カイロに赴任してきてから、ちょうど1年が経過しました。時の速さに少し驚いています。
いくら海外生活慣れしているとは言え、エジプトでの1年間は、これまでの人生で自分の中になかったいくつかのことが発見できた濃密な時間でした。
ひとつには、古代エジプト文明への大きな関心。もちろん、これまでもギザのピラミッドについては世界の七不思議レベルでの知識と関心は持っていたのですけど、実際現地に来てみてナイル川沿いに点在する遺跡を目の当たりにしてしまうと、いやおうなく知的探究心が次から次へと湧いてくるのでした。
紀元前2500年前のピラミッドの時代に始まり、ラムセム2世やツタンカーメンといった有名なファラオが国を統治した黄金の時代、そしてクレオパトラが多くのエピソードを残したプトレマイオス朝からグレコローマンの時代へと続く、壮大な歴史のうねりの前に圧倒されるのです。
そしてもうひとつは、宗教に対する関心。古代からの歴史と切っても切り離せない関連の中で宗教を見るべきだと考えるようになったのは、エジプトに来てからのことです。
太陽神ラー、ホルスやイシス、私の好きなフンコロガシの化身であるケプリなど、有史以前からある自然信仰から民の宗教が始まるのは、いずこも同じでしょう。そして、歴代のファラオたちも自らを神格化しつつも、民の支持を集めるためにはそうした自然神たちをないがしろにできなかった。
やがて十戒で有名なモーゼが、ユダヤの人々を連れてエジプトにやって来て、割れた海を渡りシナイ半島に戻ることからユダヤ教が始まる。少し遅れてキリストが誕生し、処刑され、復活することからキリスト教が始まる。どの宗派が正当であるのかを、民の純粋な信仰心ではなく、統治のための権力抗争として宗教指導者たちだけで決める。イスラムが台頭する。権力を握った者が、その都度過去の遺産を破壊する。。。そういう意味では、宗教と政治権力の密接な関係は今もなお現在進行形であるのです。太古の純粋さ、自然に対する感謝と畏れを失ったというだけで。
エジプトに今も残るコプト教は、古代キリスト教の一派ですが、紀元後の宗教会議で少数派として切り捨てられて以降も、エジプトの約1割の民により今も根強く信仰されています。日本にも教会が建てられました。残りの約9割の民はイスラム教(ムスリム)です。預言者ムハンマドの教えを守り、毎日数回の祈りを捧げ、5月には約一カ月の断食をします。ナイル川流域だけで約9000万の人々が、4500年前のピラミッドやファラオたちの神殿のすぐ隣で今なお暮らすエジプト。なかなか奥が深いのです。
2 件のコメント:
アメリカのTVドラマ、
LOSTを観ていた時に思いました。
否応なしにこうした環境に
追いやられている主人公達ではあるものの、
都会の仕事と生活に塗れている身からすれば、
あのLOSTの島に追いやられた人たちの暮らしは、
ある種の理想であり天国に近いと……。
そこまでではないでしょうが、
当初みやっちさんのエジプト赴任に対して、
なんとまぁ大変なところに……と思ったものです。
ですが、古代エジプトから連綿と続く、
悠久の時の流れの中に身を置ける機会など、
願ってもなかなか得られるものではありません。
実際に、その土地に暮らすみやっちさんにしてみれば、
のんきな事ばかりは言っていられないと思いますが、
やはり日本に閉じこもっている私からすると、
すこしばかり羨ましいなぁと思ってしまいます。
>迷走さん
ご無沙汰しました。コメント有難うございました。
羨ましい一面が確かにあると思います。
既に人生の半分以上の時間を外国で過ごしてきました。
世の中は広く、様々な土地に様々な人達が暮らしています。
そのことを身を持って知るだけでも、自身の分母が大きくなったような気がします。
そんな私の目には、迷走さんの暮らしぶりは羨ましく映るのですけどね。
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