2017年10月19日木曜日

祝!和製スーパーカブ復活

 今日は実に嬉しいニュースが入ってきましたね。
 世界中の人々から愛され、ついに生産台数が1億を突破した、日本が世界に誇る名車スーパーカブの新型が登場します。
 しかも、生産拠点をこれまでの中国から日本に移すということで、ようやく「中華カブ」などというレッテルが外れるのです。LED化された丸型ヘッドライトは、和製カブであることの証明です。熊本工場から世界に向けて、きわめて質の高い超ロングセラーがこれからもどんどん発信されることでしょう。
何が嬉しいかというと、まずはエンジン。50ccがラインナップに残りました。電気モーター化の噂がささやかれることもありましたけど、新型にも伝統のカブ系4ストが採用されました。ホンダさん、やればできるじゃないの。なら、同じエンジンのモンキーはどうしてやめちゃったのよ~と突っ込みたくなります。
 そして嬉しいもうひとつの理由は、お値段。税込23万2200円と、非常にお求めやすく設定されています。
さらに嬉しいことに、前後に小径14インチのホイールを履き、バスケットと大型キャリアを装備したプロ仕様も25万3800円で同時発売。これまた捨てがたい魅力的なフォルムで、新聞配達や郵便屋さんだけのものにしておくのは勿体ない。
 次に帰国することがあれば、絶対にカブを買おう。そして毎日乗って、末永く愛でてあげよう。そう決心するオジさんでした。

2017年10月6日金曜日

古代エジプト文明と地球外生命体

 こういうタイトルを書くだけで、なんだかドキドキします。
 ルクソールの旅をガイドしてくれたのは、日本語ペラペラのエジプト人でした。このガイドさん、もともといろいろな文字が大好きで、大学でヒエログリフを勉強しただけでは飽き足らず、日本語もついでに勉強したのだとか。古代エジプトの歴史や遺跡に関する豊富な知識は、素人観光客である私たちの知的好奇心を大いに満足させてくれました。
 しかし、そのガイドさんをもってしても、やはり古代エジプトの遺跡には、人間の知恵と技術だけではどうにも説明のつかないものが幾つもあるのだそうです。
 4500年前に作られたギザの大ピラミッドの四辺は正確に東西南北を指していて、その誤差はミリ単位。春分と秋分の日には、太陽の光が四角垂の一辺の角度とぴったりと重なり、影がなくなります。3500年前の様々な遺跡に使われた巨大な一枚岩はどのように正確に切り出され、また、どのように運ばれ、どのように積み上げられたのでしょう。
 現代の科学と技術でもきちんと説明ができないこれらの謎、実はカイロ考古学博物館にひっそりと解説もなく展示されているいくつかの発掘品が、その答えを示唆してくれています。
  黄金の船がどうして車の上に載っているのか解りませんが、前後と真ん中に3体、オールを漕ぐ人間とは明らかに色も大きさも異なる人型の姿が認められます。船頭というより、監督にあたる者のように見えます。

そして船の上の3体に酷似したこの2体に至っては、まんま宇宙人そのものではありませんか。ファラオでもないのに、金箔で覆われた身体、青く光る眼、大きな耳、長い手足、高価な装飾品。きっと特別なステータスを持った者に違いありません。
 UFO大好き、不思議大好きなオジさんとしては、これからも古代エジプトを独自の視点から見ていきたいと思うのでした。

2017年10月1日日曜日

古代エジプトの入口を覗く旅(ルクソール)

 仕事の都合により、今年の夏休みは随分遅い時期になりました。
 エジプトに転勤してきてから半年を過ぎた先週、ようやく古代エジプトの都、ルクソールを訪れることができました。
 カイロからナイル川を南下すること600km以上、飛行機で約1時間の距離にあるルクソールは、約3500年前にはテーベと呼ばれるエジプトの首都でした。
 古代エジプトの歴史は、いわばファラオの歴史。家系(血筋)によって第〇王朝というふうに区切られています。織田家が第10王朝、豊臣家が第11王朝、徳川家が第12王朝などと例えれば解りやすいでしょうか。
 ルクソールに残る遺跡は、大きく言えばナイル川東岸の寺と、西岸の墓。歴代のファラオは没すると東岸の神殿で葬式を行い、ミイラにして西岸の墓に埋葬し、いつか訪れる復活を願ったということです。
 世界最大の寺であるカルナック神殿や、ライトアップされたルクソール神殿は、まさに息を飲むほどの規模、荘厳さ、美しさでした。圧巻という簡単な言葉ではとても間に合いません。そして、60を超えるファラオの墓が密集する王家の谷も、言葉を失う空気に支配されているようでした。

 さて、現存する古代エジプトの遺産の中でも群を抜いて知名度の高いものが、ツタンカーメン王の遺品でしょう。1922年にカーター教授が掘り当てたツタンカーメン王の墓は、王家の谷の第62番目の墓ですが、別のファラオの墓のすぐ真下に位置し、大量の瓦礫に覆われていたため、墓泥棒による盗掘被害を受けることなく、奇跡的に残ったということです。
ツタンカーメンのこの有名な黄金のマスクは現在、カイロの考古学博物館に、墓の中に収納されていた玉座など数々の遺品と共に展示されています。ただし、自身のミイラは王家の谷の墓に今も静かに眠っています。写真撮影が禁じられているのでご紹介できませんが、19歳の青年としても小さな身体でした。
 ところで、ツタンカーメン一族は、歴代のファラオを年代順に並べた古代の王命表に、その記載がありません。第18王朝と第19王朝の間にあるべきツタンカーメン一族が、歴史から抹消されてしまっているのです。
 というのも、ツタンカーメンの父であるアクナートン王は、最高神アメンに代えて実体を持たない太陽神を崇拝することを民に求め、都をルクソールの北300kmほどの別の地に移してしまった、いわば異端のファラオだったからなのです。
 政治や催事を司る神官たちや民の信仰心は、権力だけではそうそう変わるものではありません。アクナートンが変死した後、共同統治者の地位を得て後のファラオとなる妻ネフェリティティもわずか3年で変死、さらに、ネフェリティティとの間にできた子供6人はすべて女の子ということで、下女に産ませた息子ツタンカーメンが僅か6歳にしてファラオに即位したものの、19歳でこれまた変死。最後はネフェリティティの父アイが国を治めたころには、すっかり一族の権力は崩壊していたのでした。
 ただし、王命表にその名を刻むことがなかったことが逆に幸いし、探す者もおらず盗掘から守られてきたというのも、歴史の綾だなぁと思わされます。王家の谷の墓守たちは、その昔、盗掘の限りを尽くした墓泥棒の子孫だと聞いて、これまたなんとも皮肉なもんだと感じました。

 実はツタンカーメンの話には今なお続きがあって、王家の谷の墓、ツタンカーメンの棺が置かれていた玄室の壁の向こうに空間が続いていることが、最近の調査で分かっています。問題は、世界遺産である玄室の壁に描かれた絵に一切のダメージを与えることなくその背後をどうやって発掘するかということです。
 壁の向こうには、クレオパトラと人気を二分するという絶世の美女ネフェリティティの墓があり、ミイラと埋蔵品が眠っているのかもしれないのです。3500年前のロマンは、まだまだ終わっていないのです。