2021年7月22日木曜日

今更?が好き

  目下、中東諸国は犠牲祭の連休なのです。外は連日38度を超え、夜もなかなか気温が下がらず眠りの浅い日々。一日おきくらいにゴルフはするが、身体から水分と体力を容赦なく奪う日差しの下に自分を晒し続けるほど勇敢でもない。

 そんな時は家に篭って、「ミーハーと思われたくない一心でこれまで観ることを敢えて避けてきた」映画をまとめて鑑賞するに限る。この連休のお供は、"Pirates of the Caribbean"だ。第1作から第3作までを一気に観た。なるほどディズニー映画だけあって、あっという間に現実から遠く離れた世界に引き込まれる快感が凄い。

 映画でも小説でも、話題になっているときは少し斜に構えて距離を置き、世の中がすっかり忘れてしまった「今更?」な時期が来るのを待ってから、なんの先入観なしに観たり読んだりするのが好きだ。流行りに乗っかっている後ろめたさが1ミリもない。まあ単なるアマノジャクなんだろうけど。

 観たくても見逃してしまった新エヴァンゲリオンも、これ方式で何年後かに観てみることにしよう。


2021年7月7日水曜日

七夕に思う

  堤真一、MISIA、塩野七生、研ナオコ、上田正樹、ピエール・カルダン、リンゴスター。随分と脈絡のない有名人の並びに見えるかもしれないが、年齢こそまちまちながらも実は皆んな7月7日(七夕)生まれだ。そして、かく言う私も七夕生まれ。59回目の誕生日を迎えている。

 七夕といえば、織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)が年に一度だけ天の川で逢瀬を果たす物語が連想される。ただ、七夕の日に雨が降ると、織姫が天の川を渡ることができず彦星に逢いに行くことができなくなるため、この日に降る雨のことを「催涙雨」と呼ぶんだそうだ。催涙雨は、織姫と彦星が流す涙なんだとか。へえ、知らなかった。

 かたや古代エジプトでは神の使いとして崇められていたスカラベ(フンコロガシ)には、天の川に沿って直線的な移動ルートを取るという生物的本能があるそうだが、そんなこともあって、七夕にはどことなくロマンチックな雰囲気が盛り上がる。浴衣を着た彼女のうなじにドキッとしながら、笹に短冊を吊り下げた淡い思い出を持つ人も少なくなかろう。

 実用的には、ゾロ目の誕生日の中でも元旦に次いで人から覚えてもらい易い上位にランクインするのではないだろうか。かといって、毎年いろんな人からプレゼントが贈られてくるようなこともないのだが、それはひとえに人徳のなさかも知れない。



2021年7月6日火曜日

大谷翔平はアジア人差別をも場外に吹き飛ばしてくれるかもしれない

  毎朝のルーティーン。起き抜けに用を足し、脇に体温計を挟み、期待を胸にiPadで日本のニュースを開く。また大谷君がホームランを打っている。期待が現実として起きる頻度が高すぎて、逆に困惑する。いったいどこまで凄いことをやってくれるんだろう。そんなふうに彼を見ている日本人が、日本中だけでなく海外にもたくさんいるはずだ。

 大谷翔平、松山英樹、井上尚弥、笹生優花、大坂ナオミ。。。プロスポーツの世界ではこの数年、幾人もの日本人選手が世界の頂点に立った。鬼滅の刃、サブカル、日本食、ゲーム。。。日本の新しい文化がブームを作る。日本はもはや、自動車や家電製品をはじめとする先端産業や、日本古来の伝統風習といった従来のガイドブック的な売り文句の枠を大きく超えてきている。「最近の日本の若者はだらしがない」などと闇雲に批判していた団塊世代のジジイたちも、すっかり脱帽ではないだろうか。

 一方で、欧米諸国にはアジア人に対する根強い差別意識があり、SNSによってそれが様々な形で表面化し、政治問題にもなっている。大坂ナオミに対する礼を失したインタビュー、FCバルセロナの選手によるホテル従業員に対する悪態など、枚挙にいとまがない。尤も、アジアを十把一絡げにする知的水準の低い人たちが大勢いることも確かで、英語やフランス語を母国語としないアジア人の語学力を馬鹿にするのはとんだお門違いだ。「英語が話せないのなら母国に帰れ」となじられて悔し涙を流しているアジア人が、アメリカには大勢いる。じゃあ逆にお前らは日本語やタガログ語をカタコトでも話せるのかと言いたい。

 そんな中で、大谷翔平に対するアメリカ人の熱狂ぶりは目を見張る。ファンだけでなく、アナウンサーも解説者も、こぞってオオタニに夢中だ。そして、彼が活躍すればするほど、少なくともアメリカにおける日本人差別が薄れていくような気がしてならない。そんなことまで彼に期待してはいけないのだろうが、そんな期待すらも彼ならば現実のものにしてくれちゃうのかもしれない。

2021年7月3日土曜日

顔見知りが亡くなるのは悲しい(猫)

  毎朝、子猫3匹を連れて我が家の裏庭に餌を食べに来ていた母猫が今朝、家の前の道路で死んでいた。おそらく車に跳ねられたか、何かとびきり悪いもんでも食べたのだろうが、外傷もなく綺麗な姿で、まるで眠っているかのように横たわっていた。残酷なもんで、体の柔らかい部分から小さな蟻が集り始めていた。

 裏庭の窓の外で餌を待っていたのは子猫たちだけだったから、母猫はどこかなと子猫たちに尋ねた矢先の出来事だ。流石にこの4年くらい、毎年生まれた子供たちを連れてうちに来ていたいわば「顔見知り」なだけに、ショックだ。

 食べるものがなく痩せ細りミイラのように死んでいく野良猫は、きっとごまんといるのだろう。それに比べれば、幸せな人生だったのかもしれない。来世ではまた猫なのかな。合掌。