「港町ジェノヴァ」。タイトルをそう付けてしまった以上、港町らしい写真からスタートです。釣り船から超巨大フェリーまで、あらゆる船が停泊している港の中ほどには、水族館や海洋博物館など、観光客を向かわせる施設が集中します。
パリやドイツの一部地方では集中豪雨による洪水被害が発生したこの日、ジェノヴァの天候はまずまずでした。バジルの香り漂うジェノヴェーゼ・ソースのパスタや水族館も結構なのですが、今日は少し異なる視点からこの街を紹介します。
まずは、通称ストラーデ・ヌオーヴェと呼ばれる、この美しく豪華な建物が立ち並ぶ雰囲気抜群のガリバルディ通りは、ユネスコ世界遺産に登録されています。16世紀、財力を誇る貴族たちが競うように密集して建てた42の宮殿。中でも、画像左の「赤の宮殿」と、その向かいの「白の宮殿」などいつくかは一般に公開されています。
白の宮殿のテラスから赤の宮殿を臨む図。庭には藤が綺麗な花をつけていました。ジェノヴァの商人たちの儲けっぷりってのはいかほどだったのか、平民には想像もつきません。
今度はジェノヴァ中央駅の駅前広場。路線ケーブルバスの奥に白い大きな像が見えますが、これは何を隠そう1492年にアメリカ大陸を発見したとされるコロンブス像。ジェノヴァ出身のこのイタリア人、イタリア語の名前はクリストファー・コロンボです。
そして、街中にはコロンブスの生家が残されています。「発見」された方のアメリカ人によって当時の姿に修復され、一般公開されています。
もちろん、「発見」というのは欧州側の視点に立った表現で、アメリカ大陸にはそれ以前からいわゆるインディアンが住み暮らしていたわけですから、逆の視点に立てば彼は残虐な白人の侵略者だとなるのも、また道理です。
実はジェノヴァにはもう一つ密かな目玉アイテムがあります。それは、イエス・キリストが12人の使徒たちとテーブルを囲んだ「最後の晩餐」で使われたとされる、或いは処刑後のキリストの身体から流れる血を受けたとされる「聖杯」(Holy Grail)で、なんと、この街にあるのです。
普段は、街の中心部にある大聖堂にそれはあるのですが、この旅行で訪れたときは、中心から少しはずれたサント・オーガスティン教会に移され、ひっそりと特別展示されていました。
教会に併設された博物館には、後年に描かれたであろう最後の晩餐のレプリカが展示されています。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた本物は、もちろん今もミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ修道院の壁にあります。
ワインを回し飲みしたというからには、聖杯はてっきりワイングラスのような形をしているのだろうという勝手な想像は、あっけなく否定されました。杯というには平たくて、しかも大きい。直径は30cmくらいか。エメラルド色をしていますけど、ガラス製です(しかも、欠けてます)。
聖杯の写真を撮影することは禁じられていました。係員が鋭い目で監視していましたので、下の画像はかろうじてネットで見つけたものです。
古くはアーサー王が血眼で探した伝説に登場、新しいところではインディ・ジョーンズが身の危険を冒して探し回り、最近ではダヴィンチ・コードでモチーフにされた聖杯。信憑性はともかくとして、なあんだ、こんなところに普通にあったんじゃん。。。と言いつつ、様々なつっこみを入れたくなる自分もいたりするのですが、まあともかく見れたのでよしとしましょう。
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