように思います。特にピニンファリーナと手を組んでいた頃のPEUGEOTの端正な美しさは、押しの強いどこかの国のクルマとは一線を画していました。それでいながら、ふところの深い座り心地抜群のシートや軽快なハンドリングに猫アシと魅力満載でした。わたしも6シリーズとなってしまいましたが、106と約12年14万キロつきあえたのは非常に幸福だと思っています。ところがピニンファリーナと縁を切って以降のPEUGEOTの凋落ぶりは傍で見ていてもつらいモノがあります。なぜ自社ブランドの美徳であったデザインが、現在な様な状況になってしまっているのでしょう。ピニンファリーナのようなカロッツェリアが産み出していた良心的?なデザインは、いまやみる影もありません。ピニンファリーナが身売りするのは非常に残念ですが、そうしたカロッツェリアの存在意義をユーロ圏で見出す企業が無いのであれば、たとえマヒンドラ傘下であるとはいえ、そうした美意識や価値観が生き残って欲しいとも思います。
>迷走さん
まるで私の心の一部を代弁して下さるようなコメント有難うございます。
今も昔も、ハッチバックは205、セダンは405が、ドイツを除いた西ヨーロッパの人々のスタンダードな美意識に応えるものだと私も思います。どちらも、青年になった孫息子が、おじいちゃんのお下がりを譲り受けるといった乗り継がれ方に何の違和感も起こさせない、普遍的なデザインだと思うのです。
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