2021年12月20日月曜日

海外生活の偉大な先輩を偲ぶ

  私がケニアの首都ナイロビに勤務していたのは25年も前のことだ。ナイロビにいた約3年の間には、長男が生まれ、アメリカ大使館がテロで爆破され、日本人学校の校長先生が金目当ての輩に襲撃され殺害されるという事件もあった。35, 6歳という若い私はまだまだ元気で、週末ともなればいろんな企業の駐在員の方々からゴルフ、テニス、麻雀、カラオケなどにお声がけしてもらい、ひたすら働いて、ひたすら遊んだ。

 そんな中でも、ひときわ異色を放つ日本人夫妻がいた。ご主人は、日本で誰もが社名を知っている一流企業を脱サラして、独りケニアに渡ってきた人。スワヒリ語を学び、来る日も明る日も地方の中学校を巡っては、整備などされていないグラウンドを駆ける子供たちを観察し、世界レベルの長距離ランナーとして育つ才能を発掘、仙台育英、山梨学院といった高校や、コニカなどの企業に繋ぐ、いわゆるスポーツ選手ブローカーだ。彼が発掘した選手の中からは、ダグラス・ワキウリや、エリック・ワイナイナといった日本でもお馴染みのメダリストも大勢輩出した。

 心ない人からは、「人買い」などと揶揄されることもあったそうだが、彼の動機はひたすら純粋かつ暖かいものだ。ケニアの地方で明日の暮らしさえ保証されない子どもたちが、自分の身体能力一つで数年後にはメダリストにまで成長する。スポーツ界の名声だけでなく、日本の企業にも就職でき、親兄弟たちを十分に養うこともできる。ケニアで食わせてもらっている自分が、こういう形でケニアにお返しできる。とにかくケニアが大好きで、良い意味で化石のように真っ直ぐな人だった。

 その人が、80歳を目前に、昨日ナイロビで逝ったと知らされた。老衰。43年連れ添った奥様の手を握ったまま静かに永眠についたと聞いた。ナイロビ生活44年。日頃からケニアに骨を埋めると言っていたご自身の言葉そのままに。

 Kさん、あなたにはついに一度もゴルフでかないませんでした。麻雀は私の方が強かったけど、いつもあなたの家で卓を囲んだ時の楽しさと、奥様の作る自家製手打ちラーメンの美味しさは、決して忘れません。何歳になってもお洒落で、いつも麦わらのハットを被り、紺色のブレザーと綿パン、足元はローファーでしたね。ついこないだまで、時折くれるメールをいつも楽しく読んでいましたよ。お疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね。合掌。

2021年12月11日土曜日

エジプトのうろこ雲の下で荷造り

  意外に思われる方も多いかもしれない。ここエジプトでも冬は結構寒いのです。朝晩は10度近くまで気温が下がり、風が強い日は薄手のウィンドブレイカーでは不十分。

 今朝は、寒空にうろこ雲が広がっていた。曇ること自体が珍しいエジプトにいて、うろこ雲を目にすることはそう滅多にない。遠く離れた日本の秋冬の空を思い出して、ちょっぴりセンチな気分にしてくれたので、思わず写真を撮ってしまいました。

 ときに、これって、うろこ雲でホントに合ってるんだっけと、ふとした疑問が。これがうろこ雲なら、それじゃあ、いわし雲ってどんなんだったか。モヤモヤをいつまでも引きずりたくないので、すぐに調べましたよ。結果は、同じものでした。何に見えるかという極めて主観的な判断でどちらで呼んでもよく、実は両者は同じ雲を指すのだそうです。

 寒空の下ゴルフをした後は、荷造りです。ざっと見積もって、段ボール20箱くらいで収まるだろうけど、なにせ残りひと月の間は日々の生活をしながらなので、まだ詰められないものが結構あるから、はかどらないことこの上ない。半年近く前から分かっていたことなのに今の今まで何もしてこなかったおのれの怠惰が招いていることとは言え、やや途方に暮れているのが現状。ある日いっぺんにまとめて集中して取り掛かるという無茶な計画は捨て、一日一個のペースでやっていけば最後は間に合うだろうと、これまた無計画に近いスケジュールを組んでみた。

 今日は、後任者が到着する。ホテルに突っ込んで帰ってきたら、2箱くらいは頑張ろうと今は思っている。

2021年12月5日日曜日

エジプト生活を終えるのだが(まだ観てない場所もあるのにな)

  明日、転勤の辞令が出る。数時間フライング気味の投稿になるが、まあ許容範囲だろう。これまで約4年8ヶ月ほどを過ごしたエジプトをいよいよ離れることが現実のものとなるわけだ。とはいえ、去年の3月からこれまで2年弱の間はコロナ禍で国内旅行すらほぼ出来なかったから、まだ観ていない場所がたくさん残っている。楽しいことばかりではないエジプト生活ではあっても、そういう意味では後ろ髪を引かれる気持ちがないと言ったら嘘になろう。

 そんな折、古代遺跡の宝庫ルクソールで先の11月25日、古代エジプト考古学史上たいへん大きな意味を持つイベントが行われた。カルナック神殿とルクソール神殿を結ぶ全長約2.7kmの「スフィンクス参道」が、長年に及んだ修復を終え、お披露目された。参道の両脇にはアメン・ラー神の守護とされる雄羊の頭部を持つ小型のスフィンクスがずらりと1,000体以上立ち並ぶ。私もここへ2度訪れたのだが、その頃はまだ参道に崩れた瓦礫が散乱していて、途中で途切れていた。それでも、日本からやってきた女子たちは、ライトアップされたルクソール神殿の夜景に涙していたっけ。2つの神殿が参道で繋がれ、3,000年以上前の新王国時代の栄華を想起させるであろう壮観な景色を、是非この目で観てみたい。果たしてエジプトを出発する前にそのチャンスがあるだろうか。

 さて、後ろ髪も悪くないのだが、転勤ということはつまり、日本に帰国することなく次の海外ポストに向かう身なのです。そして私が次に行くのは、なんとアメリカ西海岸。ロサンゼルスだぜ。まあ正直なところ、どんなにポーカーフェイスを装わなきゃと努力しても、滲み出てしまうニヤニヤを隠しきれません。大谷翔平クン、お待たせしました(待ってないか)。ようやく君が100マイルのストレートを投げる姿を、そしてセンターオーバーの大ホームランを打つ姿を、アナハイムのボールパークで応援することができるんだよ。こんな素晴らしいことがあるだろうか。ハァハァ。

 いや、待て待て、モチつけ。出発までにはまだひと月ちょっとある。その間に、引っ越しの荷造りをして、後任との引き継ぎをして、山のような書類をファイルして。。。あれ?間に合うのかしら。

2021年11月25日木曜日

辛いは辛い(からいはツラい)

  昔から辛い食べ物が苦手なのです。ひと口ふた口食べただけですぐに頭皮から汗が吹き出し始めたかと思ったらずっと止まらなくて、首から上ぜんぶがびっしょりになっちゃう。ハンカチなんかじゃとてもじゃないけど間に合わないので、タオルなしで辛いものを食べるのはあまりにリスキーだ。しかも、その後何を食べても味が分からなくなっちゃうから、お金払うのがバカらしく感じてしまうのよ。だから、わざわざ坦々麺を選んでおきながら「ぜんぜん辛くしないでね」と注文すると、店員のお姉さんからは怪訝そうな顔をされるわ、友人からは笑われるわで良い思い出がない。

 そんな私でも、蒙古タンメン中本なんかの動画を見たりすると、ちょっと挑戦してみたくなる時がある。北極は到底無理としても、蒙古タンメンくらいならひょっとしたらイケるんじゃないかと。だって、しょこたんなんかも、辛さの中にしっかり旨味があるとか言ってるし。てなことで、スーパーでこんなもんを見つけたので、買ってきて家で作ってみた。

 どうやら韓国産の輸出商品らしいのだが、真っ赤な袋に黒い火を吹いている鳥らしきキャラが描かれていて、中ボスくらいの迫力はあろうか。そして密かに「2 x Spicy」という邪悪な文字も見逃さない。

 適当に野菜とか卵とか入れちゃえばマイルドになっちゃうんじゃね?みたいなノリで調理してどんぶりに入れてみると、実際、真っ赤だった。

 食べてみた。死んだ。しかも瞬殺。こんな辛いもん、人間の食うもんじゃない。喉も舌も頭皮も全てが熱くて痛い。なのに何故か身体に震えがきて、なんなら寒くすら感じる。なんだこれ。覚醒してんの? それとも何かに転生してしまうの? そして翌朝、トイレでこれ以上ないほどにひどく後悔した。菊◯が弛緩して、腸から煮えたぎる赤いドロドロしたスープをそのまま垂れ流し続けてるみたいな感覚。猛烈に熱い。生まれて初めて、身をもって「辛い(からい)」という漢字が「辛い(ツラい)」とも読める理由を実感しましたとさ。てか、もう一袋あるんだが、どうすんだこれ。

2021年11月17日水曜日

ニッポンの魚はホントに旨いなぁ(回想)

  一時帰国からカイロに戻ってきて半月が過ぎたわけだが、祖国ニッポンで食べた魚の旨さが忘れられない毎日を過ごしている。お金は出すんで食材はワンランク上のものをスーパーで買ってきておくれと細君に頼んだところ、日本酒のアテに食卓に登場したのがこれら。


 金目鯛は一尾3,500円もしたと言って、細君はちょっと興奮気味だった。生姜と砂糖をたっぷり効かせた金目鯛の煮付けが、魚料理の中でいちばん旨いと思う。そして、旬の秋刀魚は目が濁っておらず、新鮮さを物語る。口先がうっすらと黄色みがかっているのは脂が乗っている証拠だと、素人目にも分かる。何よりほんのりと「にがみ」のあるお腹が実に旨い。徳島の友人が送ってくれたすだちを添えて、自然と日本酒が進むこと進むこと。

 そんな幸せな食生活はしかしカイロでは到底望めもしない。実に悲しい。今日は、スーパーで買ってきた鳥のローストを玉ねぎスープにぶち込んで食した。まあこれはこれで食べれなくはないのだけれど、生きていくためだけに食べているってのが嫌になる。海外勤務手当ってのは、日々こういう思いを強いられる代償と考えるようにしているよ。そうでないと精神的にもたないからね。

2021年11月6日土曜日

シン・エヴァを観てみた(今頃?)

  一時帰国したばかりの東京の家で自主隔離という名の軟禁生活を過ごしている間に、劇場で観ることがかなわなかったシン・エヴァンゲリオンを観ることができた。息子がアマゾン・プライムかなんかでアーカイブしていた奴を、iPadで。独りお留守番の昼過ぎ、飲み物、ツマミ、電子タバコなんかを周到に用意して、長い動画だというのでちゃんとトイレも済ませておき、準備万端でバッチ来いとばかりに観てみた。

 鑑賞後の感想は。。。なんだかなぁ。亡くなった嫁と再会したい一心で、世界をめちゃくちゃにしてしまった碇ゲンドウという男の執着心というか粘着力に、ひたすらドン引きしてる間に終わってしまった。いろんな人の解説動画なんかもチェックしてみたけど、どれも「あーそう」って感じで、ストンと落ちない。

 それにしても、綾波ではないレイに人間の心が芽生え始めるシーンには、萌えましたわ。水を入れすぎた風船があっけなく破裂したみたいにLCL溶液に戻ってしまったのはビックリしたけど、初老のおっさんにとってエヴァと言えばシンジでもアスカでもなく、やっぱりレイ一択なのよ。

 てなことを酒を飲みながら考えていたら、件の友人から思わぬプレゼントをいただいた。月間エヴァンゲリオン特別号。表紙も中身も綾波レイ一色。特別企画「本当にあった良い話『あなたと一緒にポカポカしたい』」が収録されているようだ。ビニール袋に入った薄い冊子だが、中身は確認していない。さらに、綾波が描かれたクリアファイルも。友人に100回くらいお礼を言った後、「まあでも、これは開けないけどね」と言い放ってカバンにしまうと、今度は友人が「えぇっ、開けないんすか?」とビックリしていた。だって、こんなもん、いつどんなタイミングで開けるってのよ。そんな心の準備はちょっとやそっとじゃできませんから。

2021年11月3日水曜日

池袋東口最後の聖地〜美久仁小路〜

  東京における私の本拠地、つまりホームグラウンドとして呑み歩く街のことだが、若い頃は中野だった。初めて一人暮らししたのも中野。サンモール街からひと筋ふた筋外れた路地で、自家製の梅干しが旨い居酒屋、オカマのママにさんざ誘惑されたバー、怖いけど優しいヤクザのお兄さん、映画に出てくるような着流しのノミ屋の兄さん、パチプロのおじさんなどなど、若いことだけが自慢の私に、大人の世界の入り口を教えてくれたのが中野だ。

 それが、ここ20年くらいは池袋に替わった。生まれも育ちも池袋という友人がいるのがいちばんの理由だが、いっとき私が王子に住んでいた時も、池袋からならタクシーで1000円ちょっとで帰れたので、銀座や新橋などの都心でやるよりも遥かに便利で、時間を気にすることなく安心して呑めたのが大きい。そんな池袋で呑むといえば、知る人ぞ知る豊田屋だの八丈島といった地元民しか来ない昔ながらの千ベロの店がある西口に専ら足を向けていたわけだが、先日、件の友人が、東口に残る最後の聖地を案内してくれた。

 サンシャインを眼前に見上げる「美久仁小路(みくにこうじ)」がそれだ。ビルの隙間に細い糸を垂らしたような100メートルほどしかない路地は、実は戦後の闇市の頃からあった飲み屋街だそうで、昨今すっかりポップになってしまった東口に今なおこんな昔ながらの風情のある通りが残っていること自体が奇跡的だ。果たしてそこでは、人情味のある小さな構えのお店がひっそりと、しかし暖かく地元客を迎えてくれる。私たちがふらっと入ったお店では、私たちよりもずっと先輩の大将と客のおばちゃんたちが、そこそこ長い知り合いみたいに話しかけてくれる。もっとも、私たち自身もすっかり初老のオヤジたちなので、彼らの側からも、見知らぬ若者に対するような警戒心を持たれることもないのだろう。良い場所を教えてもらった。今度はいつになるか分からないけど、是非また行きたい。それまで残っていてね。