日記を書いたり写真をアルバムに整理したりする代わりに始めたこのブログが、私の日常を自身に代わって記録してくれているのです。誰ひとり興味も関心もないに違いない話題でもあっても、自分勝手に気まぐれに書くわけです。ですから、海外に単身赴任しているこんな中年サラリーマンの、それこそ大した変哲もない日常がどんなふうであるかを書き記しておくのも、誰かの為なんかでは全然ないし、特に誰かに共感してもらいたいわけでもないのです。後になって、あの頃自分は何を考え、どんな時間の使い方をしていたか、それが思い出されればそれで良いのです。
朝は7時に起床。目覚まし時計のうるさい音を聞きたくないが故に、たいてい10分前くらいには起きてしまいます。煙草を一服してから、歯を磨き、シャワーを浴び、布団の乱れを直し、着替える。冷蔵庫のオレンジジュースをグラス1杯、フルーツ入りのヨーグルトをひとつ。スマホでメールをチェックし、さらにPCを立ち上げ日本のニュースをチェックする。お抱え運転手が待つ車に乗って家を出るのが8時15分。
仕事は8時半から。給湯室で緑茶のティバッグにウォータサーバーからお湯を注ぎ、お仕事開始。外のアポやイベントなどがない限り、基本的にはデスクワーク。その間に社員食堂で昼食。夕方ともなれば、PC画面に貼りついて疲れ切った老眼が悲鳴を上げるので、18時過ぎにはお仕事を強制終了。
帰り道にスーパーに立ち寄り、何度見ても品数が少なくてがっかりする野菜売り場や美味しくなさそうなお菓子を横目に、パスタ用のトマトソースなどをちょろっと買い物して帰宅。
夕食はだいたい自炊。といってもパスタや麺類中心で、その代り味付けを変えたり、具だくさんを心がける。何十回作っても、いまだに分量の加減が判らず、つい作りすぎてしまう。食べ過ぎた時は、すかさず太田胃酸。
台所の洗い物を早めに済ませてしまってから、ゆっくりとネットサーフィン。晩酌はしない。紅茶を飲みながらお気に入りのサイトをひととおり巡る。木曜の夜は、その週末の競馬予想のためのお勉強。ベッドに入るのは深夜零時から1時。スマホで子守唄代わりの音楽を聴き始めれば、1曲もたずに就寝。これが平日のパターン。
週末(イスラムなので金、土が週末)における近頃のルーティーンといえば、金曜日は休息。家の中でひたすらぐだぐだと、一日中タブレットやPCでネット三昧して過ごす。最近、IKEAで座り心地の良いデスクチェアを買ったので、基本、引きこもりニートみたいに机にへばりついている。ベッドは長時間うつ伏せになると必ず腰が痛くなるから机が良い。徹底してダメ人間になり、頭と身体をリラックスさせる。人との会話は一切なし。発する言葉は、ときおりyoutubeのお笑い動画に思わず漏れてしまった笑い声くらい。先週末は懐かしいイニシャルDを全部観た。藤原文太みたいな渋い父親に、自分もなれているだろうか。
反対に土曜日は、これじゃいかんとばかりにアクティブに過ごす。朝8時半に来るメイドに起こされないよう早起きする。パンやサラダを食べてる間に、家の掃除、洗濯、アイロンがけをぜんぶメイドに任せて、日本の家族とLINEで交信。そして昼前からゴルフ場へ。プラクティスレンジで100球ほど打って身体をほぐしてから、電動カートでコースへ。お一人様のラウンドは2時間もあれば18ホールを回ってしまう。コースが空いていてリズム良くプレイできた日は気分も上々。疲れが溜まった視神経にはゴルフ場の緑色がいちばん効く。ゴルフから帰宅してシャワーを浴びたら、夕方に早めの夕食。土曜日は一日2食だ。夜は紅茶と、ちょっと美味しいチョコレートがあれば十分。気が向けばこうしてブログを書いてみたり。12時くらいにはなるべく就寝するつもりが、つい2時くらいになってしまうことも。
取り上げて何もスペシャルな出来事もないこうした平坦な毎日を、飽きもせず、いや飽きたとしても、ひたすら淡々と繰り返す。そこは何十年というサラリーマン生活で否応なく身についた耐久性というものでしょう。つまらないとか寂しいとかそういうことを言い始めるときりがないけど、もとより単身赴任というのはそういうものでしょうから、そこは意識しすぎないよう心がけ。
ましてや海外勤務というのは、日本とは異なるストレスの要因には事欠かないわけで、その中で自分の心身の振れ幅を最小限にコントロールするためには、生活を単純化するのもひとつの方法論だと思う。シンプルで簡単そうに見える生活パターンを確保し、それを続けること自体、実はなかなか容易でないのかもしれない。そういう意味では、長くやってるだけのことはあるのではないかな。
2018年3月18日日曜日
2018年3月10日土曜日
オマーンというよく知らない国に行ってみた
先週は、オマーンの首都マスカットに出張してきました。
オマーンって言われても、よく知りません。アラビア半島のいちばん外側(南)に位置し、ホルムズ海峡を通過しなくてもよい海の要衝です。
そうなんだろうが、まだ解らない。ならば、アラビアンナイトに登場する船乗り、シンドバッドがオマーンの港から出航したんだ言われればどうか。へえ。
マスカットの空港に到着しターミナルの外に出ると、こういういかにも中東という格好をした大量の男たちが待ち受けています。なんのことはない、TAXIの運転手なんですけど、まあこれだけでも異国に来たなぁという強い印象を受けることは間違いありません。
そんな印象を語ると、迎えに来てくれた運転手が解説してくれました。曰く、国王が大の綺麗好きで、それが故に「車は常に綺麗にしておかなければならない」法律があるのだそうです。国王の指示は忖度どころか絶対なので、そこらじゅうに洗車場や車洗いのアルバイトがいるんだとか。車検制度すらないところはアンバランスではありますが、まあ良いことではあります。
白亜の建物が並ぶ緑豊かな街並みとも相まって、実に美しい街マスカット。南に1時間ほど車で下れば、海沿いのリゾートもあるんだそうです。
でも、4月にもなれば気温は40度、5月には50度を超える日も。とにかくひたすら暑いのです。
オマーンって言われても、よく知りません。アラビア半島のいちばん外側(南)に位置し、ホルムズ海峡を通過しなくてもよい海の要衝です。
そうなんだろうが、まだ解らない。ならば、アラビアンナイトに登場する船乗り、シンドバッドがオマーンの港から出航したんだ言われればどうか。へえ。
マスカットの空港に到着しターミナルの外に出ると、こういういかにも中東という格好をした大量の男たちが待ち受けています。なんのことはない、TAXIの運転手なんですけど、まあこれだけでも異国に来たなぁという強い印象を受けることは間違いありません。
街中を走るTAXIが白xオレンジのツートンカラーであるのに対し、空港TAXIは下のようにまるでBMWのMシリーズを丸パクリしたようなカラーリング。カッチョイイので許しましょう。
そして、流石は産油国と思わせるのが、穴ボコやツギハギなど一つもないツルツルの道路と、その上を走るピカピカの車たち。メルセデスやBMWだけでなく、マセラティもムスタングもなんでもピカピカ。そんな印象を語ると、迎えに来てくれた運転手が解説してくれました。曰く、国王が大の綺麗好きで、それが故に「車は常に綺麗にしておかなければならない」法律があるのだそうです。国王の指示は忖度どころか絶対なので、そこらじゅうに洗車場や車洗いのアルバイトがいるんだとか。車検制度すらないところはアンバランスではありますが、まあ良いことではあります。
白亜の建物が並ぶ緑豊かな街並みとも相まって、実に美しい街マスカット。南に1時間ほど車で下れば、海沿いのリゾートもあるんだそうです。
でも、4月にもなれば気温は40度、5月には50度を超える日も。とにかくひたすら暑いのです。
2018年3月3日土曜日
エジプト生活1年が過ぎ
カイロに赴任してきてから、ちょうど1年が経過しました。時の速さに少し驚いています。
いくら海外生活慣れしているとは言え、エジプトでの1年間は、これまでの人生で自分の中になかったいくつかのことが発見できた濃密な時間でした。
ひとつには、古代エジプト文明への大きな関心。もちろん、これまでもギザのピラミッドについては世界の七不思議レベルでの知識と関心は持っていたのですけど、実際現地に来てみてナイル川沿いに点在する遺跡を目の当たりにしてしまうと、いやおうなく知的探究心が次から次へと湧いてくるのでした。
紀元前2500年前のピラミッドの時代に始まり、ラムセム2世やツタンカーメンといった有名なファラオが国を統治した黄金の時代、そしてクレオパトラが多くのエピソードを残したプトレマイオス朝からグレコローマンの時代へと続く、壮大な歴史のうねりの前に圧倒されるのです。
そしてもうひとつは、宗教に対する関心。古代からの歴史と切っても切り離せない関連の中で宗教を見るべきだと考えるようになったのは、エジプトに来てからのことです。
太陽神ラー、ホルスやイシス、私の好きなフンコロガシの化身であるケプリなど、有史以前からある自然信仰から民の宗教が始まるのは、いずこも同じでしょう。そして、歴代のファラオたちも自らを神格化しつつも、民の支持を集めるためにはそうした自然神たちをないがしろにできなかった。
やがて十戒で有名なモーゼが、ユダヤの人々を連れてエジプトにやって来て、割れた海を渡りシナイ半島に戻ることからユダヤ教が始まる。少し遅れてキリストが誕生し、処刑され、復活することからキリスト教が始まる。どの宗派が正当であるのかを、民の純粋な信仰心ではなく、統治のための権力抗争として宗教指導者たちだけで決める。イスラムが台頭する。権力を握った者が、その都度過去の遺産を破壊する。。。そういう意味では、宗教と政治権力の密接な関係は今もなお現在進行形であるのです。太古の純粋さ、自然に対する感謝と畏れを失ったというだけで。
エジプトに今も残るコプト教は、古代キリスト教の一派ですが、紀元後の宗教会議で少数派として切り捨てられて以降も、エジプトの約1割の民により今も根強く信仰されています。日本にも教会が建てられました。残りの約9割の民はイスラム教(ムスリム)です。預言者ムハンマドの教えを守り、毎日数回の祈りを捧げ、5月には約一カ月の断食をします。ナイル川流域だけで約9000万の人々が、4500年前のピラミッドやファラオたちの神殿のすぐ隣で今なお暮らすエジプト。なかなか奥が深いのです。
いくら海外生活慣れしているとは言え、エジプトでの1年間は、これまでの人生で自分の中になかったいくつかのことが発見できた濃密な時間でした。
ひとつには、古代エジプト文明への大きな関心。もちろん、これまでもギザのピラミッドについては世界の七不思議レベルでの知識と関心は持っていたのですけど、実際現地に来てみてナイル川沿いに点在する遺跡を目の当たりにしてしまうと、いやおうなく知的探究心が次から次へと湧いてくるのでした。
紀元前2500年前のピラミッドの時代に始まり、ラムセム2世やツタンカーメンといった有名なファラオが国を統治した黄金の時代、そしてクレオパトラが多くのエピソードを残したプトレマイオス朝からグレコローマンの時代へと続く、壮大な歴史のうねりの前に圧倒されるのです。
そしてもうひとつは、宗教に対する関心。古代からの歴史と切っても切り離せない関連の中で宗教を見るべきだと考えるようになったのは、エジプトに来てからのことです。
太陽神ラー、ホルスやイシス、私の好きなフンコロガシの化身であるケプリなど、有史以前からある自然信仰から民の宗教が始まるのは、いずこも同じでしょう。そして、歴代のファラオたちも自らを神格化しつつも、民の支持を集めるためにはそうした自然神たちをないがしろにできなかった。
やがて十戒で有名なモーゼが、ユダヤの人々を連れてエジプトにやって来て、割れた海を渡りシナイ半島に戻ることからユダヤ教が始まる。少し遅れてキリストが誕生し、処刑され、復活することからキリスト教が始まる。どの宗派が正当であるのかを、民の純粋な信仰心ではなく、統治のための権力抗争として宗教指導者たちだけで決める。イスラムが台頭する。権力を握った者が、その都度過去の遺産を破壊する。。。そういう意味では、宗教と政治権力の密接な関係は今もなお現在進行形であるのです。太古の純粋さ、自然に対する感謝と畏れを失ったというだけで。
エジプトに今も残るコプト教は、古代キリスト教の一派ですが、紀元後の宗教会議で少数派として切り捨てられて以降も、エジプトの約1割の民により今も根強く信仰されています。日本にも教会が建てられました。残りの約9割の民はイスラム教(ムスリム)です。預言者ムハンマドの教えを守り、毎日数回の祈りを捧げ、5月には約一カ月の断食をします。ナイル川流域だけで約9000万の人々が、4500年前のピラミッドやファラオたちの神殿のすぐ隣で今なお暮らすエジプト。なかなか奥が深いのです。
登録:
投稿 (Atom)