2022年1月18日火曜日

LA生活開始3(祖国を失った家族との再接続)

  実は私には、LAに住む叔母とその家族がいる。LAで叔母に会うのは、私がまだ新婚で子供ができる前、今から約27年前に旅行で訪ねてきて以来だ。一昨日、お互い歳をとったものの当時とそれほど変わらない笑顔で、私の再訪を迎えてくれた。

 亡き父の妹である叔母は今から約60年前、日本を代表する航空会社に勤務していた。駐留米国軍人を交えた社内イベントで、丁寧な日本語を話すひとりの軍人と知り合ったそうだ。数年後、浅黒い肌とくるくるカールした髪を持つ赤ん坊を抱いて実家を訪ねると、親から売国奴と叫ばれ、足蹴にされて実家を叩き出されたと言う。子供の父親は黒人だった。

 渡米後、裁縫に覚えのあった叔母は、ビバリーヒルズの金持ちを顧客につかみ、ウェディングドレスやパーティドレスを縫って生活費を稼ぎ、3人の息子を育て上げた。この間、日本の家族の誰からの援助もなく、その後も日本国籍を離脱したことが理由で遺産相続さえ配分されなかったそうだ。既に齢80を越える叔母は持ち家を人に賃貸し、年金と家賃収入で犬2匹と共に優雅な隠遁生活、長男はLAPD(ロス市警)を定年まで勤め上げた警察官、次男は著名な企業の幹部、三男はワシントンDCで弁護士として今も現役で働いている。どこからどう見ても立派な家族だ。だが生まれ育った実家から追い払われ、親戚付き合いさえ許されず、祖国を失ってから半世紀以上の間、叔母と米国の家族は日本から断絶されていた。息子たちの体には半分日本人の血が流れ、私と同じDNAを受け継いでいるというのに。

 どんな因果か、私がLAにやって来たことによって、断絶された家族が再び接続されようとしている。自身のルーツやファミリーを何より大切なものと捉えるアメリカ人にとって、これ以上のことはないのだろう。私が妹から送られてきた実家の古い写真を見せると、長年堪えてきた涙が叔母の目から自然に溢れてくるのでした。「こっちでの生活で困ったことがあったら何でも言ってね。家族なんだから」。

 うん、ありがとう叔母さん。なんなら車1台くらいもらえないかな。

2022年1月17日月曜日

LA生活開始2(リトル東京に池袋を偲ぶ)

  ロサンゼルスのダウンタウン、リトル東京のど真ん中のホテルでLA生活4日目を迎えている。日曜日の昨日は、食料品の買い出しに10分だけ外出した以外は、ずっとホテルでゴロゴロした。そういえば、これほどのんびりした日曜日を過ごしたのは、いったいどれくらいぶりのことだろう。なんだかんだと心も身体も疲れ切っていたのだろう。ベッドが本当に心地良い。

 11階の窓からは、数ブロック先に高層オフィス街が見える。目の前は駐車場ビルの屋上で若者たちがスケートボードをしたり、自分の車の前でポーズを決めて写真を撮ったりと、思い思いに遊ぶ姿が見える。ビルの壁にはラクガキ、遠くからはパトカーのサイレン、もう半袖どころかタンクトップではしゃぐギャルたち、ちょっと離れた薄暗い袋小路にはホームレスも。佐野元春の昔の曲が頭をよぎる(伝わるかなぁ)。そして眼下には、居酒屋、ラーメン屋、たこ焼き屋などの軒先もチラリと。さっき行ったスーパーでは、日本のあらゆる食料品が売っていた。稲荷弁当7ドル、おにぎり1.99ドル、かっぱえびせん、缶ビールなどを瞬時に買い込み、サブカルの店目当ての人手で賑わう小径からさっさとホテルに戻ってきた。

 ん?どこかに似てないか?辛子明太子のおにぎりを頬張りながら、ふと感じた懐かしさ。そう、ここリトル東京は、オッサン世代と若者世代の双方を擁する私のホームグラウンド、池袋によく似ているのだ。そう思うと、俄然嬉しくなってきた。職場はここから歩いても行ける距離にある。仕事の帰りにちょっと寄って、たこ焼きか餃子でビール1杯だけひっかけて帰る、そんなライフスタイルすら浮かんでこようというもんだ。

LA生活開始1

  12日夜9時、自宅を後にしカイロ空港を飛び立ってから実に26時間余りの旅を終え、ロサンゼルス空港に降り立った。時刻は昼過ぎ、気温は20℃弱といったところか。今まさに、アメリカ西海岸での新たな生活が始まろうという瞬間。とは言え、年男にこの長旅は正直過酷だ。HPは限りなくゼロに近い。

 離任前に色々ありすぎたんだ。船便で送る引越し荷物の荷造り、後任との引き継ぎと挨拶回り、送別ゴルフに連日の飲み。そこまでは想定の範囲内。違ったのは、出発1週間前に後任が濃厚接触者になり、後任と接触のあった私が濃厚接種疑いの圏内に。折りしも疲れが溜まってうっすらと風邪気味だったところに感染の可能性が重なり、激弱のメンタルを最高水準で刺激されたもんだから、なんなら微熱と頭痛に見舞われた。フライト前日に不安レベルMAXで受けたPCR検査の結果が出るまでは、本当に生きた心地がしなかった。よもや陽性判定が出るようなことがあれば、自分の赴任が遅れるだけでは済まない。その具体的な影響をシミュレートすることさえ怖かった。心も身体もズタボロ。ゴルフ仲間たちの優しさが身に染みた。

 そんなふうに、すったもんだでエジプトを発ったのに比べて、ロス到着時には陰性証明などの審査すらヌルッと素通りできちゃうくらいの緩さで、すっかり拍子抜け。高層オフィスビルが立ち並ぶダウンタウンには、リトル東京と呼ばれる地区があるが、その真ん中にある都ホテルが当面の宿。荷物を部屋に放り込んで、銀行口座開設など優先度の高いことだけその日のうちに済ませると、夜は新たな職場の前任者と居酒屋で一杯。生ビールも麒麟かアサヒを選べるとは、なんという贅沢。入店時に接種証明の提示を求められ、逆に安心。LA生活初日は、こうして穏やかにスタートしたのでした。



2022年1月4日火曜日

エジプト在留邦人のオアシス「牧野」レストラン

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 お正月三が日の最後の昨日、ゴルフの打ち初めの後は、いつものようにザマレク地区に所在するヒルトンホテルに、日本レストラン「牧野」を目指します。カイロ在住だけでなく、エジプトの地方都市に様々な目的で暮らす日本人にとって、レストラン牧野はまさに砂漠に見つけた心のオアシス。乾いた心を潤すように、駒水シェフが懐かしい日本の味で優しくおもてなししてくれます。

 この駒水シェフ、毎週カイロから片道2時間以上をかけて、運河で有名なスエズやアレキサンドリアといった魚港を訪れ、自身の目で確かめた新鮮な魚介類を仕入れてきては、エジプト国内で調達できる食材を駆使して見事に和風のメニューに仕立てます。

 三ヶ日限定というお正月「祝膳」は既に売り切れでしたけど、残り物のお節料理を小鉢に並べて出してくれました。持ち込んだ焼酎のお湯割りをちびちびとやりながら、異口同音に「やっぱこれだな」と膝を打つおじさん達3名。正直、ゴルフと牧野がなかったら、エジプト生活を心身ともに健康に過ごしてくることは到底かなわなかったでしょう。本当にありがとう。本年もお店の益々のご繁栄をお祈り申し上げます。

2022年1月2日日曜日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。


2021年12月31日金曜日

還暦前夜祭なんだが

  あと数時間で2021年が終わり、新しいカレンダーがめくられる。来年は寅年。年男の私は、還暦を迎える。昔、アホな若者だった自分の目に、60歳はひどく年寄りに見えていた。なんならどうしていまだに社会人やってんのくらいに失礼な思いすら抱くことも。今こうして自身がその年齢に達しようとしている訳だが、老いを認めざるを得ない部分と、若者にこれは出来ますまいという経験に裏打ちされた自信とが共存する。

 昨日のゴルフ打ち納めもそうだった。四十代前半の若い世代が中心の12人のミニコンペ。ハンデ差で優勝こそ逃したものの、85のベスグロは還暦イブのワタクシ。9番ホールでバンカーの往復ビンタがなければ80切りも望めるラウンドだった。ドライバーの飛距離も負けてない。でもね、打ち上げでしこたま飲んだ老体には、一夜明けた今日も連チャンでプレイするのは無理ってもんです。まあでも、これまでのところは割と上手いこと「老い」と折り合いをつけてこれたのではないかな。心穏やかに還暦を迎える準備はできているつもり。

 大晦日の今夜は、日本の家族から離れて独り寂しい者同士、気の置けない仲間を家に呼んで、残っている酒と食材を一掃しながら歳を越そうという、早い話が飲み会です。コロナに明け、コロナに暮れたこの一年が終わります。無事健康で過ごせていることに感謝しなければなりませんね。どちら様も良いお年を。

2021年12月29日水曜日

エジプトを離れるカウントダウンは少し複雑な心境

  中東の国にいてクリスマスもなかろうと思われるだろうが、ここエジプトの人口の1割はコプト教という古代キリスト教の教徒なので、ホテルやレストランに行くとそれなりにクリスマスの飾り付けがなされている。まあ、とはいえ還暦手前の単身赴任のおっさんにとって、もとよりクリスマスは全く関係がないイベントだから、極めて静かに、淡々と荷造りしながらイブをやり過ごしましたとさ。

 そして有馬記念は当然に的中することもなく、今日は今年の仕事納め。そしてそして今週末には年が明ける。年始早々には後任に引き継ぎをして、1月12日の夜にエジプトを離れる。既に航空チケットは購入してあるし、超過荷物のバウチャーもゲットした。アメリカのビザも取得済み。ワクチン接種証明もある。後は引っ越し荷物を輸送業者に出して、PCR検査を出発前日に受ければそれで5年弱のエジプト生活が終わる。あと2週間。いよいよカウントダウンだ。

 次の任地はロサンゼルス。そう言うと、10人が10人ともこの人事をうらやむ。私自身も勿論、小躍りするくらい嬉しいし、さんざ苦労させられたエジプトを、というかエジプト人から離れたい。でもなんだろう。モヤモヤする気持ちがどうしても晴れない。

 世界がコロナ禍に陥ってから既に2年弱。この間、世界中のあらゆる場所であらゆる人たちがストレスを溜めて生き残ってきた。辛いのは自分だけじゃない、皆んなそうなんだという自己暗示だけを頼りに。だからコロナ由来のストレスは、モヤモヤの原因から差し引かなきゃならない。

 だとすると、他に何が原因だと言うのか。仕事は確かにスッキリしない。今日言ったことが明日のうちに片付くようなお国柄ではないから、どうしたって後任に頭を悩ませてもらわなければならない課題を残してしまう。自分の中でやり切った感を持ちきれない理由はおそらくそこだ。なんだかんだ言って、昔かたぎの仕事人間なんだろうな。

 でもそれだけか。いいや、やっぱり数えきれないくらいゴルフや酒を共にした仲間から離れるのが寂しいんだ。似たような苦労をそれぞれの環境で耐え、乗り越えてきた同志、いわば戦場で同じ窯の飯を食った仲間だ。思い切り後ろ髪を引かれている気がしてならない。

 そんな折、エジプト人スタッフたちから思わぬプレゼントを贈られた。ギザの3大ピラミッドを模したガラスの置き物。透彫が施してあって、なかなか素敵だ。それから、仕事で大いに世話になった一流ホテルの営業マンからも、エジプト最後の晩は是非当ホテルにご宿泊ください、悪いようにはしませんとの有り難いオファー。公私共に苦労させられた思い出ばかりのエジプト人が、最後に嬉しくなるようなことをしてくれる。少し泣ける。