2017年2月28日火曜日

ローマを離れる二日前

 明後日の朝、ローマを離れます。
 先週は、金曜日にダンボール30箱を船便で送るため引越し業者により集荷、これでようやく明けても暮れてもパッキングの日々から解放されたと思ったのもつかの間、月曜朝の退居に向けて土日ぶっとおしでアパートの大掃除に追われました。
 まあ人生50数年の中で、これだけ掃除したこともなかったなというくらい、そして、二度とやりたくないと思うくらい掃除しましたよ。しかしあれですな、掃除はケミカル用品に頼るのがミソですな。4年間の汚れも科学の力で難なく綺麗に回復しますから。苦労の甲斐あって大家さんはニコニコ、敷金も全部返してくれましたとさ。ただし、こちらはもう心身ともにぐったりなんですけど。
 そんなわけで無事アパートを引き払った後は、事務所から徒歩圏内のホテルに投宿。出発前々日のディナーは、会社の帰り道にホテルのすぐ近くのトラットリアにふらっと入って、お一人様を楽しみました。
 生ビールで喉を潤した後、前菜は水牛のモッツァレラと生ハム(プロシュート)。オリーブオイルとコショウをかけていただきます。 素朴だが実に旨い。
  そしてメインにはムール貝、あさり、海老、イカがたっぷり入った海鮮スパゲッティ(スコーリオ)。ローマ最後の思い出になりそうな食事は、奇をてらうことなくイタリアンの王道メニューにしたっていうことです。初老のご夫婦が家族経営する名前すら知らないお店でしたが、お味の方はモルト・ブオーノ。
 そういえば、事務所の裏庭では、アーモンドの樹が桜そっくりの花を満開に咲かせています。これが咲くとローマに春が来たことを実感するのが毎年の恒例でしたけど、今年ばかりは、あたかも日本の桜の様に、ローマからの卒業と、新天地への旅立ちを祝ってくれているようで、少し切ない気分になります。
次回の投稿は、カイロからの初エントリとなるでしょう。

2017年2月19日日曜日

任期最後のスタジアム観戦

 ローマ勤務中で最後となるスタジアム観戦に行ってきました。もちろん、我らがASローマ戦。相手はトリノ。落とせない一戦です。
今夜のローマは冷え込みました。でも、赤と黄色に身を包んだローマニスタたちは、寒さなんかに負けません。試合開始直前のスタメン紹介に続いて、ローマローマを合唱すれば、その時点で気持ちは既に充分に高ぶっています。
 試合は、開始10分、右足を振り抜いたジェコの今季19ゴール目が鮮やかにネットを揺らしたかと思えば、17分にはサラーがこれに続く。後半開始後の中だるみした雰囲気を、地を這うようなロングシュートで観客の目を覚ませてくれたのは、パレデス。そして後半35分過ぎに満を持して登場した我らが王子、トッティの絶妙なアシストから、ラジャ・ナインゴランがアディショナル・タイムにダメ押しの4点目。苦戦が予想されたトリノ戦を、結果的には4-1で圧倒したのでした。それにしても、このところのジェコとナインゴランのプレーは、まさにキレッキレ。
 さて、ほぼ4年を過ごしたローマ。振り返れば生活の中心にはASローマがいました。郷に入れば~という言葉どおり、ローマで楽しく幸せに暮らすコツがあるとすれば、その一つは間違いなくASローマ・ファン、すなわちローマニスタになってしまうことです。
 東洋人だろうとなんだろうと、赤と黄色のマフラーを巻いて観戦する者は皆同じ。応援するチームを常に愛し、開けても暮れてもサッカーの話をすれば皆友達になれるのです。なにより、自分自身もこの上なく楽しいのです。
 そんな充実した沢山の時間をくれたASローマには、感謝の気持ちしかありません。転勤しても、これから先も、ずっと応援しています。フォルツァ・ローマ!

2017年2月9日木曜日

ついに見た、見てきた

 「待てばカイロの日よりあり」。ことわざを信じて、生きている間に一度でいいから、いつの日かカイロを訪れ、ピラミッドとスフィンクスをこの目で見てやるのだ。これまで数十年にわたり、そう願い続けてきました。そして、ついにその時が訪れた訳です。
 来月はじめの転勤を前に、現地で行われた会議に出席するためカイロに3泊、出張してきたのです。そして見ましたよ。ギザの3大ピラミッドとスフィンクス。
 ああ、あまりの感動に立ちすくむ私。そして、シャッターを押すだけでチップをねだる邪魔くさい連中のことも全く気になりませんでしたよ。
 詳しくは、現地に赴任した後に、ひとつずつ拙ブログで紹介していくことにしましょう。まずは感激が冷めやらぬうちに。

にしても、わずか10kmの移動に車で1時間半もかかるカイロ中心街の大渋滞、そしてナイル河に沿って発生する朝靄と車の排ガスと砂埃の混じった空気の悪さ。きちんと洗礼も浴びてきた気分です。
 冒頭のことわざにいうカイロは実は「海路」のことで、これまた数十年にわたって勘違いをしていた無学なオジさんでした。