2017年4月1日土曜日

寛大な心

 年度があらたまって、随分と久方振りのエントリとなりました。エジプトに来てちょうどひと月が経ったのかと、これまでの1か月をぼんやりと思い返す週末。
 イスラムの国に暮らし始めて最初に戸惑ったのが、チップと似て非なるバクシーシという習慣。富める者がそうでない者にほどこしを与える「喜捨」という考え。喜んで捨てると書くくらいですから、お金に対する考え方が日本人とは随分と異なります。
 まあしかし、とにかくどこへ行っても何をするにしても、常に小銭をポケットに用意しておく必要があります。観光地でスマホやカメラを構えようもんなら、すぐに俺がシャッターを押してやると。はては公共のトイレや駐車場まで。スーパーの駐車場では、ガラガラに空いているスペースにすんなり停めただけなのに、帰り際には「俺が見てやってた」とバクシーシをねだる男がどこからともなく湧いてきます。でも、面倒くさいからとこれを拒んでしまっては、イスラムの教えと文化に従わないことになってしまうのです。
 そしてもう一つは、あらゆる場面・局面に通じる「インシャラー」という言葉。意味は、アッラーの神のご意志のままに、ということだそうですが、まあこれが実に万能というか、どんな言い訳にも使えるわけです。
 頼んだ仕事が上手くできなくても、約束の時間に来れずに遅刻しても、なんなら買った野菜が痛んでいようとも、すべてインシャラー=大いなる神の意志なのだから、たかだか人間なんぞにはどうしようもないのだと、まあそういうことです。
 こうしてみると、エジプト生活のはじめの一歩に共通するキーワードは「寛大さ」ということなのかもしれません。
でもほら、近所の庭の大きなハナミズキが満開です。桜を思い出せよ、インシャラー。と言ってくれているようです。

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