2023年7月11日火曜日

そういうことだったのかな

  6月に3週間の一時帰国を許され、息子の婚約者ご両親と顔合わせをしたり、親父の墓参りをしたり、施設にいる母親を見舞ったりと、家族のイベントに時を費やした。特に、母は長寿家系の一族らしく87歳の割に元気で、決まった薬を飲んでいることもないというので、まあまだしばらくは安心だろうとタカを括ってアメリカに戻ってきたのが今月のはじめ。

 昨夜、妹から母急逝の報が舞い込んだ。青天の霹靂と言えばその言葉どおりなんだが、何年か振りに、そしてまたしばらくは会えないだろうからと顔を見せたのがきっかけになったのだろうか。それとも神様が、存命のうちの再会に間に合うようなスケジュールを用意してくれたのだろうか。いずれにせよ大いなる意思が決めたことのような気がしてならない。

 あいにく、夏の西海岸は言わずと知れた超ハイシーズン。ギリギリ葬儀に間に合うよう日本に帰ることすら怪しく、さらにLAに戻って来るフライトに至っては全く空席が見当たらない。親の死に目に会えないどころか、見送ることすらままならないのは、海外勤務につきもののことなので、ずいぶん以前から実際そうなった時のことは覚悟はしていた。一足遅れてアメリカに戻る予定としてまだ日本にいる細君と、兄弟姉妹に委ねるしかない。

 母の死が意味するところを自分の中でどう整理解釈すべきか、まだ考え始めるにも至っていない。施設の面会所で、LAに住む叔母(母の義理の妹)と母を、LINE通話で70年振りに会話させた。叔母が尋ねたのに対して母が「幸せよ」と応えていたのが何よりの救いだ。母には老いた肉体と長年の苦労や苦痛から解放され、安らかに休んで欲しい。合掌。

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