すっかり秋めいたParisの街並みをジョギングしながら、この夏休みを思い返していました。
街全体が世界遺産に登録されているベルギーはブルージュの中心、マルクト広場の裏手にあるバーで、ベルギー・ビールを飲んだっけ。
右は、ポピュラーなジュピラーの生。左はチェリー風味のクリーグです。どちらも口当たりが良く、夏の暑いさなかに歩き回った身体にしみ込みました。
歴史を感じる、と言いますか、歴史そのもののたたずまいに身を置き、視界の中に外国人しかいない(こちらではオヂさんの方がむしろ外国人なのでしょうが)中で過ごすことが当たり前になってはいますが、暮らしている土地を離れてもなお、外国人に囲まれている状態が心地良く感じる不思議さは、なかなか解っていただけないかもしれません。幸いにして、フランス語とフラマン語の両方を少しずつ喋れることも、旅先で接するホテルマンやバーテンダーなどといった人たちから親密に接してもらえる理由なのかもしれません。街に溶け込む瞬間こそ、旅のなによりの楽しみなのではないかと、あらためて思いました。
2011年8月25日木曜日
欧州バイク事情
先日、シャルル・ド・ゴール空港内のキオスクで、時間つぶしに買ったMOTO Journal誌の特集号がこれ。125cc以上の現行市販バイク280台の乗り比べBESTランキング。
最新型モデルに疎いオヂさんですが、メーカーによるパーツ・デザインの進化の様子は、やはり気になりますし、たまには物欲と妄想に身を委ねるのもいいでしょう。勿論、購入資金はありません。
最新型モデルに疎いオヂさんですが、メーカーによるパーツ・デザインの進化の様子は、やはり気になりますし、たまには物欲と妄想に身を委ねるのもいいでしょう。勿論、購入資金はありません。
280台中、最高の14点を与えられた1台が、BMW R1200GSアドベンチャー。なるほど地の果てまで走れそうな雰囲気です。長旅に絶大の信頼を寄せられる相棒になるに違いありません。まさに、大人の選択と言っていいでしょう。欄外に、編集者コメントとして、ネックは、オプションのABSを付けると、16,000ユーロを超えるお値段だろうと、小さく記載されていました。
因みに、280台の中でオヂさんが欲しいなぁと思ったのは、スズキVAN VAN125でした(得点圏外)。
2011年8月20日土曜日
猿?それとも犬?
日本から訪ねて来た友人に調達を頼んでいたのが、これ。少数再販なので、なかなか欧州のマーケットにはまず見つからないのです。
モンキーやゴリラと設計を同じくするカブ系エンジンですから、猿の仲間に違いないのに、名称は胴長のスタイルそのままのダックスです。キットは70ccの輸出モデル。原付のダックスは、モンキーと並んで、未だに根強い人気モデルですから、解説は不要でしょう。
さてこの1/6ダックス70、いったいどうしましょうかね。フルノーマルがいちばん可愛らしいことは間違いありませんし、タンクと一体になったフレームを改造してしまうと、それだけで最早ダックスではなくなってしまいます。かといって、金に任せてタケガワ・パーツてんこ盛りの今どきカスタムは、オヂさんの趣味ではありません。
しばらく箱を眺めて、あれこれ妄想してみることにしましょう。
モンキーやゴリラと設計を同じくするカブ系エンジンですから、猿の仲間に違いないのに、名称は胴長のスタイルそのままのダックスです。キットは70ccの輸出モデル。原付のダックスは、モンキーと並んで、未だに根強い人気モデルですから、解説は不要でしょう。
さてこの1/6ダックス70、いったいどうしましょうかね。フルノーマルがいちばん可愛らしいことは間違いありませんし、タンクと一体になったフレームを改造してしまうと、それだけで最早ダックスではなくなってしまいます。かといって、金に任せてタケガワ・パーツてんこ盛りの今どきカスタムは、オヂさんの趣味ではありません。
しばらく箱を眺めて、あれこれ妄想してみることにしましょう。
再び巡礼の聖地へ
先週、日本からやってきた友人と共に、再び巡礼者の聖地モン・サン・ミシェルを訪れました。2年越しの訪仏を果たした友人はしかし、日本のサラリーマンらしく中5泊という短い滞在。聖地への日帰り小旅行も、片道3時間半、到着直前の渋滞と駐車場の混雑で、現地滞在は正味4時間程度しかありませんでした。予想していたとは言え、細い坂の参道は、人また人で大賑わい。集客力抜群の世界遺産ですから、まあこの時季はそれなりの覚悟が必要ですね。
気の進まない友人を、折角だからと半ば強引にテーブルにつかせて食したのが、聖地名物メレおばさんのオムレツ。なぜか単品で注文することが出来ず、前菜、デザート付きのコースで45ユーロ也。決して安くありません。ま、サイズはご覧のとおりで、特大です。肝心のお味は。。。どうぞご自身で体験してください。
軍事模型が大好きな友人は、ノルマンディ地方の土の色や牧草の生え方、更には朽ち果てた家畜小屋などが、ジオラマ作りのイメージ作りに大いに役立ったようで、車窓から見える景色を、道中ずっと凝視していたそうな。それはそれでよかったよかった。
2011年8月9日火曜日
Parisに暮らすということ
だいたい3年くらいの周期で転勤を繰り返すオヂさんとしては、おそらくこの夏がparisで迎える最後の夏になるだろうからと、少しは街中をあちこち歩いてみようと思い始めています。写真は、天気の良い週末に散歩したシテ島の地下鉄入り口。ノートルダム寺院のすぐ脇です。アールヌーボー調の看板がおしゃれです。
また、昨日は、歩けば歩くほどじわ~っと味が出てくるマレ地区(パリ4区)のレストランで、フレンチと洒落込んでみました。
星こそ付いてませんが、ドーム状の高い天井が特徴的な雰囲気の良いレストランでした。1700年代の建築物で、元は銀行だったのを、現在のオーナーが買い取って改装したのだと、黒服の可愛らしいパリジェンヌが建物の由来を解説してくれました。アペリティフはグラスのシャンパン、アミューズ(付け出し)には小さな器でガスパチョ(冷たいトマトスープ)が出てきました。古城で有名なローヌ地方産の辛口の白ワイン(ピューイ・フュメ)を選び、前菜にはフォアグラのテリーヌに甘い果物のジャムを添えて、メインはシンプルな鯛のソテー。皮がぱりっと香ばしい。デザートの代わりにチーズ3種の小皿とボルドーの赤をグラスで。ワインを除けばこれで50ユーロくらいですから、ひととおりコースを楽しむ夕食としては、リーズナブルです。
翻って、なんだかんだで海外生活も早20年、これまで欧州4カ国、アフリカ2カ国の都合6カ国で生活してきた中で、parisという過去に何度も訪れた街に暮らすこと自体、オヂさんにとって全く違和感はありません。拍子抜けするくらいすんなりとヨーロッパの生活に戻ってきたというのが実感で、スペシャルなことだとは感じませんでした。自分で考える以上に、欧州の生活環境に慣れてしまっていたのでしょう。苦手意識が強かったフランス語も、ちょっとばかり耳が慣れてきたというのもありますし、はたまた歳を重ねて感受性が弱くなった(鈍感になった)というのもあるのかもしれません。
とは言え、客観的に考えてみれば、parisは日本人にとって永遠の憧れの街、華の都であって、一生のうちほんのわずかの期間だけでもparisに暮らしたことがあるというのは、やはり人生に彩を添えるものであるでしょうから、相当に幸運なことなのだと自覚しなければなりません。就職するまで飛行機にすら乗ったことがなかった我が幼少期には、想像もつかない状況であることは間違いないのですから。
実際、コンコルド広場から凱旋門に向かってシャンゼリゼ通りを車で上っていく(ツール・ド・フランスの映像では分かりにくいかもしれませんが、ず~っと坂道なのです。)景色、色あせない石造りの建物が軒を連ねる街並み、セーヌ川沿いを犬と散歩する老夫婦、珍しい野菜や生牡蠣が並ぶ週末のマルシェ、歩道にテーブルを並べたカフェ。。。parisの素敵な部分を挙げれば、キリがありません。(実は生活するとなると、ネガティブな部分も同じくらいあったりするのですが。)
という訳で、せっかくparisに暮らす幸運に恵まれたのですから、心残りしないよう、目と胃袋に、もっともっとparisを詰め込むことを心がけてみようと思う今日この頃なのです。
また、昨日は、歩けば歩くほどじわ~っと味が出てくるマレ地区(パリ4区)のレストランで、フレンチと洒落込んでみました。
星こそ付いてませんが、ドーム状の高い天井が特徴的な雰囲気の良いレストランでした。1700年代の建築物で、元は銀行だったのを、現在のオーナーが買い取って改装したのだと、黒服の可愛らしいパリジェンヌが建物の由来を解説してくれました。アペリティフはグラスのシャンパン、アミューズ(付け出し)には小さな器でガスパチョ(冷たいトマトスープ)が出てきました。古城で有名なローヌ地方産の辛口の白ワイン(ピューイ・フュメ)を選び、前菜にはフォアグラのテリーヌに甘い果物のジャムを添えて、メインはシンプルな鯛のソテー。皮がぱりっと香ばしい。デザートの代わりにチーズ3種の小皿とボルドーの赤をグラスで。ワインを除けばこれで50ユーロくらいですから、ひととおりコースを楽しむ夕食としては、リーズナブルです。
翻って、なんだかんだで海外生活も早20年、これまで欧州4カ国、アフリカ2カ国の都合6カ国で生活してきた中で、parisという過去に何度も訪れた街に暮らすこと自体、オヂさんにとって全く違和感はありません。拍子抜けするくらいすんなりとヨーロッパの生活に戻ってきたというのが実感で、スペシャルなことだとは感じませんでした。自分で考える以上に、欧州の生活環境に慣れてしまっていたのでしょう。苦手意識が強かったフランス語も、ちょっとばかり耳が慣れてきたというのもありますし、はたまた歳を重ねて感受性が弱くなった(鈍感になった)というのもあるのかもしれません。
とは言え、客観的に考えてみれば、parisは日本人にとって永遠の憧れの街、華の都であって、一生のうちほんのわずかの期間だけでもparisに暮らしたことがあるというのは、やはり人生に彩を添えるものであるでしょうから、相当に幸運なことなのだと自覚しなければなりません。就職するまで飛行機にすら乗ったことがなかった我が幼少期には、想像もつかない状況であることは間違いないのですから。
実際、コンコルド広場から凱旋門に向かってシャンゼリゼ通りを車で上っていく(ツール・ド・フランスの映像では分かりにくいかもしれませんが、ず~っと坂道なのです。)景色、色あせない石造りの建物が軒を連ねる街並み、セーヌ川沿いを犬と散歩する老夫婦、珍しい野菜や生牡蠣が並ぶ週末のマルシェ、歩道にテーブルを並べたカフェ。。。parisの素敵な部分を挙げれば、キリがありません。(実は生活するとなると、ネガティブな部分も同じくらいあったりするのですが。)
という訳で、せっかくparisに暮らす幸運に恵まれたのですから、心残りしないよう、目と胃袋に、もっともっとparisを詰め込むことを心がけてみようと思う今日この頃なのです。
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