乃木坂46の星野みなみちゃんに熱愛スクープからの活動自粛というニュースが流れて、椅子から転げ落ちそうになった。そう、何を隠そう、私、齢59のオッサンにして、そこそこのアイドル好きオタク予備軍だったのです。大島、前田のダブルセンター時代のAKB48なら全員、乃木坂なら卒業したメンバーを含めてほぼ全員の名前を言い当てることができます。因みに、オッサンの推しメンは秋元真夏タソ。まなったん。ちっちゃくて、実に可愛い。
アイドルの熱愛が発覚すると、必ず世論は真っ二つに分かれますね。一つは、アイドルというのはファンに疑似恋愛という夢を与える仕事なんだから、ガチの恋愛はご法度だと。百歩譲って、してもいいけどバレないようにやれよプロなんだからという主張。確かに、一人のアイドルに1000人、10000人のファンがいるとして、個々のファンはアイドルから見れば1対1000、1対10000であることを分かり切った上でなお、1000分の1、10000分の1の恋愛関係を夢見る。
かたや、アイドルとはいえ人格もプライバシーもあるひとりの人間、ひとりの女性なのだから、若くいちばん綺麗なときに恋愛はあって当然、むしろないほうがおかしい。オタクさんたちには残念でした、つうかキモいんだよ。だけど敢えて言わせてもらうとさ、相手も独身ならなおさら、推しメンの恋愛を見守り、幸せを願うことこそファンとしてとるべき態度なんじゃねぇのという主張。だが、オジさんはそのどちらとも少し違うことを思うのよ。
アイドルは職業としてそれをやっている限り、プロだ。一方、アイドルを追いかけるオタクも、相当の時間、情熱、お金を費やして推しメンの人気と地位を支えている以上、ある意味プロのファンと言える。そして、アイドルの側はいつまでプロとしての姿勢を貫くことができるかが勝負。恋愛に走るなどのゴシップで自らの価値を失うリスクと、一人の女性としての本音との綱引きに勝つか負けるかのギリギリで刹那的に生きている。逆にファンの側では、今はキラキラと虹色に輝いているけれど、いつ弾けて消えてしまうかもしれないシャボン玉を追いかけているようなもので、推しメンに裏切られ酷く傷つくリスクを常に背負いつつも、熱中し、応援する。そうしたアイドルとファンの間に成立するいわば「我慢比べ」みたいな関係性を、オジさんは尊いと思う派だ。世の中のマジョリティはバカバカしいと言うだろうことなど、当たり前に分かっているんだけどね。息子よりも年下の女の子たちが、大人の中で頑張っているのを見ると、無条件で応援したくなる。なんたってみんな可愛いし。可愛いは大正義だ。古代エジプトのネフェルティティだって、クレオパトラだって、ギザかわゆすだったに違いない(ギザのピラミッドにかかっているのは偶然です)。
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