2016年9月30日金曜日

頑張る中年の星

 つい数日前40歳を迎えた我らがASローマの王子様(プリンチペ)ことフランチェスコ・トッティ。昨日のEL予選では、ホームにルーマニアのチームを迎え4-0で快勝した試合にトップ下で90分間フル出場。しかも、相手のオウンゴールを除く3得点をアシストする大活躍を見せつけてくれました。
シーズンごとに巨額の移籍金が飛び交う中で、選手も監督も様々なチームを渡り歩くのが常態化しているプロサッカーの世界にあって、かたくなにASローマひと筋をつらぬくトッティ。熱狂的なローマニスタたちから愛される永遠の背番号10番が素晴らしいのは、その存在感ばかりではありません。
 ボールのタッチ、フォワードに配給するラストパスの精度、更にはセットプレイにおける強烈かつ正確なキックは、観る人に常に新鮮な驚きと興奮をもたらすもので、間違いなくいまだ世界のトップクラスを維持しています。そりゃ走るスピードやスタミナは歳相応に衰えていますけど、40歳にしてこのクオリティとパフォーマンスは目を見張るものがあります。
 翻って、そんなトッティよりもひと回り以上歳をとってしまった自分はと言うと、さてどうでしょう。お腹が出っ張り、老眼が進み、歯もガタガタ、早歩きくらいのスピードでしか走れなくなってしまいましたが、オジさんもそれなりに頑張ってるんですよ。日々パソコンの画面と格闘し、頻繁に出張もします。フェラーリなんか夢のまた夢だけど、中古の小っこいトヨタで渋滞の中を通勤してるんです。そして、明後日の日曜は大事なインテル戦。先日買ったばかりのトッティのユニフォームを着て、スタジアムに中年の星を応援に行くのです。トッティが頑張る姿を見せてくれれば、こっちも頑張れるような気がするのです。

2016年9月19日月曜日

ASローマ愛

 敬老の日。老人と呼ぶにはちと早い微妙な年頃のおじさんを労ってくれる人はいませんので、自分でご褒美をあげることにしました。
いそいそと車でお出かけした先は、街の中心にあるオフィシャル・ローマ・ストア。セリエA今シーズンのASローマ公式ユニフォームです。ベテランのボランチ、デ・ロッシとどっちにしようかとさんざ迷った挙句、やっぱりここは記念の意味でも、永遠の10番、王子様トッティにしておくのでしょう。
 でも、私だけこれを買って帰ると、我が家のサッカー少年から非難を受けることは間違いありませんから、俊足のウィング、サラーのサイズ違いも合わせて購入。今まで買わなきゃ買わなきゃと思いつつもずっと後回しにしていたので、ようやく胸のつかえが下りたような気分です。
 昨日のアウェー戦、vsフィオレンティーナは0-1で惜敗してしまいましたけど、ホームの観戦チケットを購入済みの10月2日のvsインテルでは、きっとやってくれるでしょう。フォルツァ・ローマ!!!

2016年9月13日火曜日

歯を抜かれてHPほぼゼロ

 寄る年波には勝てず歯周病を患ったのに放っておいた私が悪かった。しょっちゅう腫らしてグラグラになっていた下の奥歯を、ついに歯医者に抜かれました。痛みの恐怖と格闘すること約1時間。終わった時にはもうぐったり、HPはほぼゼロまで削られて、死んだ目で職場に戻りました。

 歯を抜いたくらいでブログなんてと言われるかもしれませんが、必ずしもそのこと自体を話題にしたいのではないのです(いえ、私にとってはじゅうぶん大事なんですけど)。
 なんてことのない市内の住宅地に、アールヌーボー、アールデコ、ギリシャ、ゴシック、バロックといったいくつもの建築様式を見事にごっちゃ混ぜにミックスしてしまった26棟の集合ビルと17戸の独立家屋が密集する「Quartiere Coppedè」と呼ばれる地区があり、その入り口にあたるアーチの左側の建物の4階に、歯医者があるのです。
分厚くて重そうな木製の玄関扉の奥で人の出入りを監視する管理人は愛想笑いでやりすごした後、鉄製の格子扉の内側に更に観音開きの木製の扉を備えるアンティークなエレベーターに乗り込みます。歯医者の入り口は、まるで高級ホテルの支配人の部屋のよう。出迎えてくれた妙齢の秘書兼歯科助手にうやうやしく案内されて診察室へ。。。
いくら建物や構えが「らしく」なくても、やることは歯医者の治療そのものです。ますます歯医者が怖くて、好きじゃなくなりました。でも、来週は抜糸に行かなくちゃなりません。

2016年9月10日土曜日

遠来の友と巡るイタリア(番外編:俺の背後に立つな)

 遠来の友人とあやしい中年コンビを組んでイタリアを巡った旅の途中、斜塔で有名なPISAで、盗難被害に遭ってしまったお恥ずかしいエピソード。
斜塔や大聖堂に入るためのチケット売り場は、ドゥオモ広場の真ん中にあります。行列で我々のすぐ後ろに並んだ国籍不明の女性から入場料金の仕組みを質問され、フランス語で対応していた私はすっかり気をとられてしまいまいした。肩からたすき掛けしたショルダーバッグが背中側に回っていたのですね。
 「そんなに高い料金なら、ワタシ入るのやめるわ」
などと言って、連れとおぼしき女性二人と共に列を離れて行きました。
 さてチケット購入と財布を出そうとした刹那、ショルダーバッグのチャックが開いており、中にあるはずの財布がない。。。典型的なスリです。この間せいぜい1~2分くらいでしょうか。チケット売り場の建物を飛び出して周囲を見回すものの、そこは新宿駅かアメ横かというくらいの人また人。
 広場にアクセスする門まで走り、監視にあたっていたカラビニエリ(憲兵)、警察、自動小銃を携えた軍人たちに状況を早口で説明、なんならまだ広場の中にいるはずだからと緊急の見回りを要請しました。
 「犯人はイタリア人ではない」という当方の説明に俄然ヤル気になった治安当局、ものの15分くらいの間に、風体の似た3人組の女性たちを2組しょっぴいて来たものの、いずれも人相が違う。泣く泣くその場を後にして、徒歩15分かけてカラビニエリの所轄署に赴き被害届を提出。財布には、身分証明書、現金、デビットカード、クレジットカードなどのほか、日本を含む3カ国の運転免許証などなど多数の貴重品が。
 「日本の方ですね。大丈夫、絶対とっつかまえますから」
 頭2つくらい背丈が大きな憲兵の一人が丁寧な英語でなぐさめてくれ、名前と連絡先までくれました。珍しいことです。
被害後ただちに職場の同僚に電話で支援を求め、銀行、クレジットともにカードを即時ブロック、不正使用から口座を保全します。受領印の押された被害届の控えをもらっていますので、これを元に身分証明書その他はローマに帰ってから再発行手続きをする他ありません。
 現金約400ユーロ、これはいわゆる授業料ですから、どうでもいい。問題は運転免許証。日本のそれは次回一時帰国するまで再発行不可能(適性検査などがあるため本人出頭が不可欠)。もっと痛いのは、生涯有効なフランスの免許証。既にフランスは外国人に対する免許証発行を制限していますので、再発行は望めません。

 25年に及ぶ海外生活の中で、スリに遭ったのは実はこれが2回目。最初は15年以上前で、財布には小銭しか入っていませんでした。それが今回、絵に描いたようなスリにやられ、旅先で無一文になり、凹みまくりました。が、持つべきは友です。友人の笑顔とお金を頼りにその後フィレンツェへの一泊の旅を続行、美味しいステーキを食べる頃には、すっかり気を持ち直しました。一人だったら全部キャンセルして家に帰っていたことでしょう(と言ってもガソリン代も高速料金も払えないけど)。

 夏休みが明け、財布に入っていたあれやこれやに関係する面倒な手続きをようやく終えた一昨日、PISAの警察から電話がありました。
 「あなたの財布が見つかりました。現金以外は無事のようです。時間がかかってしまって申し訳ない」と。
 現場では警察官から「たいていの犯人は現金だけ抜き取って、カードなど足の着くものには手をつけず、財布は川に投げ捨ててしまうだろう。」と言われていました。犯人をつかまえたのかどうかは、この際あまり関係がないので聞きませんでしたけど、財布はローマに書留で送ってくれるとのこと。当方からの着払いの申し出も丁重に断られました。ああ、イタリアの憲兵も警察も、なんと素晴らしい。
 ここで自らに教訓。
・現金とカード類は財布を分けるべし。
・鞄は蓋のある開け難いものを持ち、常に視界の範囲で身体に抱えるべし。
・見知らぬ人から声をかけられたときは、特に警戒するべし。
・免許証、カードなど大切なものは全てコピーをとっておくべし。

2016年9月8日木曜日

日本国練習艦隊がキターッ!!

 去る9月1~5日、我が国海上自衛隊の練習艦隊が、ローマの北にあるチビタベッキア港に寄港しました。400年前に伊達藩の支倉常長を乗せた慶長遣欧使節団が到着した港です。
 一般公開された4日、見に行きましたよ。そして、かねてから念願だった海軍伝統のカレーを食べるという幸運に恵まれました。プラモデラーを自称する私ですが船舶(軍艦)関係はこれまで所掌外、それでもドキドキわくわくの体験でした。

 平成28年度の遠洋練習航海は、今年5月20日に横須賀を出港後、13か国16寄港地を歴訪し、11月4日に横須賀に帰港する169日間の長丁場。イタリアの後も、ジブチ、ケニア、スリランカ、フィリピンを回る計画です。
 艦隊司令官である海将補の下、巡洋艦「かしま」、同「せとゆき」及び護衛艦「あさぎり」の3隻からなる艦隊には、幹部候補生200名を含む750名の海上自衛官が乗り組んでいます。

 主艦「かしま」の雄姿。排水量4050トン、全長134m、川崎重工製ガスタービン2基+三菱重工製ディーゼル2基のエンジンが最大27000馬力、速力25ノットを絞り出します。兵装は62口径76mm速射砲1門、三連魚雷発射管2基、チャフ発射機2基。。。。と書いてみたものの、よく解りません。なんせ21年前に建造された船ですから、それなりに古いですし、装備も最新ではありません。すぐ横につけているのが3500トンの護衛艦「あさぎり」。こちらには魚雷を抱いたヘリ(SH-60J)が積まれています。
  型式(TV3508)と名称が記されたタラップから乗船。もうドキドキ。
戦艦の名前は、気象、山岳、地方、河川などに由来します。「かしま」は、茨城県の水郷地帯の一部である鹿島の地名から命名されたとのこと。艦内には命名書が掲げられていました。この横には、「鹿島神社」が祀られています。
まずは、スライドを使った説明を受けました。それにしても艦内が寒い。部屋ごとに空調温度を変えることができないためです。下は、その際に配られたパンフレットとバッジなどの記念グッズ。欲しい人にはたまらんブツなのか。解りません。
  「かしま」のディテール。これは三連装魚雷発射管(だと思う)。
  76mm速射砲。奥に見えるのが3050トン巡洋艦「せとゆき」。
  甲板から船首に向かって。このあたりの細部は、戦艦モデラーにはおおいに参考になるのではないかと。
  操縦室。面舵(おもかじ)とは卯(東)の方向でウが徐々に転じてオモ、 取舵(とりかじ)とは酉(西)の方向からきていることを教えてもらいました。へ~。設備は極めてアナログですけど、練習生にはかえってその方がいいのかも。

こんなコーション・プレートが貼ってありました。「サメに注意せよ」泣かせます。
 熱い陽射しが照りつける中、後部甲板では、隊員管楽団のミニ・コンサートと和太鼓の演奏をしてくれました。美しすぎる女性隊員にしばし見とれます。でも、喧嘩したらボコられます。
  これは、護衛艦あさぎり。プラモで忠実に再現するのはとても大変そう。
さて、食堂に移動して、お待ちかねの昼食。船ごとにレシピが違うという海軍伝統のカレーライス。シンプルながらも実に旨い。その他にも揚げ物やサラダ、デザートなど盛りだくさん。血気盛んな隊員たちの食欲に合わせて、味は濃いめ、ボリュームたっぷりです。
 僅か2時間の見学でしたけど、大満足でした。ちと残念だったのは、私に知識がないばっかりに、どういった部分を写真に撮れば資料的な価値があるのか最後まで
解らなかったことかな。
 それにしても日本国海軍の皆様、邦国のため、お疲れ様です。また、丁寧なご対応、まことに有難うございました。


2016年9月6日火曜日

遠来の友と巡るイタリア(最終回:スーパー銭湯でひとっ風呂)

 無事ローマに戻って来た中年のおじさんコンビは、旅の最後にローマ市内の名所旧跡をせっせと、くまなく回るのでした。
 コロッセオ、フォロ・ロマーノ、スペイン階段、トレビの泉、真実の口、パンテオン、ナボーナ広場、サンタンジェロ城。。。あらゆるガイドブックやWEBサイトによって、これらの遺跡は紹介し尽くされていますね。ここでは敢えて割愛しましょう。
 代わりに、ローマ在住のおじさんが、これだけは是非にとお勧めするのは、フォロ・フォマーノからもほど近い、カラカッラ浴場(Terme di Caracalla)です。
紀元200年過ぎにカラカッラ帝により建造されたこの浴場、とにかく広大な敷地に建つ、床面積4万平米を超える巨大な総合娯楽施設です。今でいうところのスーパー銭湯か、大江戸温泉くらいかと思いきや、どっこいそんなもんじゃありません。まさに桁違い。
 敷地の外から水道橋で直接供給される水を、ゆうに向こう3カ月分くらいは溜めておける貯水タンクの上には、ちょっとした出しものを見せるステージが。そして肝心の風呂は、冷・中・温・熱の温度別。VIP用の個室、更にはサウナ、ジム、BARや果てはマッサージルームまで用意されています。地下には近代でも通用しそうな大がかりな冷却・温熱システムを備えます。
  他の古代ローマ遺跡の例に漏れず、これが日本の弥生時代の終わりころに作られたものだと思うと、あらためて古代ローマ人の偉大さに思いを致さざるを得ません。
  建物の最も高い部分は2階建て、40mにも達します。2000年前に、石造りの構造物に綺麗なアーチを設ける建設技術、おそれいります。
  壁という壁には豪奢な装飾が施され、フラスコ画や彫刻、床一面には贅沢なモザイクが敷き詰められていたのでしょう。ただし、経済破たんにより閉鎖後、それらの装飾物はほとんど全て剥ぎ取られてしまい、教会などその後の建造物の資材として流用されてしまったのです。下は、僅かに残っている壁の装飾の一部。壁の穴は、装飾などの表面材を支える杭が打ちこまれていた跡です。
  当時の想像図。阿部寛主演の映画にもなったテルマエ・ロマエの世界そのものだったのでしょう。
  基本、女人禁制ですから、きっと古代ローマの偉い役人たちやサラリーマン、更には地方からローマを訪れたおのぼりさんや出張に来たおっさんたちが、仕事や旅の疲れを癒す場所として、頻繁に通って来たことでしょう。
 「オイ、先ずはサウナでガッツリ汗かこうや」
 「ふ~熱っつ。ちと水風呂つかってくるわ」
 「あ、今日もマッサージいっとく?」
 「葡萄酒、冷えてんのあるってよ~」
 「いや、オイラまだ中温風呂でゆっくりするわ。あ~極楽極楽w」
などという会話が聞こえてきそうな、カラカッラ浴場でした。

2016年9月5日月曜日

遠来の友と巡るイタリア(その6:青の洞窟)

 ローマに戻って来た中年おじさんコンビの旅、夏休みの残り日数が少なくなってきました。ですがここは、遠来の共に是非とも余すことなく、貪欲にイタリアを満喫してもらいたい。
 そこで、ローマにある旅行代理店に飛び込み、急遽カプリ島に「青の洞窟(Grotta Azzurra)」を攻めに行くことにしました。日帰りバスツアーのお値段は一人180ユーロ。決してお安くありません。ただ、これを高いと決めつけるのは、ちと早計。
 自力で青の洞窟にたどり着くには、ローマからまずはナポリまで車で約2時間半、もちろんガソリン代、高速料金もかかります。ナポリ港に着いたら、付近で安心安全な駐車場を見つけるのは結構大変。フェリーのチケットはこの時期は当然に事前の予約を必要とします。ようやくフェリーでカプリ島に渡ったあとも、モーターボート(要予約)か、或いは陸路バス又はオープンカーのTAXIで洞窟の入り口まで移動、更に行列に並んで待ち、洞窟に入る小舟の料金と入場料。細かく計算していないのでホントにどちらが安いか分かりませんけど、これだけの手配を自分で何もしなくて良い上、リストランテでのランチまで料金に込みと聞けば、まあ納得できる範囲なのではないでしょうか。
 ナポリからの参加者と合流して高速フェリーに乗船。目指すカプリ島までは小一時間です。
  カプリ島の港に到着後、すぐに20人乗りくらいのモーターボートに乗り換え。垂直に切り立った岸壁を見ながら約20分。同乗の綺麗な韓流女子たちに思わず無断でパチリ。
  洞窟の付近に到着。この何とも言えない明るいブルーの海。透明度が高く、強い陽射しが深くまで達するからこその色なのでしょう。見とれてしまう、というか、今すぐにでも飛び込みたくなる衝動に駆られます。
  そして、洞窟の入り口には、順番待ちのボートや小舟がずらりと並んで渋滞していました。岸壁の建物と階段に連なる人たちは、陸路でやって来た人の列。この時期にしては少ないのだとか。我々が乗ったボートに順番が回って来たのは、およそ30分後くらい。1~2時間待機することもあるのだとか。なるほど添乗員がしつこいくらいに早め早めのトイレを勧める理由も、ここでは納得。
船頭の他に4人までが乗れる小舟に順次乗り移り、洞窟の中に一艘ずつ進入します。ただし、洞窟の入り口は波がない状態でも水面からのクリアランスは高さ1mくらい、幅も小舟ギリギリしかありません。なので、天候によってちょっとでも波が荒れていたり、潮位が高かったりするだけで、入れなくなります。知り合いの中には、3度訪れて1度も入れなかったという人もいます。
 船頭が、波のタイミングを見計らい、洞窟の天井に張られたロープを思い切り引いて勢いをつけ、一気に進入します。ヘルメットも何もなしですから、いくら身を低くしても頭をぶつけそうで、冷や冷やものです。
洞窟内に入ると一転、そこは静寂な別世界。どこからどう日の光が屈折して入るのか、神秘的な明るいブルーに輝く水で満たされていました。洞窟内の壁は、水の色が僅かに反射して広大な空間の存在を知らせてくれます。
やおら、船頭たちのカンツォーネが響き渡ります。わずか数分程度の遊覧ですが、一生に一度は見ておきたい景色の一つに挙げておいて良い、そんなふうに思わせてくれることは間違いありません。
僅か10平方km、千代田区とほぼ同じくらいの面積しかないカプリ島には、平たいところがほとんどありません。切り立った崖の上に続く斜面に、島民の家々が建てられています。そのため、島にはこんな登山電車のようなフニクラが人々の暮らしを支えています。
のんびり島の中を観光するのなら、こんな可愛らしい路線バスを利用するのも一案かもしれません。
 因みにカプリ島の特産品はレモン。レモンで作られるリモンチェッロは、イタリアを代表するリキュールです。すごく甘いので、好みは別れるかも。また、カプリ島のデザイナーが作る大振りで派手な装飾のカプリ・ウォッチ(腕時計)も人気。更に、イタリア料理の前菜には欠かせないモッツァレラ・チーズ、トマト、バジリコの葉を交互に並べたサラダ、カプレーゼは「カプリふう」という意味。緑、白、赤の3色のいろどりは、初代イタリア王妃マルゲリータがナポリ出身の王室料理人に好んで作らせたというピッザ・マルゲリータと同様、イタリアの国旗そのものですね。

2016年9月4日日曜日

遠来の友と巡るイタリア(その5:ヴェネツィア②)

 ヴェネツィア滞在2日目。あやしい中年おやじ二人は、ヴェネツィア本島から水上バスで島巡りと洒落こみました。
 無理して朝早く起き、まずはヴェネツィア・ガラスの生産で有名なムラーノ島へ。二日酔いの頭にも心地良い海風のにおいをかぎながら、所要30分くらい。でも、着いたのが朝9時くらいと早かったため、島の中の人通りはごく僅か。ガラス店はおろか博物館も公共トイレすらも開いてません。開いてるのは八百屋だけ。歩いているのはおばあちゃんだけ。なによりこの島には、活気というものを感じませんでしたね。

 それもそのはずで、昔ながらの手加工にこだわるガラス職人たちがひとつひとつ丹精込めて作った製品(だから、本物は同じ形でも一個一個ガラスの厚さや重さが違うのです)は、近年では低価格で安定供給される大量生産の機械加工製品に取って代わられつつあるというのです。わざわざムラーノ島まで足を運ばなくても、今やヴェネツィア・ガラスはどこでも買うことが出来るというわけです。
 
 でも、おじさんが買ったのは、こんなの。

  そうと解ればここには用はないわけで、再び水上バスに乗り、今日の目的地であるブラーノ島に向かいました。
 色とりどりに壁を塗られたカラフルで小さな家並みと、レース製品で最近つとに知られるようになってきたブラーノ島。カラフルな家は、漁から船で帰ってきた亭主が自分の家を見つけ易くするため。また、レースは漁網の技術が発展したものだとか。
 まあとにかくどこを切り取っても絵になる町並みと細い運河に浮かぶ小舟、こりゃ洋の東西を問わずメルヘンチックな旅がお好みの女子たちは間違いなく絶賛するでしょう。ガラスとレースのお土産とくればお買い物もバッチリ。ま、おじさん二人は、目がハートになってる女子たちの姿を見ながら気持ち良く島を散策


 サン・マルティーノ教会前の広場から、リストランテが軒を連ねる島の目抜き通りに進みます。
 嗅覚を最大限働かせて選んだ店で食べたのが、ムール貝のトマトソース煮と、手長エビとポルチーニ茸の手打ちパスタ。ムール貝はレモンを搾ってやると程よい酸味がとても爽やかで、器に残ったソースをパンに浸して最後まで堪能。パスタは、海(エビ)と山(茸)の味覚の融合ですよとお店のお勧めも納得の一品。どちらもモルト・ブォーノ(超絶旨い)かった。

  ところで、イタリア在住の日本人の間でヴェネツイアというとよく聞く話として、「夏は水位が上がるため街が臭い」というのと、「ホテルがバカ高い」というのがあります。今回訪れた8月下旬という時期が、そう言われる時期に該当するのかどうか確信はありません。でも、少なくとも街中で水が「くさい」と感じることは一度もありませんでした。また、ホテルはサンタ・ルチア駅から歩いて1分という抜群のロケーションにとりましたが、シングル1泊110ユーロ弱で朝食付き。格式などなにも感じないホテルですけど、コスパは全く悪くありません。高いのはサン・マルコ広場周辺のホテルで、家族連れの3ベッドとかになると、そりゃ1泊3~400ユーロもざらです。

  ヴェネツィアからローマに戻る帰路は、再び鉄道。実は切符を点検しにきた車掌さんに聞いて解ったのですが、今度はFrecciargentoという往路とは別の種類の車両に乗れて、ちょっと得した気分でした。

2016年9月2日金曜日

遠来の友と巡るイタリア(その4:ヴェネツィア①)

 小説「インフェルノ」の続きを追います。
 花の街フィレンツェを後にしてラングドン教授が向かった先は、水の街ヴェネツィア。因みにベニス(venice)は英語表記です。
 友人と私の中年おじさんコンビは、日立の技術が使われているTrenitalia鉄道の特急Frecciarossaに乗り、ローマを出発しました。530kmの距離を、約3時間半で走ります。ハイシーズンということもあり早めにチケットを買っていたのもよかった。料金は二等指定席の往復でなんと一人72ユーロ、8千円ちょっとですから、日本の新幹線と比べると断然お安いです。

  終点のヴェネツィア・サンタ・ルチア駅で下車。あれ?よく歌で聞くサンタ~・ル~チア♪なの?歌の方はナポリ民謡で、サンタ・ルチアは本当はナポリ湾を望む美しい景観のこと。海つながりだからって、ヴェネツィアがそれをパクってきたということなのか。

  サンタ・ルチア駅前広場にある大運河(canal grande)の水上バ停留所から、サン・マルコ広場(piazza san marco)を目指します。ちなみに、水上バス(Vaporetto。乗り合い路線ボートで、陸上のバスと同じ感覚)のチケットは、24時間有効(乗り放題)で20ユーロ。これを使い倒してヴェネツィアをくまなく回るのが賢い方法。一人でも乗れる水上タクシー(いわゆるモーターボート)は非常に料金が高いです。
 かたや、他の船では入り込めない細い運河を町並みの裏側まで行くのなら、縞々のシャツをきた船頭が手漕ぎするゴンドラという選択肢もあります。ただこれは観光客向けで、風情たっぷりながらも30分80ユーロと非常にお高い。

  さて、ラングドン教授はサンタ・ルチア駅のひとつ手前で電車を降り、水上タクシーでサン・マルコ広場に直接乗り付けるというブルジョアぶりを見せつけてくるのはともかくとして、教授の行き先は広場に面した荘厳なサン・マルコ寺院。ここにある4頭の馬の像(quadoriga)が事件解決の鍵を握ると踏んだラングドン教授の読みは、しかし外れるわけです。ところで、お目当ての4頭の馬の像は、寺院の正面入り口の上の方、つまり広場に向けてテラスに置かれているこれ(下の写真)のことではありません。


  寺院内部から更に追加料金を払わなければ進めない区域にまで行くと、このテラスの内側の影に、本物の4頭の馬の像が置かれています(ただし撮影禁止)。1204年の第4回十字軍遠征に参加したヴェネツィアが、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)の競馬場から略奪!してきたときには右から2頭目の馬の足が折れていたのですが、その後、折れた足の先だけがイスタンブールで発見され、はからずも略奪の歴史が証明されてしまったというシロモノ。ただし、バレたからといって返さないところがイタリア人(カトリック?)のすごいところ。
 
  ラングドン教授は、象徴学者としての自分の勘が外れたことが解った途端に、いつものようにヴェネツィアのうんちくを長々と語ることもせず、さっさとイスタンブールに飛んでしまいます。きっと、ダン・ブラウン君は今回ヴェネツィアを取材する十分な時間がなかったのでしょう。ですが中年のおじさん二人の旅は、そうはいきません。折角なのでヴェネツィアを堪能することにしました。
 先ずは、サン・マルコ寺院の隣、海に向かって建つのがドゥカーレ宮殿(palazzo Ducale)。ヴェネツィア共和国総督の公邸として建てられたこの建物は、細い運河を隔てた対岸の牢獄跡と「溜め息橋(Ponte dei Sospiri)」と呼ばれる石の橋で結ばれています。牢獄に投じらようとする罪人が最後に見るヴェネツィアの景色に溜め息を漏らしたのでしょう。地元には、恋人同士が溜め息橋の下で日没時にゴンドラに乗ってキスをすると永遠の愛が約束されるという逸話があるそうですが、これはまあ観光当局のぶっこみではないかと勝手に推測(下は、溜め息橋から運河の眺め)。

  この後は、サン・マルコ広場周辺の美術館などをゆっくり見て回り、その日は終了。あとはリストランテで名物のイカ墨やあさりのスパゲッティを食し、とっぷりと日が暮れるまで延々とBARでビールを飲み続けるおじさんたちでした。